中々起きてはくれないらしい

 さて、どうしたもんか。俺はどうしたらいいのか。

 こっから先取るべき行動を考えるために、まずは現状の再確認をしないことには始まらない。サラッとおさらいしよう。

 

 えーっと……今の俺は不可抗力ではあるが櫛宮さんを抱き締めている。実際は支えてるだけなんだけども、客観的に見れば完全に抱き締めちゃってる。この現場を第三者に万が一にも目撃されたのなら八つ裂きは避けられないだろう。むしろそれ以上も普通にあり得る。無人で良かった。本当に。切実に。

 で、櫛宮さんが椅子から放り出される寸前で咄嗟に支えたので重心は低い。床に思いっきりついた片膝が痛む。無理に屈んでいるような今の体勢は足腰にとても負担がかかり、めちゃくちゃキツい。苦しい。脚がプルプルしてきた。

 

 よし、まずはこの体勢をなるべく落ち着いたものに変えていこう。それを最優先事項としよう。

 大まかな方針は決まった。後はそれに従って事を進めればいい。俺はなるたけ櫛宮さんに振動がいかないように慎重に、緩やかな動きで腰を落としていく。


「…………んぅ、……」


 安らかな表情の櫛宮さんが小さく息を溢す。地雷原を歩いてる時ぐらいの緊張感の中にいる俺に比べてなんて呑気なものだ。ま、それだけ疲れてるってことか。

 やっぱあれは過労だったのかな?今の櫛宮さんの顔色は正常、体温も平熱そのもの。凄い健やかに寝ている。

 無理矢理にでも起こしてしまえば俺の抱えている諸問題は文字通りの意味で解決するんだろうけど……それをしたら罪悪感にさいなまれそうだ。やはり今は素直に寝かしといてあげよう。


「……よっ、と」


 窓際だったのが幸いだった。すぐ近くの壁を背もたれとして使って床へと座る。

 ふぅ、これでかなり楽になったな。めでたしめでたし…………じゃないですよね。分かってるよ、そんなの。


「……すぅ、……ん……」


 俺の腕の中には櫛宮さんがすっぽりと収まったまんま。流石に櫛宮さんを床に無造作に寝転がせるわけにはいかない。なんていうか神罰が下る気がする。下手に動いて変なイベントを起こすのも怖いので、とりあえずの現状維持。他意は無い。


「本番はこっから……か」


 見ているこっちも眠くなってくる櫛宮さんの熟睡ぶり。ちょっとやそっとじゃ起きそうにない。最低でも一時間は覚悟しておくべきか。

 食い物はあるし、長期戦は問題無し。俺の念入りな準備が思いがけず功を奏した。

 ネックなのは夜の学校というロケーション。怖い。普通に怖い。俺幽霊とか苦手なんだ。死ぬほど。

 電気をつけたいのは山々なんだが、そうするといかんせん目立つ。教室に人がいるとバレてしまう。櫛宮さんが意識を失ってる今は人払いの特殊効果が解除されている可能性が高い。石橋は叩いた方が良いし、危ない橋は渡らない方が良い。

 待て待て、その前に特殊効果ってなんだ?俺は何を受け入れてるんだ?そんなのあるわけないだろ。非現実的だ。異世界ファンタジーじゃあるまいし。


「……ひ……ま……ん……」

 

 櫛宮さんどんな夢を見てんだろう?君いま肥満って言った?


「……すぅ……ふへ……」


 櫛宮さんがむにゃむにゃと俺の首元に犬みたいに擦り付いてくる。くすぐったい。寝る時に抱き枕を使うタイプとみた。

 そしてきっと夢の中で美味しいものでも食べてるに違いない。顔が緩んでらっしゃる。ゆるゆるだ。


「平常心、平常心」


 ここまでクールぶってきてたけど、実はドキドキを超えて心臓がバックンバックンって今まさになってるんだよね。鳩が出てくる造りの時計みたいな感じで心臓が外に飛び出しそうだ。

 だってよ……こちとら彼女なんていたことないんだぜ?女子に対する免疫があるわけないだろ。無菌室で育ったも同じだ。根本的に耐性が無いんだよ。

 

 え、てか女の子ってこんな甘い匂いをしていて、尚且つこんなに柔らかいの?特に俺の胸ら辺に当たってる一段と柔らかいコイツは……アレか?アレっすか?アレなんですか?アレでいいんですか?アレなんですね?

 あわわわわわ落ち落ち着け平沼浩二。こういう時は素数を数えろ。……で、素数って何だっけ?それすら分からなくなってる。今なら俺からかかってきたオレオレ詐欺にだって騙される自信がある。


 よし、ここは気を紛らわせよう。ネットだ、ネットしかない。俺はすぐさまスマホを取り出す。

 かなり暗くなってきた教室の中、唯一光りを放つ画面が目に悪い。それでも指でスイスイと操作続行。

 

 何を見ようか?そうだ、さっきの櫛宮さんの症状でも調べてみるか。

 真っ赤な顔や潤んだ瞳、そんなキーワードを打ち込んでの検索。ヒットするのは熱とか風邪などの想定通りのページばかり。中には恋だとかそういう馬鹿馬鹿しいことをのたまっているサイトもあったが、今日日きょうび中学生でもそんなの信じねぇよ。

 

 やっぱ風邪っぽいな。櫛宮さんなんてスケジュールが常に埋まってるだろう超売れっ子、睡眠時間とかを切り詰めてたりするに違いない。疲労がかなり蓄積してるんだ。

 加えて気温の変化が著しい季節の変わり目、体調なんてのはそりゃ崩すに決まってる。


「はー、一気に冷えたな」


 今言った通りの季節の移り変わりの真っ只中、一週間と少しすればもう十月。

 九月下旬だろうと昨今の地球温暖化のせいで日中は普通に暑い。だが日が暮れたら話は別で、急に冷え込んでくる。

 冬服への移行期間は既に始まってるし、こんなことになるんなら上着を着てくれば良かった。ブレザーさえあれば櫛宮さんに毛布の代わりにかけてあげられたってのに、詰めが甘かったぜ。


 度胸のある人間なら人肌で温めるとか言って腕の力を強めたりするんだろうが、残念ながら俺はそんなものを持ち合わせてはいない。

 でも緊張で体温自体は結構温かくなってると思うから、湯たんぽぐらいにはなれてるはず。それで勘弁して下さい。


「んん……っ、……んぅ……」


 櫛宮さんも同じく寒くなってきたらしい。そっちはスカートですもんね。ズボンの俺より寒いに決まってるよね。……だからって脚まで絡ませてこないでくれ、密着しすぎだ。こんなトコ見られたら磔だよ、晒し首確定だよ。


「……すーはー、すーはー……」


 ひとまずは心を落ち着かせる目的での深呼吸。別に櫛宮さんの匂いを熱心に嗅いだりはしていない。本当だって、信じてくれよ。

 

 そんで更に心を落ち着かせる目的でスマホを操作、櫛宮さん関連の検索。

 くの時点で櫛宮さんしかサジェストに出てこない。てか空白の時点で出てきてた。

 そして一番上に出てきたのは『櫛宮奏 彼氏』というサジェスト。それをタップ。


 出てきた記事、それら全てがそんなものはいないという結論で締め括られていた。

 デマしか書かれてなさそうなゴシップ雑誌ですら櫛宮さん関連ではそういった下世話な記事を出してすらいない。

 これぞ聖域ってもんだな。見事なまでの統一感。


 お次は質問サイトなどに目を通す。

 櫛宮さんに彼氏がいたらどうしますか?とかそういう質問を覗いてみた。ただのIFの質問に過ぎない。

 だというのに質問者がフルボッコにされている。いるわけないだろって、それを言っちゃあおしまいだろ。

 中には真面目に答えてる人達もいたが、それらの回答はことごとく俺のメンタルを破壊し、恐怖心を煽った。人類の黒歴史といえるおぞましい拷問のフルコースを堪能させられかねない。手を繋いだ時点で万死らしいんだから、そりゃそうなるだろうとは内心思ってはいたけどさぁ……


 まあでもこれで作戦通り心を落ち着かせることは成功した。落ち着いたってか震え上がったの方が当てはまりそうではあるが、軽率な行動を踏みとどまれた。

 危うく櫛宮さんの頭を撫でそうになってたからな……全く本当に危なかった。


 ホッと一息。気が緩んだその隙を突くように、


「のわっ!?」


 教室内にいきなり鳴り響いたのは一定のリズムを刻む電子音。ビックリした。死ぬかと思った。思わず素っ頓狂な声が出た。

 電話だ。それも俺宛じゃない。俺のスマホは何も言ってない。櫛宮さん宛だ。


「櫛宮さん、電話電話」

「……………んん、………」


 耳元で伝えてもくぐもった音が返ってくるのみで、起きる気配は欠片も無い。着信音じゃアラームの役割は果たせなかったらしい。当然俺が代わりに出るわけにはいかないし無視だな、無視。


「随分とまあ……長いな」


 結局その着信は一分以上続いた。そしてやっと止まったかと思ったら、また間髪を容れずにかかってきた。

 これはもしかしなくても重大な電話か?何だか嫌な予感がする。


「櫛宮さん櫛宮さん」

「……ひぁぬま……くん……」


 やはり呼びかけるだけじゃ起きなさそうだ。

 いっそのこと叩くってのは……いや、それは絶対に駄目だな。


「起きてくれ、頼むから」


 それでも櫛宮さんを起こすべく俺は頑張った。

 身体を揺さぶったり、背中などをトントンと軽く指で小突いたりしてみた。


「…………すぅ、すぅ……」

 

 逆効果だった。櫛宮さんが更に深い眠りについている。安心しきった顔をしている。

 確かに良く考えたら今の行動全部が子供をあやす時のやつだった。寝かしつける時のソレだった。俺の馬鹿。


「あ、止まった」


 暫く続いていた鬼電が止むと、やっと静寂が教室に帰ってくる。

 これにて一件落着……なわけは無いだろうな。あの電話は絶対に重要な何かだもん。だがもう知らん。現実逃避だ。

 

 スマホを弄り、最近ハマっているゲームを開く。

 そのゲームはプレイヤー人数が三桁どころかその半数にも余裕で満たない程度に知名度の低いマイナーなもので、その内容はボールを転がしてゴールに辿り着かせるという至ってシンプルなもの。作りは動画サイトの広告とかで流れてそうなレベルの仕上がりだ。ああ、落ち着く。


「相変わらず惚れ惚れするぐらいの過疎っぷりだことで」

 

 クリアタイムをランキング形式で掲載してるけど、無駄にその枠が多いのも素晴らしい。全部で1000位まで載せられるらしいが現在の最下位は36位。一体何年経てば全て埋まるのだろうか。凄い楽しみだ。


「よっと、っし」

「………んぅ、……んん、……き」

「あーくそ、ミスった」


 目の前に転がっている問題は放置したまま、櫛宮さんの寝息をBGMに俺は画面の中のボールを延々と転がし続ける。

 櫛宮さんが起きるまで俺はボールを転がし続ける。感情無く無心でボールを転がすだけの生き物になる。そう心に決めた。

 んでその途中、けたたましいサイレンが聞こえてきた。


「なんだ?何か事件か?」

 

 んでんで、少し身体を伸ばして外の様子を窺うと、赤い光がたくさん瞬いていた。

 んでんでんで、上の方でも眩しい光が飛んでるのが見えた。


「…………は?」


 目が本当に点になっていたと思う。状況が理解出来なかった。いや……違うな、理解するのを拒んでいたが正しい。ありえなさすぎたんだ。現実味がこれっぽっちも無い。

 あのだな、学校が完全に包囲されてんだ。おびただしい数のパトカーとヘリがあんだ。凶悪なテロリストでも出たのかと疑いそうになる超絶厳戒態勢だったんだ。


 一人誰かが前に出てくる。その人はパリッとしたスーツが良く似合うキャリアウーマン的な美人さんだった。肩の辺りで黒い髪がキッチリと切り揃えられていて、仕事が出来そうな風貌をしている。

 手にはメガホンを持っていた。大きく息を吸っているのが見える。何をするつもりかは明らかだった。

 次なる行動を予期した瞬間、勝手に動いた俺の身体。櫛宮さんの頭をグイッと引き寄せ、耳を塞ぐように抱える。だってビックリさせちゃうからね。


「卑劣な犯人に告ぐぅ!!今すぐ奏様を解放しろぉ!!さもなければ殺すぞおおおお!!さもなくてもだがなああああ!!!!!」


 予想通り、鼓膜がビリビリと痺れるぐらいの音の暴力。とんでもないぐらい物騒なこと言ってやがる。てかどのみちじゃねぇかよ。見つけ次第られる奴じゃねぇかよ。こえーよ。何だよ。何だってんだよ。何が起きてるんだ。

 

 起承転結の繋がっていない急展開に思わず力が抜けて、手に持っていたスマホがゴトッと音を立てて落ちる。

 やっちまった、ヒビ入ってないよな?慌てて拾い上げるも、その衝撃で何らかの操作が行われたようで、画面が切り替わっていた。

 結果を共有!みたいなところを偶然開いたらしい。最近色々とゴタゴタの起きてるSNSの投稿画面になっていて、そんなに良くもないクリアタイムを呟きかけていた。

 すぐにそれを閉じて、そのSNS自体も閉じようかと思ったら、トレンド画面がスッと目に入る。


『櫛宮奏』『音信不通』『立てこもり』『犯人誰』『凡田町』『拉致監禁』『大丈夫?』『犯人死刑』


 ……………………あ、俺の人生終わった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る