第9話 どうしてそんな事になった ~魔王さま視点~
夜。執務室の仕事が一段落ついたところで、俺は「ふぅ」と息をつきながらいつもの癖で眉間を揉み解した。
ちょうど見計らったかのように、横から宰相・ルガルゼがコーヒーを出してくる。無言で受け取り、カップに口を付け――。
「そういえば陛下。先程書類を各部署に届けるついでに城内を一回りしてきたのですが、『陛下がコブ付きになった』という話ですっかり持ち切りになっていました」
「ごふっ」
突飛由もない事を突然言われて、思わず飲んでいたものを噴き出しそうになった。
ギリギリ堪えられたので書類は汚さずに済んだが、代わりに液体がガッツリと気管に入り、ゴホッゴホッと強く咳きこむ。
「な、何だその『コブ付き』っていうのは!」
「陛下に娘ができた事を意味する言葉だと推測します」
「そうじゃない! 何で俺に娘が云々という話になったんだ!!」
「先程ご自身が皆の前で堂々と宣言されたからでしょう。『俺の娘には指一本触れるな』と」
「言ってない!」
いつもの軽口だと分かっていながらも、流石に叫ばずにはいられなかった。
もしその『先程』が夕方の一件を指しているのなら、ルガルゼだってあの場に一緒にいた筈だ。ずっと俺の後ろで今みたいに楽しげに猫目細めて黙って立っているだけだったが、あの一部始終を聞いて本当にそう思ったのだとしたら、「休みをやるからその耳ちょっと取り替えてこい」と声を大にして言ってやりたい。
咳きこんでいるせいでそれらを言葉にはできないが、代わりにルガルゼをギロリと睨めば、それだけで俺の意思は伝わるはずだ。
実際に伝わったと思う。ただこいつにとっては俺の睨みなど、すっかり慣れたものだろう。楽しげに喉を鳴らしながらクツクツと笑っただけで、その後すぐにスッといつものすまし顔になる。
「陛下が今気にすべきは『実際にどう言ったか』ではなく、『どのように伝わってしまったのか』では?」
正論すぎてぐうの音も出ない。
代わりに腹の中に溜まった気持ちを、「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁー」と一気に吐き出す。
ルガルゼはきっと、「建設的な話をしなければ話は進まない」と言いたいのだ。分かっている。分かっているが。
「……何故そんなふうに伝わった」
伝わっている内容が色々と残念過ぎて、俺は思わず執務机に両肘をついて、頭を抱え、項垂れる。
すると流石は
「陛下が『嫁じゃない』と言った上で、『すべての決定権は俺にある』『この娘』という言葉を使ったせいでしょう。前者から『保護者』、後者から自分の娘……つまり『養子』を連想させたと思えば、おおむね合点もいくかと」
おい、一体何だソレは。
「まるで下手な伝言ゲームだ」
「噂など、所詮はそういうものでしょう」
「そもそもからして、結婚もまだしていないのに娘だなんて、普通はおかしいと思うだろ。暇なのかこの城の連中は」
「『陛下が下等種の人間を庇護する』という現実に、何かしらの形式的な理由を付ける事で、一つの納得を得たかった……という見方をする事もできます」
「人間を『下等種』などという言葉で括るようなやつは、理由をつけようが付けまいが、結局は人間を城に置くという時点で反対してくるだろうに」
吐き捨てるようにしてそう言うと、ルガルゼから小さな「ごもっともです」という声が返ってきた。
自分の言葉の不備を素直に認めるだなんて、珍しい。少し驚いたものの、顔を見てすぐに理由が分かる。
これはただの同調ではない。俺の、王としての采配を待っているのだ。
この件について、おそらくこいつには既に俺が取るべき行動が見えていて、これから俺が何を言うのかも分かっているに違いない。
そして何より、俺がそれを口にする事を不本意に思っている事まで分かっている。分かっていながら、言わせる事を楽しんでいるような顔だ。
俺はまた「はぁ」とため息をついた。
今日でもう何度目のため息なのか。つきすぎてもう忘れてしまった。
「人間を敵視する魔族は多い。保護すると決めた以上、最低限の身の安全は整えてやるのは王としての俺のやるべき事だ」
相手の事をどう思っているかに関わらず、一度した約束を準備不足のせいで違えるような事があってはならない。これは王としての信用と、威厳に関わる問題だ。
にも拘らず、今日あの娘がこの城に来ると分かっているのに、何の準備もできていない。完全に相手を見誤っていた。
「あんなちっこい娘が送られてきた事も想定外だったが……てっきり身の回りを世話する者を一人くらいは連れてくると思っていた」
「そうですね。一国の姫が、騎士どころか使用人の一人も付けていないとは。王城までの送迎の楽はありましたが、今後間違いなく不便が生じる事でしょう」
ルガルゼの言う通りである。
魔族の大半は、人間を敵視している。
これまでの長い戦争と人間に虐げられてきたという今日明日では拭いきる事など到底不可能である歴史とが、感情的な溝を作っている。
それを分かっていても尚、俺はあの娘を王城に留め置く事にした。
妃にする事が叶わないと分かっても尚、内乱と戦争を同時に抱えるリスクの方が高いと思ったから。だから王としてそう決めた。
ならば。
「いないのなら用意せざるを得ん。身の回りの世話をさせるメイドと、もう一人」
ニヤニヤと笑っているトラ耳の男が、ひどく煩わしい。それでも王として正しい決断を。一番の腹心のこの男に「見誤った」と思われないような王であるためにも。
「監視役も用意しておけ。明日以降、またいつ一人で脱走するか分からんのでは敵わん」
「畏まりました。陛下の手足となる該当二名を、すぐに選出いたします」
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