第7話 怖い顔のやさしい王さま



 どうしよう。

 思わず一歩後ずさりながら、頑張って考えてみようとする。

 でもダメだ。どうしても「どうしよう」以外、考えられない。


 助けて、お母さま。

 伸びてくる鋭い爪の大きな手に、心の中でそう叫ぶ。でも、笑顔で振り返るお母さまの顔が頭に浮かぶだけ。


 もうダメだ。ギュッと目をつぶった。

 その時だ。


「廊下の真ん中で、何を騒いでいる」


 聞いたことのある声が、凛と廊下に響き渡った。



 ゆっくりと目を開けてみると、ギリギリまで迫っていた騎士の人の手に、横から別の手が伸びてきていた。

 がっしりと彼の腕を掴んでいた手は、陶器のような白色だ。黒髪の頭からは角が生えているその人は、眉間にしわを寄せていて。


「へ、陛下」

「王さま……」


 あ、怒ってる。 

 わたしがそう思ったのは、彼の周りを囲むようにして赤い色の靄が漂っていたからだ。



 赤い色は、怒ってるっていうこと。青い色は、怖がってるっていうこと。

 お母さまが『オーラ』と呼んでいたこの『気持ちの色』は、たまにだけこうして、わたしの目に映ることがある。


 どんなに表情で嘘をついても、絶対に誤魔化すことなんて絶対にできない色。だから、今赤いオーラを発している王さまがとても怒っているのは間違いない。


 でも朱色に近いその色の温かみも、わたしにはちゃんと見えている。


『誰にだっていいところはあって、それは相手をちゃんと分かるのよ』


 ふと、そんなお母さまの声が聞こえた気がした。

 

 彼の怒りは、自分勝手で理不尽なものでは決してない。

 そんな確信に、わたしの体の震えもピタリと止まる。



 一方手をグッと押し戻された騎士の人には、青いオーラが見えていた。まぁ大きな体をガタガタと震わせて顔まで青くさせているから、オーラを見るまでもないんだけど……でも、あれ? 何でだろう。

 わたしは思わず首を傾げる。


 こっちを見てる周りのみんなにも、何でか青いオーラが見える。


 ――まるで、自分もどうにかされてしまうって思ってるみたい。


  王さまが怒っているのは騎士の人だけなのに、こんな温かな気持ちの色をしてる人が、他の人に八つ当たりみたいなことをするはずないのに。

 変なの……と思ったけど、そういえば前にも今みたいに、不思議に思ったことがあったっけ。


 王妃さまは本当は怒っていたのに、側妃さまたちは嘘の笑顔に勘違いした結果、もっと王妃さまを怒らせてしまったり。お父さまは別に怒ってないのに、ちょっと注意しただけでみんな「怒らせた」と思ってすごく怖がってたり。

 たしかその時も、とても不思議に思ったんだ。


「この娘に何の用だ」


 王さまの抑揚の少ない声に、みんなの間に緊張感が走った。


「いえ、その……無礼にも、こいつが獅子族の神聖なる尻尾を引っ張ってきて!」

「だからに、何の断りもなく手を出していいと?」


 ピッとわたしを真っ直ぐ指さしながら声を上げた騎士の人だったけど、王さまに睨まれて「ひっ」と悲鳴を上げる。

 それでも「し、しかし」と声を上げたのは、もしかしたら少しでも自分の落ち度を減らしたかったからかもしれない。


「陛下の元へと来る客人は、絶世の美女だったはずでは……?」


 その言葉に、今度は王さまの眉の端が片方だけビクッと上がる。

 顔はまだ怖いけど、気持ちの色は激変だ。怒りの赤がシューッと薄れ、代わりに悲しみの水色が少し顔を出す。

 きっと誰よりもそんな客人を待ち望んでいたのは、王さまだ。王さま、ちょっと可哀想……。


「客人はコレで間違いない」

「ではこの娘が陛下の嫁に――」

「そんな訳あるか。馬鹿か貴様は」


 もう一段階下がった声は、最早地を這うような低さになっている。

 困惑交じりだった騎士の人の、尻尾の毛と髪の毛がブワッと逆立った。悪気があって言った訳じゃなさそう。なのに怖い顔をされて、騎士の人もちょっと可哀想……。


「おいお前」

「リコリスです、王さま」

「何かこいつに言いたい事は」


 こちらを見下ろしてくる切れ長な目に、「言え」と言われているのだと気がついた。

 わたしはちょっと考える。言いたいことは……うん、二つある。



 立ち上がり、王さまの隣まで行って騎士の人に向き直った。そしてまずはキッパリと一言。


「何があっても、相手を蹴るのはダメだと思います!」


 自分がされて嫌なことは、他人にやってはダメよ? お母さまはそう言っていた。

 だけど、だからこそもう一つ。


「でも尻尾を引っ張っちゃったのは、ごめんなさい」


 きちんとペコリと、頭を下げる。



 まさか尻尾が神聖なものだなんて、まったく思いもしなかった。咄嗟だったし、他に彼を止める方法も思いつかなかったんだから、ああして彼を止めたことは今も後悔してはない。

 でも、たとえば髪の毛を引っ張られたら、わたしだってとても嫌だもん。相手が嫌がることをしちゃったのは、わたしだって同じだった。



 言いたいことが言えてスッキリした。

 鼻からフンスと息をはきながら隣の王さまを見上げると、どうしたんだろう。目を見開いた王さまと目が合った。

 そんな顔をされる理由が分からない。思わず首をかしげると、王さまは一瞬ハッとして、気でも取り直すかのようにコホンと一つ咳払いをした。


 辺りを見渡す。そこにいたのは、さっきからわたしたちをずっと見ている通りかかりの人たちだ。


「改めて言う。この娘を傷をつけることは、何人たりとも許さん」


 静かな断言だったのに、彼の声は廊下中にとてもよく通った。

 まるで王さまの揺るがない気持ちが、そのまま声に影響したみたい。 


 ――王さまが、ちゃんと『王さま』だ。


 思わずそんな感想が、心の中でポロリと漏れる。


 どんなに頑張ってもまだ一人で生きていくのが難しいわたしにとって、『王さま』な王さまはとても心強い存在だ。

 でもそれ以上に嬉しかった。だって、こんなにハッキリと守ってもらったのは、お母さま以外では初めてだったから。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る