拳を交える事こそ交流らしい

「おおーっと!!試合開始早々!!獅子瓦選手の電光石火の先制攻撃が平沼選手に襲いかかったぁっ!!早すぎる!!これは避けれません!!」


 実況担当実響子(何か言い易い)の元々良く通る高い声が、興奮しきったトーンになってるためより割り増しで、教室内に大きく大きく響き渡る。

 やっぱ選手って呼ばれるんだなぁ、なんて超どうでもいい事を考えつつ、俺は獅子瓦に大人しくブン殴られることに決めた。

 リスポーンキルにも近いその不可避の一撃を俺がヒョイッと避けるのはやはりおかしい。なんせヨーイドンからのハイドーンだ。

 このまま殴られる方が選ぶ手としては、一番の安牌だと判断。


「一発KOだゴラァ!!」

 

 迫る獅子瓦の拳を手持ち無沙汰で眺めていれば、その視線の先で自分の頬に少しずつ拳が沈ん…………いや、沈まなかった。まるで鋼鉄を殴りつけたかのように、獅子瓦の拳に俺の頬が逆に沈んでいく。

 ま、マジかよ。今の俺って全身オリハルコンだったりする?


「……ぐぉっ…!?な、何しやがったゴラァ……?!」


 獅子瓦が拳を抑えながら、俺の目の前で悶えている。

 何って言われても、別に俺は何もしてねーんだよな。でもまさか本当にこんな結果になるとは思ってもなかった。

 健一と京に背中を叩かれた時もこんな硬かったのか?いや、あの時はきっと普通だったはずだ。何の違和感も無さそうだったし。だから俺は今のパンチを素直に受けることに決めたんだ。

 てことは敵からの攻撃を受けた時にだけ自動的に硬質化する感じ?おいおい……俺の身体やべーな。朝にドラゴン出した時点で分かってたけど、他にも色んな化け物じみた機能が備わってそうだ。勘弁してくれ。


「こ、これは一体どういうことだー?!攻撃を仕掛けた側の獅子瓦選手が逆にダメージを喰らっているように見えます!!」

「なるほどな。そう来たか」

「……ふふ……」


 甲斐先輩、絶対に分かってないだろアンタ。それっぽい顔してるけど、何の解説もしてないもん。

 あと夜吹さんでしたっけ?その不適な笑みは何なんだ。ターゲットにされてる気がする。俺を見る目が何だか妖しい。

 もしかして何かバレてる?この力の根源とか知ってます?だったらクシミニウムについてちょいとお尋ねしたいことがあるんですけども。


「何したかって聞いてんだゴラァ!!」

「う、うわわー……っ」


 獅子瓦が懲りずにまた俺に向かって勢い良く、先ほどよりも体重のかかってる強いパンチを放ってきたので、俺はそれに驚いたふりをして尻餅をつき、その一撃を偶然を装いながら躱す。

 もしあんなの喰らってみろ。獅子瓦の拳骨をグチャグチャに粉砕しかねない。痛いのは見るのも嫌だ。


「何か仕込んでんのかゴラァ!シャバ僧ゴラァ!」

「わわわ、うわわわ」


 獅子瓦やめろ。それ自殺行為だから。俺が避けてやらなかったら、とっくにお前の拳は南無阿弥陀仏。


「うおっーとぉっ!!こ、これは驚きだぁー!!平沼選手が奇跡的に獅子瓦選手の攻撃を避けている!!避け方は超ダサいですけど!!」


 おいコラ実況。普通に傷付いちゃうからダサいとか言わないで。


「やるな……平沼浩二。獅子瓦はかつてアマチュアボクシング界を席巻した超高校級の凄腕ボクサーだ。どんなに偶然だろうと、ダサくて不細工で不格好で醜くて笑える避け方だろうと、これは賞賛に値する」


 褒めてんの?貶してんの?やるなと賞賛に値する、だけの二つじゃ到底太刀打ちできない罵倒の嵐。最初と最後を褒め言葉で挟んでも、これオセロじゃないから意味ないよ。

 泣きそうだ。実況と解説の二人のせいで心は泣いてる。ズタボロになってる。身体は強くなってもメンタルは変わらないんだなって……。


「……ふふふ……」


 あの、さっきからふふふって笑ってるだけの夜吹さんは実況席にいる意味あんの?まあ罵倒されるよかマシだけど、見透かされてるみたいで落ち着かない。


「ゴキブリみたいに避けやがってゴラァ!!」


 パンチよりも圧倒的に効く台詞やめろよ。さっきから心をザクザクと黒ひげ危機一発みたいに多方面から刺されてんだよ。

 くそ……けど、華麗に避けたら避けたでおかしいしな……。それと実は俺が強いってバレちゃうし……あ、今の台詞なんかイキってんな。反省、反省。


「避けてるだけじゃ一生終わらねぇぞゴラァ!!」


 そうなんだよな。獅子瓦のスタミナ切れを待ったとしても、一撃を入れて床に伏せさせないことにはこの戦いは終わらない。

 かと言ってその一撃を今の状態で獅子瓦に加えたとしたら、顔面に当たれば顔がパチンコ玉みたいに飛ぶだろうし、胴体に当てれば串焼きになるだろう。

 どうしたってこの戦いを平穏無事に終わらせるためには、力の加減が必要になる。


「……はぁ……」


 京の頭に手を置いた時のあの感覚を、目の前の凶暴リーゼントを相手に呼び覚ませる気がしない。

 いっそのこと櫛宮さんに電話してこの場を収めて貰うか?何てな。絶対もっとヤバいことになる。世界中の謎の組織から命を狙われるね。


「とっとと床に沈みやがれゴラァ!!」


 また俺の顔に目掛けて飛んでくる獅子瓦の拳。今回は避けない。勝つための作戦を俺は冴える頭で瞬時に考えた。


「ゴラァアア!!」


 その作戦は至って単純。

 ゆっくりゆーっくりと頬に近付く拳を注意深く観察して、直撃する瞬間に全神経を集中させる。

 獅子瓦の拳に対して俺の頬が1ミリでも沈んでいくのが見えたら、即座にそのパンチを避ける。

 逆に獅子瓦の拳が俺の頬に沈んだら、その時は加減が出来ているということだ。


「食らいやがれゴラァ!!」


 あ、まずい。頬が拳にめり込むのが見えた。失敗。すぐにそのパンチを避ける。


「いっ……??んだゴラァ!」


 これなら獅子瓦に与えるダメージは最低限で済む。ああ、なんて俺は賢くて優しいんだ。こんな交戦的なリーゼントを相手に慈悲を施すなんて優しすぎる。優しさの塊。半分なんて言わずに、平沼浩二の全ては優しさで出来ていると言っても過言じゃない。


「ゴラゴラゴラゴラゴラゴラァ!!」


 どっかで聞いたことがあるようで、微妙に聞いたことがない掛け声だ。


「ゴラゴラゴラゴラゴラゴララァ!!」


 雨霰あめあられのように俺に向かって降りかかる拳、拳、拳。その全てを俺は頬で一瞬受け止めて、受け流す。少しずつだが勝手が分かってきた。


 やがて、


「当たれゴラァ!!」

「…………きたっ……」


 ドゴォッ!!と俺の左頬に獅子瓦の拳が沈んだ。ああ、沈んだ。間違いなく沈んだ。

 ペシンと叩かれた時ぐらいの痛みがそこから流れてくる。この身体になってから初めて痛覚が機能した。なんか感動。痛みって大事なんだな。人として。


「よし、今なら」


 ぐらっと足がもつれたふりをして、ラッキーパンチを装いながら軽く叩けばいける。きっといける。絶対いける。いけるでしかない。


 一連の流れを脳内でシミュレーションしてから、それを行動として再現しようとした途端、


「……っっ!!」

「おおーっと!?どうしたんでしょうかー!?!」


 獅子瓦がババッと後ろに飛び跳ねて、俺から距離を取る。血相を変えていた。冷や汗を垂らしていた。


(今後ろに退かなかったら……俺がやられていた……!)


 おい、なんか急に直接脳内に獅子瓦の声が流れてきたんだが……これってアイツの思考回路?え、心まで読めちゃう系?勘弁してくれ。これ以上の特殊能力は求めてない。


(あ、脚が震えてやがる……!?この俺が恐怖しているだと!?)


 獅子瓦連八は人生で初めて、戦いの中で恐怖を覚えた。あの瞬間に少しでも前に踏み込んでいた場合、自分自身が一瞬のうちに敗北する未来が脳裏にハッキリと浮かんだ。それは獅子瓦にとって驚愕でしかなかった。

 獅子瓦は常に勝者だった。ボクシングという競技に出会ったその日から、圧倒的な才能を発揮していた。獅子瓦は――――待て待てストップストップ。渋い声のナレーションまでいきなり頭に流れてきやがった。


「俺が!!この俺が……負けるわけねぇんだゴラァ!!」


 初めての敗北を予期した獅子瓦は逆上した。恐怖を必死に取り除こうと気丈に振るまっている。

 獅子瓦は腕を大きく振りかぶって、俺に目掛けて必殺の右ストレートを放ってきた。


「終わりだゴラァアア!!!」


 よし、飛んで火に入る夏の虫だ。驚いたふりをしてわざと転んで、さりげなく腹らへんに拳を軽く沈めよう。これで終わりだ……そう思っていたら


(そうだ!絶対に負けるわけにはいかねぇ!俺は今日この日をずっと待ち望んでいた!妹をカナディアンにするためによぉ!)


 とまた、俺の脳内に流れてくる獅子瓦の思考。


 あれは今から三年前。話は俺がまだ高校にちゃんと通っていた頃にさかのぼ――――らせねぇよ!危ねぇな!ほわほわほわ〜んって回想に突入させるとこだった!悪いけどそんなに時間を費やせねぇんだよ。


 とりあえずその回想を割愛して要約すると、両親が事故に遭って妹と二人きりになった獅子瓦は生活費を稼ぐべく、色々と裏の格闘技大会などで戦ってきたらしい。

 普通に涙無くしては見れなかった。獅子瓦……俺はお前を誤解しちまってたよ。櫛宮さんには悪いけど、ここは獅子瓦に勝ちを譲るべきだ。俺なんかよりもよっぽど相応しい。


「ぐはぁっ!!」


 負けることを決めた俺は、獅子瓦の必殺の右ストレートを真正面から堂々と顔面で受け止め、なおかつ後ろにわざと飛んでド派手にブッ飛ばされた感じを演出。


「やーらーれーたー……!」


 バッターン!と床に仰向けに、そのままガクッと倒れ込む。完璧だ。アカデミー賞にノミネートされそうなぐらいの名演技。


「き、決まったー!!勝者は獅子「待て」


 これにて一件落着か……と考えていたら、決着のコールが途中でなぜか遮られていた。

 一体どうしたんだ、と思いつつ薄く目を開いて、チラッとそちらの様子を伺えば、


「この戦奏……俺の、負けだ……」


 なんて言いながら、獅子瓦が涙を流している。

 いや、どういう状況?なんで?何が起きたの?急転直下にもほどがあるだろ。


(最後の一撃……コイツは避けれたはずなのに、わざとそうしなかった……なぜだ……そんなの決まってる……)


 またまた獅子瓦の声と思考が、俺の頭に流れてくる。

 なんか勝手に俺の行動を好意的に美化して捉えてくれていた。勝ちを譲ったこともバレていたらしい。察しが早いな。野生の勘ってやつか?


「よ、よく分かりませんが!!獅子瓦選手がギブアップ!!勝者は平沼選手です!!」


 自ら負けを認めた獅子瓦はスーツの集団にたちまち取り囲まれて、連行されていく。何というスピード感。ここまでの展開が早すぎる。


「平沼、ありがとよ……お前みたいなカナディアンも、いるんだな……」

「お兄ちゃん!!」


 観衆の中から飛び出してきたのは、獅子瓦とは似ても似つかない青のヘアバンドをつけた黒髪の可愛らしい女の子。


「お兄ちゃんを離して……!」

詩乃しの、悪かったな……こんな不甲斐ない兄貴でよ……」


 どこかで一度は見たことがあるけれど、それがどこでなのかは思い出せないありがちな悲劇的展開。

 …………はぁ……俺はバッドエンドが苦手なんだ。仕方ない。


「……ま、待ってください」


 俺はその場でヨロヨロと立ち上がって、教室から去ろうとする集団に声をかける。


「自分はそんなの望んでないので、見逃してあげてくれませんか?」

「ふふ、無理だね。これは規則だよ」


 夜吹さんが振り向いて、俺にそう言った。真っ暗な瞳に萎縮しそうになるが、そこは耐える。


「入れ替わりの戦奏に敗れてしまったのなら、カナディアンの資格も人権も剥奪されて、地下で棒をグルグルと回して人生を終える。それが鉄則なのさ」


 マジで人権奪われるのかよ。謎の棒回す人生にされんのかよ。冗談であってくれよ。


「平沼くん。キミは彼にだけその規則を当て嵌めないなんてことは、不平等だと思わないかい?」


 超正論が返ってきた。全くもってその通りだ。でもだからといって、黙って見過ごすわけにはいかない。


「なら獅子瓦だけじゃなく、これから俺は入れ替わりの戦奏ってやつで戦った相手全員、同じように見逃すって言えば……どうにかなりませんかね?」

「何のデメリットも無く入れ替わりの戦奏を行えるとなれば、キミに挑んでくる者達が後を経たなくなるかもしれないよ?いや、確実になるだろうね。それでも……キミはいいのかい?」

「いいですよ。それで獅子瓦が許されるんなら、別に」


 いや良く考えたら、絶対に良くなかったわ。目と目が合ったらバトルとか言って、四六時中戦いを挑まれそう。


「…………そうかい。分かったよ。キミに免じて彼を見逃すことにしよう」


 何とか獅子瓦の人権は守られたらしい。夜吹さんのその言葉によって、獅子瓦を連行していた男達が一気に手を離した。


「平沼くん、キミは面白いね。また会える時を楽しみにしているよ。それじゃあ……またね」


 夜吹さんが俺に小さく手を振った後に教室から立ち去ると、スーツの集団もゾロゾロとその背中を追って消えていく。

 これにて本当に一件落着。入れ替わりの戦奏が終了した。


「……平沼、ありがとな……この借りは今度必ず返すからよ……」

「ああいや別に。そんな気にしなくても」


 獅子瓦が俺の方に歩いてきたかと思えば、見事な一礼。ゴラァって口癖がそういや無くなってんな。浄化されたのか?表情が穏やかだ。


「……恩に着るぜ」


 そう言って獅子瓦は俺に背中を向けて、妹さんと一緒に教室から出ていく。


「清々しいくらいに負けちまったぜ。平沼浩二……あんな男がいるんだな。腕も器も俺の完敗だった」

「……平沼先輩……」

「お、どうした詩乃?お前まさか――」

「――――――」

「――――――――」


 抜群の聴覚が拾い上げる兄妹の会話が、途中から全くの無音に切り替わる。急にどうした。これ難聴ってレベルじゃねーぞ。あの二人の会話だけが一切聞こえない。まるで世界が聞かせるのを拒んでいるみたいだ。


 不可思議に機能してる耳を手のひらでパチパチと叩いていたら、


「やったな浩二。儲け物だ。何はともあれ勝って良かったな」

「なあなあ!お前アイツに一体何したんだよ!?」


 健一は労いの言葉を、京は興奮冷めやらぬ様子で興味津々に、俺に話しかけてくる。


「……まあ、色々とな……」


 全てが終わった安堵感にホッと気が抜けた。朝からなんて疲労感だ。精神的な疲れが半端ない。こんなの何回もやりたくないのに、今後は何百回も挑まれそうで憂鬱。

 

 はぁ……助けてください櫛宮さん。ちょっと今日の夜にでも櫛宮さんに電話かけてみようかな。何の解決策にもならないとは思うけど、何だか無性に話がしたくなってきたよ。櫛宮さん、君って……マジで凄いな。

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