気軽に受けたのはミスらしい
カナディアンの座をかけた入れ替わりの戦奏とやらを獅子瓦と行うことが今しがた正式に決定した。
種目は闘奏。そのルールは単純明快で、互いに拳を交えて最後まで立っていた方の勝ちとなる。要するに単なる殴り合い。
昨日までの俺だったら自分があんなゴラゴラリーゼントと殴り合いをするとなれば、ブルブルと教室の隅で半泣きで震え上がっていたに違いない。だが、今の俺は違う。
今の俺には恐怖心なんてものは一切無くて、努めて冷静に状況の客観視が出来る程度には落ち着き払っている。
だからこそ本気で思う。どうなってんだこれは、と。
どうやら俺が思っていたよりも入れ替わりの戦奏というものは、かなり仰々しいものらしい。一種のスポーツと言っても差し支えがないのかもしれない。
俺はてっきり喧嘩のようにパッと始まってパッと終わるものだとばかり思っていたが、その認識は明確な誤りだった。
まず闘奏というものには、しっかりとしたレギュレーションが存在しているらしい。
ま、良く考えなくても決まり事ぐらい当然あるよな。こんなのは実質格闘技みたいなもんなんだから、階級別とかにしておかないと不公平感は否めない。
もし何の縛りもなかったのなら闘奏なんてものは、体格の良い筋肉ダルマが無双して終わる欠陥種目。規則はあって然るべきだ、間違いない。
これから闘奏を行う身の俺からしたら有り難いお話だ。ギチギチに決められたルールってのは安心感に直結する。
つってもルール無用の何でもありだったとしても、ただの人間に負ける気はしないんだがな。残念なことによ。
にしても…………さっきは本当に驚いたぜ。
獅子瓦が闘奏と口にした途端に、サングラスにスーツ姿の堅苦しい格好をした大人の集団が、教室にゾロゾロとなだれ込んで来やがった。
学校のどこにもこんなエージェントじみた連中はいなかったはずなのに、一体どっから湧き出てきたんだろうか?
表現としてはすこぶる悪いけど、どんな閉め切った環境でも何処からともなく現れるウジ虫が嫌でも頭に浮かんでくる。
俺は瞬く間にその異様な集団に取り囲まれて、あれよあれよと流れるままに身長や体重の測定をされていく。
軽い身体測定のみならず、体温や血圧、心拍数、その他諸々まで徹底的に検査された。され尽くした。
それは本格的なメディカルチェックそのもので、ここまでするかぁ?と思わずにいられなかった。健康診断を受ける手間が省けたとポジティブに考えるしかない。
ついでに俺の健康状態を申しますと、極めて良好だった。全ての値が一番最適な数値にピッタリと当てはまっていたようだ。お医者さんが驚いていた。
残念なことに、獅子瓦もその検査を通過してしまったようだ。冒頭で正式に決定した、と俺が言ったのはその為だ。
お互いに厳正なる審査を突破しちゃったので、これからマジで獅子瓦と拳を交えることとなる。
「絶対にゴラァ!テメェをゴラァ!ブッ倒してゴラァ!その座をゴラァ!奪ってゴラァ!やるゴラァ!からなゴラァ!」
さっきよりもゴラァの頻度増えてない?めっちゃ喋りにくくない?キャラ作りも大変ですね。
流石に最後のは、奪ってやるからなゴラァ!程度にとどめとこうよ。奪ってゴラァ!やるゴラァ!からなゴラァ!は見過ごせないって。ツッコまずにはいられないって。
「……はぁ……」
血気盛んな獅子瓦の様子に、やれやれ……と俺は肩を竦めずにはいられない。溜め息が出てくる。
シンプルに憂鬱だ。上手く加減が出来るのかが不安すぎる。受けたのは間違いだった。頭に血が
なあ、皆はガガンボって知ってるか?最弱とも呼ばれてる虫の名前だ。
ソイツはちょっと触っただけで、むしろ触らなくても風圧だけで身体がバラバラになる場合があるぐらいに貧弱な虫なんだが、今俺が置かれているこの状況はそのガガンボとタイマンするのと同じと考えてくれていい。
それもガガンボ側がマジで来るんだぞ?死に急ぎにも程がある。振り払った手が当たったら死ぬし、振り払った時の風圧で死ぬし、誤って殺してしまうパターンが千差万別すぎる。
本当に難しいし、本当に不安だし、本当に憂鬱だ。
なるべく穏便に、いっそ手も出さないで勝てる方法を捻り出そうと頭をうんうん働かせていたら、袖をクイクイと後ろから引っ張られたので、誰だよ邪魔すんなよ、と思いながら振り返れば
「なぁ……む、無理すんなよ……危ないからやめといたほうがいいぜ……」
と、京が不安げな表情で俺を見ていた。身長差によって必然的に上目遣い。こうなったことに責任を感じているのか、その瞳はとても潤んでいて、今にも水晶玉みたいな涙がこぼれ落ちそうになっている。
ふぅ…………危なかった。ギリギリ好きにならないところだった。いやなったら駄目だろ。危ない危ない。
「ま、どうにかなるだろ」
そうだ。億劫になってる場合じゃない。俺が終わらせないといけないんだ。
そうしないと京があの野郎の次のターゲットにされちまう。
闘奏で殴り合うことは京の体格的にまず無いだろうが、それ以前にコイツをこの変な緊張感のある戦いの場に出すこと自体気が引ける。
「どうにかってお前……っ!」
「落ち着けって。安心しろ」
楽観的で能天気な俺の言葉に触発されたかのように、京の感情が爆発的に膨れ上がっていくのが分かった。
それが爆ぜる寸前で、ぽんと京の頭に手を置いたら
「どうにかする」
俺はキッパリとそう言い切る。大真面目にそう言い切ってやった。
これは背水の陣だ。やると言ったからにはやらないといけない。
どうにかなるじゃなくてどうにかするって言ったんだから、どうにかする。ただそれだけだ。
「……分かった、お前を信じるぜ」
「………………」
ん、なんだ?これは違和感……?何らかの違和感が俺の中で
今の流れで俺は何かを、核心に迫る何かをした気がする。それはこの勝負においての光明となる何かで、この先の人生においての光明にもなる何か。
……………………はっ。そうだ。そうだよ。このさらさらとした手触り、俺は京の頭に手を置いたんだ。
なのに京の頭は吹っ飛んじゃいない。これはつまり加減が出来てるということじゃないか。他ならないじゃないか。
「どうだ京?普通か?」
「な、なんだよ?!」
「痛くないか?」
「別に痛くはねぇけど……っ!何で俺を撫でてんだよ……っ!」
間違いない。俺は普通に京を撫でることが出来ている。尋常なパワーを常人並みに抑え込められている。
力の制御方法さえ完璧に覚えられたのなら、この人生の軌道はまだまだ修正可能。早いとこ会得しておかないと。
この感覚を忘れるなよ俺!諦めるな俺!ネバギバ!
「ようお二人さんお熱いねー!するってぇと新婚さんかい?」
「あらやだバレちゃいました?お恥ずかしい!」
「なわけあるかバーカ!」
いきなり入ってきた健一が茶化すようにそんなことを言ってきたので、俺はそのノリに合わせて茶目っ気たっぷりで返してみる。
そしたら京が怒ってパシンと手を雑に跳ね除けられた。やった!どかされた!普通だ!普通だよ!これ普通だよ!
「……勝算はあるのか?」
健一のおちゃらけた表情が一変し、スッと真剣な顔に切り替わったかと思えば、小声で俺にそう聞いてくる。
「さて、どうだか」
勝算に限れば十割ある。内訳を説明すると、殺人が七割で未遂が三割ってところか。甘く見積もっても、な。…………不味いね。
「ありそうだな。安心した。お前がそういう顔してる時は大丈夫って時だし」
コイツは鋭いな。中学時代からの絆は伊達じゃないぜ。
大丈夫かどうかってのは、まだ分かんないけどね。俺は大丈夫だけど向こうが大丈夫なのかは、悲しいことに断言出来ない。
「平沼浩二、獅子瓦連八。準備が出来たらその中に入るように」
いつの間にか教室の中央にはリングが出来ていた。
まあ別にリングとは言っても、中心を取り囲むように四隅の柱に幾つものロープを張ったような豪勢なものじゃなくて、重ねた机を円形に並べているだけの簡易的なものに過ぎないけどな。
「やっとかゴラァ!待ちゴラくたゴラびれゴラたぜゴラァ!」
おいおいやりすぎやりすぎ。二文字ごとにゴラを入れるのはキツいって。超言いにくそうじゃん。もはや罰ゲームの範疇じゃん。やめゴラときゴラなさゴラいよゴラァ。
「よし、頑張ってこい」
「絶対に勝つんだぜ!信じてっからな!」
バシバシッと二人に背中を叩かれて、俺はリングに送り出される。
感覚はやはり無かったが、心に響く感情はあった。
チャンピオンを目指して試合に赴く格闘家の気持ちが、ほんの少しだけ分かった気がする。おこがましいか。
リングの中に入ると、獅子瓦が指の関節をゴキゴキと鳴らしながら俺の前に立ち塞がった。
「俺と会ったのが運の尽きゴラなぁ!残り僅かのカナディアン人生せいぜい謳歌しとけゴラよ!」
あ、しまいにはマジもんの語尾になっちゃったよ。喋り方がマスコットキャラみたいになっちゃってるよ。気が抜けるゴラね。
「さあさあみなさん!盛り上がってまいりましたぁー!間もなく試合開始のお時間となります!」
突如リングの外から快活で聞き心地の良い声が聞こえてきたので、自然とその方向に目を向けると、オレンジ寄りの茶髪をした女の子が長机に座っていた。ヘッドセットをつけているが……それいるか?
ちなみにその子のリボンには緑のラインが入っているので、一年生だと思われる。しれっとその左隣に座ってる男のネクタイには赤が混じっているので、こちらは三年生だ。
あ、甲斐先輩でしたか。ならあの子はもしかしなくても
「実況はこのわたし!放送部一年
ああ、実況だな。実況ネームだな。甲斐雪雄と同じ類の人間がいたのかよ。何て偶然だ。
「解説には三年の甲斐先輩と戦奏統括委員会代表の
「ああ、この名にかけて解説させて貰おう」
「ふふふ、楽しみだね」
ずっと気になってたけど右隣のその強キャラ臭半端ないお姉さん誰だよ。墨汁のように黒い髪に光の灯ってない黒い瞳に黒い帽子に黒いスーツと黒尽くし。雰囲気からして闇属性っぽい。
てか戦奏統括委員会って何?そこの代表さんなの?代表がこんな田舎に来てていいのかよ。
「みんな準備は出来てるかぁーー!?!」
「「「「うおおおおおお!!!!」」」」
ゴメン、俺は出来てないです。この世界のスピードについてかれない。置いてかれてる。
「今日のこの日この時を……あの日からずっと……待ち望んでいたゴラぜ……やっとだ、やっと……ゴラ」
何らかのバックボーンがありそうな、含みを持たせた発言するのやめろよ。後で掘り下げないといけなくなるだろうが。
「……野暮な質問なのは百も承知だけどよ。やめる気は?」
「はっゴラァ!ナメた質問しやがってゴラァ!――」
やっぱ戦わないと駄目か。ここまで来といて何を日和ってるのかって自分でも思うけど……本当にやるしかねぇんだな。
無駄な雑念も一緒に払うように首を横に振ったら、視界の片隅でゴングに向かって木槌を振り下ろす瞬間が見えた。
「では、始めっ!」
カーンと教室に鳴り響いた合図と同時に獅子瓦は、俺の懐に多分凄いスピードで颯爽と飛び込んできたんだと思う。
「――愚問だゴラァ!!」
ついで俺の顔面に向かって飛んでくる拳は、ゴツゴツと骨張っていて硬そうだった。まさにボクサーって感じの拳だ。
俺はあんまりボクシングには詳しくないんだが、それでも今俺に放たれてるこれが基礎がしっかりとしている洗練されたパンチだとすぐに分かる。
獅子瓦、コイツ確実に経験者だ。それもかなり熟練の。
くそ、これは拙い。ただの素人だったら偶然勝ってしまってもまだおかしくないのに、経験者が相手だったら話が全然変わってくるぞ。
俺は喧嘩なんて数えられるぐらいしかしたことのない善良な一般市民だ。そんな俺がこの拳を簡単に
だからと言ってわざと殴られるのも何だかな。
痛くないとは言っても、進んで殴られたくはない。
あー、どうする……?殴られるか、避けるか。どっちを選べば自然なんだ。
目の前の二択を延々と反復横跳びしていたら、獅子瓦の拳と俺の顔との距離が10センチ以内にまで接近していた。
そこでやっと俺は決断を下す。俺の選ぶべき選択は。
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