第2話 わたしが王さまのところに来た理由(ワケ)



 出発の時に王妃さまから掛けられた言葉を、わたしはまだ覚えている。


 魔王国というのは、本当に怖い場所なのよ? なんせ二百年にも及ぶ戦争の原因は、すべて魔王国のせいなのだから。

 そこに住まう魔族たちは、自分たちは体内で魔力を生成できるからって、いつも皆人間を見下しているの。

 アレらは人間の命を何とも思っていない。一人でいたらすぐにでも、娯楽かおやつ代わりに八つ裂きにされてしまうでしょうね。


 そんなモノがいる場所に、貴女はこれから向かうの。

 道中、気を付けていってらっしゃい。――魔王領での身柄の保証なんて、もちろんされていないけれど。


 そう言って、ニコリと微笑んだ王妃さまは、とても楽しそうだった。



 王妃さまはわたしが嫌いらしい。少なくともわたしにはそう見えた。


 そういえば、前にメイドが「正妃様は、他国からやってきて一番に陛下からのご寵愛を受けている貴女のお母さま――リリー様の事が妬ましくて仕方がないのです」って教えてくれたっけ。


 半月前にあったお母さまとのお別れの式の日に、別のメイドも言っていた。

 リリー様はいつだって、正妃さまからの嫌がらせを笑顔で跳ねのけ、堂々と胸を張っていらっしゃった。結局あの方を打ち負かすことができたのは、ついに病だけだったって。


 わたしは、いつも優しくて温かいお母さまが大好きだった。

 メイドたちに胸を張って「大好きでした」と言ってもらえるお母さまが自慢だった。



 お母さまは、すごいのだ。

 強くてカッコいい人だったのだ。


 何でも知っていたお母さまから、お母さまとお別れした後、もしかしたらわたしがどこかの国に行くことになるかもしれないことも教えられていた。


 ――私はもう貴女の助けにも盾にもなってはあげられないだろうから。

 そう言いながらわたしの頭をやさしく撫でてくれたお母さまは、とても痛そうな笑顔をしていた。だからわたしはこう答えたのだ。


「お母さま、わたしは大丈夫! 絶対に、強くてやさしくてカッコいい、お母さまみたいなレディになるんだもの! お母さまより大きくなるまで生きるよ!!」


 おばあちゃんになるまで生きること。それがお母さまの口癖のような願いだった。


 これまでわたしは、できるようになるとお母さまがとても嬉しそうに笑うから、もっとたくさん笑ってほしくて『七歳から教えてもらうお勉強』も『お母さま直伝、秘密のお勉強』も頑張って覚えてきた。

 お母さまが笑ってくれるなら、どんなことだって頑張れる。これはお母さまに笑ってほしくてした約束で、わたしの本当の夢でもあった。


 そう言って胸を張ったわたしをギュッと強く抱きしめてくれたお母さまのぬくもりも、わたしはまだちゃんと覚えている。

 その体温につつまれながら、その日はそのまま眠ってしまったことも。



 だからわたしは、出発前に王妃さまからされたその話に、怖がってなんてあげなかった。


 だってお母さまは言っていたもの。『世界には色んな人がいて、中には嫌な人を相手にわざと不安になるような事を吹き込んで、反応を見て楽しむ人もいるのよ』って。


 王妃さまに最後まで負けなかったお母さまのように、わたしも負けない、強くてカッコよくなりたいのだ。

 お母さまを嫌いな王妃さまに、負けてなんていられない。



 わたしは王妃さまに、何も言い返さなかった。それがきっと王妃さまを喜ばせない方法だって思ったから。

 でも、お母さまの注意もちゃんと覚えていた。


『もし自分一人ではどうにもならない現実に直面した時、きちんと逃げずにそれを見つめて。きちんと周りを見回して、自分がどうすればいいのか、どうすれば生き残る事ができるのか。心を静めて考えるの。難しい事だと思うけど、でもそれが、幼い貴方が生きていく上で、きっと強い武器になるわ』

 

 だから、王妃さまの言葉だってちゃんと忘れずに覚えていた。


 これからわたしが向かうのは、きっととっても危ないところ。もしかしたらわたしなんてすぐに食べられちゃうかもしれないところだって。


 でも焦らない。怖がらない。そんな暇があったら考える。



 お母さまとの「お母さまより大きくなるまで生きる」という約束と、「お母さまのようになる」という夢を叶えるために、まずは魔王国の王さまに気に入ってもらわなければならない。


 お母さまが言っていた。

 この世で一番安全な場所は、権力者の側なのだと。権力者に庇護されそれが知らしめられている状況こそが、非力な人間の最善の防衛策なのだと。


 わたしはまだ小さくて、力もないし助けてくれる人もいない。だから『頼れる人』が必要なのだと、そう教えられていた。

 だから、会って早々お母さま直伝のイチコロなごあいさつをしたのに。



「はぁぁぁぁぁぁぁあああ……」


 深いため息に迎えられてしまって、わたしはちょっと困惑する。


 成功なのか、失敗なのか。お父さまをイチコロにした時の話みたいに、喜んでいる感じはない。でも怒っている感じでも、怖くもない。


「私も最初に見た時は、非常に驚きました。王国側が『友好の証に娘をやる』と言って寄越した娘、てっきり不戦条約の担保としての人質兼こちらを篭絡する目的で送り込まれた人材だとばかり思い込んでいましたから」


 王さまの落胆に、彼の隣に立っている頭からトラ耳を生やした男の人も、何やら深く頷いている。


「まったく、陛下が『丁重にもてなせ』と言うから、わざわざ私自ら領地の境界まで迎えに行ったというのに」


 「警戒し損。無駄足でした」と言いながらやれやれと首を横に振った彼は、残念そうな王さまとは違い、ちょっと面倒臭そうなものを見るような目で私を見下ろしている。


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