櫛宮さんサイドのお話らしい2 後
いつの間にかわたしの横に立っていた平沼くんは、中身のたくさん入ったビニール袋を持っていた。
平沼くんが言うには一人でこっそりと教室で、撮影後の打ち上げをするつもりだったらしい。
だけどきっと……ううん、絶対にそれは嘘だと思う。
平沼くんはわたしを心配してここに来てくれたんだ。それを直接伝えたら変に気を遣わせてしまうと思って、平沼くんはそんな嘘をついてくれたんだ。
やっぱり平沼くんは優しい。でもその優しさが苦しい。とっても嬉しいのに、とっても悲しくなる。
好きになってはいけないのに、また好きな気持ちが増えた音がした。心の底から彼女さんが羨ましい。
わたしがまだ知らない平沼くんの何もかもを知っている誰かがいると思うだけで、心が引き裂けそうになる。
わたしはもう平沼くんの顔を見れなくなってしまっているみたいだ。前を見れない。下しか見れない。
それだけならまだしも、先ほどからずっと平沼くんがわたしに色んな話題を投げかけてくれてるというのに、返事すらろくに返せてない。
「……ってわけでさー。はは」
また平沼くんが一つの話題を終わらせたと思えば、手に持っている缶コーヒーのラベルを眺め始めている。
そろそろ愛想を尽かされてしまいそうで怖い。平沼くんに見切りをつけられる……考えただけでわたしの身体はいっそう萎縮してしまい、抜け出せない負のスパイラルに陥っていた。
わたしだって平沼くんとたくさんお話とかしたい。
けれど話をする度に、仲良くなる度に、好きになってしまう度に、心の傷が深くなるのは決まっている。報われない気持ちを抱えたままで生きられるほどわたしは強くない。
これ以上平沼くんと仲良くなったら、想いが強くなってしまったら、致命傷は避けられない。今が既に致命傷じゃないのかと言えば嘘にはなるけれど、重傷と重体は別物だ。
今ならまだ、胸が痛むぐらいでこの気持ちを終わらせられる。
「………………」
平沼くんが口を閉ざした後に流れる静寂の時間。
わたしはその都度、切り口を探そうとしてしまう。
この気持ちにキッパリとお別れを告げるために、確定させておきたいのだ。平沼くんに彼女がいるかどうか。
未練がましいわたしは心のどこかではまだまだ諦めきれてないらしくて、実はあの子は平沼くんの彼女さんじゃなくてただのお友達だったり、もしかしたら双子の妹さんだったりするんじゃないかとか、そういうありもしない淡い期待を持ち続けていた。
あの子が彼女さんなのかを聞きたい……だけど怖い。
一度でも聞いてしまえば、後戻りは出来なくなる。
平沼くんに面と向かって「うん、いるよ。最愛の彼女なんだ」なんてことを嬉しそうな顔で言われたら、倒れないでいられる自信がない。うう、どうしよう……。
「…………」
で、でも……聞かないと、ダメだよね……。
ずるずると想いを引きずったままでいても、いいことなんてないし……。
よ、よし!勇気を出そう!ファイトわたし!
「あのさ」
「あのっ」
最悪だよ……!わたしってなんでこんなタイミング悪いの……!?
「あー、……どうぞどうぞ」
「ううん……平沼くんからでいいよ……っ」
この機に乗じて先に言えばいいものを、わたしには出来なかった。無理だった。
だ、だって出鼻を挫かれちゃったせいで、せっかく作った勇気が壊れちゃったんだもん……仕方ないもん……。
「………………」
また流れ始める静寂の時間。
臆病なわたしは平沼くんの方を見れずに、その時間をただやり過ごすことしか出来ない。
「櫛宮さん」
突如、その静寂を切り裂くように教室に響く平沼くんの声。名前を呼ばれた。それだけで胸がまた高鳴る。
そして、単に名前を呼ばれただけでは終わらなかった。
気づけばわたしは平沼くんに手を握られていた。
平沼くんの手がわたしの手を包み込むと、そこからポカポカと温かな感情が迫り上がってくる。
「……ひゃっ……?!」
と突拍子もない声を出しながらわたしが顔を上げると、平沼くんの顔がすぐ目の前にあった。凄く真剣な顔をしているように見える。
か、かっこいい……じゃなくて、……へ、ふぇっ!?き、キスでもされちゃうの……?!ど、どうしよう……!こういう時って目は閉じた方が……じゃ、じゃなくてっ……!ど、どういう状況……!?
「俺はいつだって櫛宮さんの味方だ。世界を敵に回すことになったとしても絶対俺が守る。約束するよ」
真剣な顔で、真剣な声で、平沼くんがそんな言葉をわたしに言ってくれた。胸がドキドキと激しく高鳴る。顔が熱くなるのも良く分かった。
ず、ずるいよ……こんなこと言われて、もっと好きにならない方がおかしいよ……!
「へっ、あ……だ、ダメだよ……っ!」
咄嗟に平沼くんから顔ごと目を逸らす。
平沼くんの顔を至近距離で長く見ていたら、戻れなくなる気がした。
「そ、そういうのはわたしじゃなくて……彼女さんに言ってあげないと……っ」
手から離れる温もりに寂しくて悲しい気持ちを覚えながらも、それが正しいんだと自分に言い聞かせる。
だって平沼くんには彼女さんが、
「いや、今は彼女なんていないよ?」
…………へ?い、いないの……っ?
平沼くんが不思議そうな顔でわたしの方を見ながらそう言った。その何を言ってるんだろうと言わんばかりの表情から、嘘をついていないことが良く分かる。
「で、でもっ……さっき凄く仲良さそうに話してた子は……?」
じゃあ撮影前、撮影中、あんなに楽しそうに平沼くんと話をしていた女の子は、
「ああ、アイツは女じゃなくて男。普通の友達」
お、男の子……っ?う、嘘だよ。どこからどう見ても女の子だったもん……そう思ったけれど、やっぱり平沼くんの顔は嘘なんてついているように見えない。
もしこれで仮に平沼くんが嘘をついていたんだとしたら、俳優にだって詐欺師にだってなれる演技力だ。
「そっか……そうだったんだぁ……っ」
なんだ、全部わたしの勘違いだったんだ。
平沼くんに彼女さんなんていないらしい。
あ、ダメダメ……わたしってば安心しすぎだよ。どうにか耐えようとしても顔が緩み始めるのが止められなくて、慌てて下を向く。
はぁー、ほんとにほんとに良かったぁ……って、今の声に出ちゃってたかも!?
「あ、えっと!ち、違うからね……っ?!」
平沼くんに今のを聞かれてしまったかもしれない、わたしの気持ちがバレてしまったかもしれない。これはまずい。
わたしをただの友達だと思ってる平沼くんからしたらそんなの迷惑極まりない。それも昨日会ったばかりなのに好きだなんて普通ならおかしい話だもん。軽い女と思われちゃうかもしれない。
「分かってる。分かってるよ」
平沼くんがどこか察してるような顔で頷いている。またわたしを気遣ってくれてるんだ。わたしの気持ちがバレたのかまでは分からないけれど、その優しさに甘えることしか今のわたしには出来ない。
「そうだ。そろそろお菓子でも食べない?」
話題を切り替えるように平沼くんがビニール袋の中からお菓子を取り出していき、机の上にそれらを並べる。色々な種類のものがあった。どれもこれも凄く美味しそうに見える。
「普段こういうお菓子とかって食べたりするの?」
平沼くんの質問にわたしは首を横に振って答えた。
お菓子は好きだけど自分で買いには行けないし、誰かに頼むというのもトラブルが避けられない。
それに食べてるところなんて撮られたら、そこの製造会社さんから山のようにその商品が送られてきたりするし、それ以外にも競合他社とのヒエラルキーや株価、その他諸々に影響が出てしまう。嘘みたいな本当の話。嘘ならいいのに。
「ならこれからはその心配はもうご無用。何かあったら俺が買ってくよ。ヒラゾン、いや……このヌマゾンに任せてくれ」
平沼くんは、優しすぎる。どこまでも甘えてしまいそうになる。
でも……ここは我慢。平沼くんに迷惑ばかりかけたくない。
「別に気にしなくていいって」
平沼くんは優しいからそう言ってくれるけど、頑としてここは譲らないようにしないと……!
「それに俺が櫛宮さんともっと会いたいってだけだし」
わたしの固かった意志は、平沼くんのその思いがけない一言によって、一瞬で粉々に破壊されてしまった。
身体中がお風呂上がり……それ以上に、瞬間的に火照ったような感じがした。思考回路も上手く纏まらなくなる。
平衡感覚すらも無くなって、フワフワとした浮遊感に包み込まれ、今立っているのか座っているのかも分からなくなりそうだ。
「櫛宮さん?!櫛宮さんっ?!」
そして気づいた頃には平沼くんがわたしの側にいた。というより、平沼くんに支えられていた。平沼くんの腕の中にいた。
「だ、だいじょ、だから……っ!?」
「いやどう見ても大丈夫では無いって!」
わたしを心配してくれている平沼くんの顔がさっきよりも断然近くにあって、もう限界寸前だった。それなのに平沼くんはまだまだ顔を近付けてきている。
や、やっぱりキスでもされちゃうのかな……!?脳裏を掠める色々な想像がわたしの脳内キャパシティを瞬く間に埋め尽くし、そのまま限界を迎え、強制シャットダウン。
それ以降は良く覚えてない。
ただ、凄く幸せな夢を見ていたのは確かだ。
記憶の再開が始まった時、わたしは何故か平沼くんの背中にいた。かなりの時間眠ってしまっていたらしい。疲労感も何もなくぐっすりと眠れたのは生まれて初めてだった。
起きた後、何度も何度もわたしは平沼くんに謝った。
迷惑ばかりかけて、反省しか出来ない。
それでもやっぱり平沼くんは優しくて、わたしのことばかり心配してくれていた。
別れ際、平沼くんが見惚れてしまいそうになる笑顔で「またね」と手を振ってくれる。
また会えるんだと思ったら、それだけで凄く嬉しくなった。
はぁ……本当に、本当に、平沼くんに彼女さんがいなくて良かったぁ…………。
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