櫛宮さんは苦悩してるらしい

 五分、十分……いや、もしかしたら三十分近くは経ったのかもしれない。辺りが少しずつ暗くなり始めている。その間、ただひたすらに気まずい時間が教室内に流れていた。

 櫛宮さんは身体を縮こめながら居心地悪そうに俯いていて、俺と全然目を合わせてくれない。たまに何かを言おうと顔を少し上げたかと思えばまたすぐに下を向いてしまい、そのまま三分ぐらい何のアクションも無く無為に時が経過する。そういった一連の流れが、既に十回近くは起きている。

 

 そんな中で俺はといえば缶コーヒーにチビチビと口をつけつつ、櫛宮さんに適当な話題を振ってみたりして、ひとまずこの重苦しい空間を少しでも軽くしようと頑張っていた。

 だけども下を向いたままの櫛宮さんから返ってくるのは曖昧で不鮮明な相槌で、耳を澄ましても中々聞き取れないぐらいの声量。話題に花が咲かないどころか芽吹きもしない。根すら張る気配が無い。どうすりゃいいんだ。交渉以前の問題だ。

 話が途絶える度にコーヒーをほんの少し口に含み、普段は気にも留めない成分表をじっくりと舐めるように眺め、一分ぐらいをそんな風に意味も無くやり過ごす。そのせいでもうそろそろ中身が空っぽになりそうだ。


 ご覧の通り櫛宮さんは何かを言いたがっている。それは分かる。

 お悩み相談を受ける準備は万全に整っているが、それでもまず相手側が話をしてくれないことにはそれ以前の問題。いくら城の守りを固くしても攻められないことには無用の長物だ。そして今その状況。

 

 …………はぁ、やっぱり俺の方から少し強引にでも悩みを聞き出すしかないのか。


「あのさ」

「あのっ」


 何故人は話を切り出そうとするタイミングが被ってしまうことが多々あるんだい?

 くそ、もう少し沈黙を貫けば良かった。


「あー、……どうぞどうぞ」

「ううん……平沼くんからでいいよ……っ」


 それからまた数十秒ぐらい気まずい時間が流れ、缶の中は空っぽになった。時間稼ぎはもう出来ない。

 こうなっては仕方ないな。俺も腹をくくろう。先手を取らせていただく。それも固く閉ざされた城門を突破するための強硬策でな。


「櫛宮さん」


 昨日の櫛宮さんを真似るように身を乗り出して、俺はまず櫛宮さんの手を握る。

 

「……ひゃっ……?!」


 俺の突飛な行動に驚いた櫛宮さんがバッと顔を上げた。必然的に視線が合う。それも結構な至近距離、まつ毛がギリギリ数えられないくらいの距離感だ。

 うん、顔が完璧すぎる。可愛い。てか今日ちょっと可愛い成分を摂取しすぎてんな。完全に過剰摂取オーバードーズだよ。

 

「俺はいつだって櫛宮さんの味方だ。世界を敵に回すことになったとしても絶対俺が守る。約束するよ」


 こういう台詞って良く聞くけど、本当に世界を敵に回しかねないパターンって多分俺だけなんじゃないか?冗談抜きで世界を相手に孤軍奮闘する可能性がある。

 まあでも俺が櫛宮さんの味方であるってことは、こんぐらいこれでもかって強調しとくべきだよな。あんな暗号を残してまで俺にSOSを出したことを考えると、櫛宮さんは精神的にかなり追い詰められていると考えていい。過言なぐらいがベスト。


「へっ、あ……だ、ダメだよ……っ!」


 櫛宮さんが目を逸らしたかと思えば、プイッと顔ごと逃げるように横へ、そっぽを向かれた。

 

 あー、これは作戦ミスりましたね。完全な失策だ。国が傾きかねない失策だ。普通に拒否られた。櫛宮さんを怒らせてしまった。耳がどんどん赤くなってる。

 土下座だ。これはもう土下座しか残されてない。

 そう判断を下した俺は疾風迅雷。即座に手を離してガタタッと椅子を引き、教科書に載せられるぐらいの見事な土下座を披露すべく屈もうとして、


「そ、そういうのはわたしじゃなくて……彼女さんに言ってあげないと……っ」


 不意に聞こえてきたその言葉に俺の動きはピタッと反射的に止まる。それが何故かと言われたら、俺という生き物に一番無縁だろう単語がその中に混ざっていたからに他ならない。


 か、彼女……?文脈的に考えてsheじゃなく、ガールフレンドの方の彼女だよな……?


「いや、今は彼女なんていないよ?」

「……へっ?」


 ゴメン嘘つきました。今だけじゃないです。一度もいたことないです。片鱗すらも無かったです。見栄張りました。


「で、でもっ……さっき凄く仲良さそうに話してた子は……?」


 …………あー、もしかしなくても京のことを言ってるのか?


「ああ、アイツは女じゃなくて男。普通の友達」

「……お、男の子だったの……っ!?」


 多分……そのはず。キッパリとは言い切れない。良く考えたらちゃんと確認したことが無い。確定はしてない。今回は正しい意味でのシュレディンガーだ。見るまでは分からない。

 もしかしたら普通に女の可能性も……いや、それは余りにも良くないな。男だと思ったら実は女でしたってのは、ガッカリする事ランキングで三位以内に入るね。むしろ優勝狙えるね。


「そっか……そうだったんだぁ……っ」


 何やら櫛宮さんがまた下を向いたかと思えば、絞り出すかのように深く息を吐いている。感慨深そうに安堵の言葉を溢している。微かに覗いている口角がちょっと上がっている。それも結構邪悪寄りに。

 おい待て、そんなに俺に彼女がいないのが嬉しいの?そりゃこんな奴にいるわけないよなぁー……って安心してるよな?聞こえてないと思ってるかもしれないけどさ、良かったぁーってとこまでバッチリ聞こえてるから。絶賛傷付いてるよ。


「あ、えっと!ち、違うからね……っ?!」

「分かってる。分かってるよ」


 我に返ったらしい櫛宮さんが髪をひるがえしながら顔を上げ、勢い良く手と首を振って弁明を始めた。その慌てふためいた素振りを見て、俺はただ空気を読んで頷くことしか出来ない。

 あ、絶対何も違ってないなこれ。その咄嗟の気遣いが逆に刃となって俺の心に突き刺さる。俺は彼女という存在とは一生無縁なのだと改めて思い知らされた。


 これ以上この時間が続いたら普通に俺の心が壊れかねない。一旦、話を逸らした方が良い。男は涙を見せてはいけないんだ。


「そうだ。そろそろお菓子でも食べない?」

「う、うん!そうしよっ!」


 全く手をつけていない袋の中から菓子類を取り出していく、定番のものばかりだ。グミとかスナック菓子、チョコ、その他諸々。有名どころは揃えておいた。


「わー、全部美味しそうだねっ!」


 俺が机の上にそれらを並べていく度に、櫛宮さんは分かり易くテンションを上げている。

 まあとりあえず櫛宮さんがさっきまでの曇ったような顔から、晴れやかな表情に戻っただけ良かったとしよう。俺の心が犠牲になった意味はあった。


「普段こういうお菓子とかって食べたりするの?」

「うーん、あんまり食べないかなぁ。自分で買いに行ったりも出来ないし、わざわざ誰かに頼むのも気が引けるし……それに前にわたしがこのお菓子好きって言ったら、……とんでもないことになっちゃって……」


 櫛宮さんが徐々に遠い目になっていく。

 あー……家とか事務所が段ボールで溢れ返ったのかな?宣伝効果エグそう。櫛宮さんがご贔屓にしてますってだけで爆売れ確定だろうし。

 そう考えると自分で買いに行ったり出来ないってのは不便の極みだ。ネット通販だとしても櫛宮さんの家になんて直で頼めないだろうし、事務所に届いた時点で買った商品が他にバレて、スタッフがおせっかいで買い漁って来たりするに違いない。


「ならこれからはその心配はもうご無用。何かあったら俺が買ってくよ。ヒラゾン、いや……このヌマゾンに任せてくれ」


 これも俺にしか出来ない使命。櫛宮さんの生活を少しでもありふれた日常に出来るんならやらない理由はない。


「で、でもそんなの平沼くんに悪いよ。今日だって迷惑かけちゃったし……」

「別に気にしなくていいって」


 櫛宮さんが何だか申し訳なさそうに眉をへにゃりと下げている。この状態では真正面から攻めても有効打にはならなそうだ。

 なら搦手からめてを使おう。ここは俺が自発的に行いたいってことを強調するのが最善策。


「それに俺が櫛宮さんともっと会いたいってだけだし」


 やべ……言っといて何だけど、すぐに今のが間違っていたのは分かる。語弊しかない。かなり気持ち悪い台詞だ。イケメンでも許されない。自発的ってか打算的の間違いだ。これは訂正しないとまずい。人間関係に亀裂が生じる。


「あ、櫛宮さん今のは」


 慌てて前言撤回しようとするも、その言葉は続かない。

 何故かと言うと、

 

「…………あふ、ふぁ……」


 知らぬ間に櫛宮さんの頭から蒸気が勢い良く噴出していたからだ。顔なんてトマトみたいに真っ赤になっている。目を回しているようで、グラグラと身体が揺れていた。バランスが拙い。椅子から転げ落ちそうだ。

 どっからどう見ても異常事態。これは一体何が起きてるんだ。


「櫛宮さん?!櫛宮さんっ?!」


 俺は脱兎の如く素早く回り込み、床に派手に転げ落ちる寸前の櫛宮さんの背中に手を回し、どうにかその身体を支える。めちゃくちゃ熱い。まさか実際は体調不良だったのか?


「だ、だいじょ、だから……っ!?」

「いやどう見ても大丈夫では無いって!」


 腕の中の櫛宮さんと目が合う。先ほどよりも圧倒的な至近距離、今回はまつ毛だって数えられそうだ。にしてもやはり顔が赤すぎる。大丈夫と言う単語ですらきれぎれになってる。

 声がちゃんと届いているのかも不安だ。容態だって分からない。ただの熱ならまだいいが、変な病気だったら不味い。

 念入りに状態を確かめる目的でもう少しだけ顔を近づけて、櫛宮さんの顔をよくよく見つめる。駄目だ、まだこの先があったのか。そう思うぐらいにぐんぐんと櫛宮さんの顔が赤くなり、もはや真紅に変わっている。


 これは駄目だとスマホを取り出し、119番に連絡しようとした矢先、

 

「――――――っ!!」


 櫛宮さんが文章で表現するには難しい声を上げながら、爆発した。比喩表現じゃなく、爆発した。噴火の方が正しいかもしれない。

 そのままクタリと糸の切れた操り人形のように、櫛宮さんは俺の腕の中で気を失った。力無く伸びきっている。


「櫛宮さん?櫛宮さん?」


 声をかけるも一切の反応が無い。すぅすぅと安らかな呼吸音は聞こえてくるので、多分容態は安定したんだと思う。

 あれか?昨日の俺みたいに疲労が蓄積してたのか?でもあんなに赤くなったり、身体が熱くなるってことは普通無いよな?まあ、その辺は後で考えよう。

 

 それより今はこの状況をどうするかだ。身動きが全く取れない。疲れてるんだとしたら無理に起こすのは忍びないし…………もしかして、


「……ずっとこのままの状態でいなきゃ駄目だったりする?」


 窓の外で沈みゆく太陽を見て、暗くなっていく教室を見渡して、最後に腕の中で眠る櫛宮さんを眺めて、俺は呆然とそう呟いた。

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