櫛宮さんの秘密の暗号らしい

「ういーまひどありー、またほいよぉー」


 それはそれは気怠そうな別れの言葉に背中を押されながら、ガタガタという音を立ててスローモーションで開いていく過労死寸前の自動ドアをくぐり、俺は外に出る。

 左手にはズッシリと重みのあるレジ袋。見ての通り必要な買い物を済ませたところだ。


 それにしてもここの元ヤン(推測)女店主はいつ来ても客商売をしているとは思えないぞんざいな振る舞いだ。

 あんなの普通の店舗なら絶対に許されないぞ。これも個人経営だからなせるわざか。

 だからってキャンディを咥えながらは流石に駄目だろ。タバコじゃないだけマシだけどさ。

 呆れを通り越して感心すらしてしまいつつ、ちょいと後ろを振り返る。


 そこにあるのは少しくすんだ緑と黄色を基調にしたカラーリングのコンビニエンスストア。商店街を経由しない俺の正規での帰宅ルート途中にあり、日本全国に点在している大手のチェーン店ではなく、ここにしか存在しない個人店だ。

 

 THE・コンビニ。

 あ、いや別に雰囲気の説明とかじゃないぞ?本当に名前がそうなんだよ。THE・コンビニって名前なの。

 おいおい、SIMPLE2000シリーズかよ。いや古いなこの例えは。


 ……さて、このまま左に進んで行けば我が家に十五分ぐらいで辿り着くんだが、今日は真っ直ぐ帰れない理由がある。俺にしか出来ない使命がある。

 なので右に進んで、学校の方に向かう。

 歩きながら空いてる片手でスマホを操作。時刻はもうすぐ午後五時半になる。まだまだ太陽は元気に昇っている。

 周囲に充分注意を向けながら某SNSをタップ、櫛宮さんからのメッセージを再確認。


『わたしってば気が利かなくて本当にごめんなさい!撮影で平沼くんも疲れてるだろうし、それに予定だってたくさんあるだろうから、この後の話は無かったことにしていいからね!お疲れさま!』


 櫛宮さんから最後に送られてきているこの文章。

 俺はこの文章に深い疑問を抱いた。喉に刺さった魚の骨みたいに何かが引っかかった。

 このメッセージを額面通りに受け取れば、俺はこの後何か予定があると櫛宮さんに思われているのだ。

 だが別に無い。一切、これっぽっちも、欠片も無い。ちょっと悲しくなるぐらいに無い。二百色あるらしい白の中でも多分一番の白。超ホワイト。


 つまりだな、不自然の極みなんだ。このメッセージには他の隠された意味があると優秀な俺は考えた。

 そして一つの驚愕の真実に辿り着いた。余白もあるし、俺は知っての通りとても優しい人間なので、それをこれから察しの悪い皆さんにも優しく説明してあげようと思う。

 ああ、俺って超優しい。


 まず、各文章の最初と最後の文字を抽出する。

 各文章の頭文字を取ると、わさお。

 逆に末尾の文字を取ると、いねま。

 この六文字を組み合わせてアナグラム的に解いてみる。

 

 最初にわとおを組み合わせ、ワオにする。ワオとはネット上で一人称として使われる時がある。ワオ、つまりはわたしだ。

 残った文字はさいねま。もう皆、分かるだろ?逆から読め。

 まねいさ…………マネーさ。つまりは、お金ってことだ。

 ワオ、マネーさ。それが櫛宮さんが俺に伝えたかったメッセージ。

 正しい日本語に直すと、わたし、お金さ。これは超人気の有名人として生きている櫛宮さんの苦悩そのものを表していたのだ。

 わたしはお金なんだと……櫛宮さんはそう言っていたんだよ。人に利用されて、大金を生み出すだけの存在だと自分自身を思い込んでいるんだ。

 でもよ、そんなのって……あんまりだろ。

 

 撮影中のあの悩んでいた様子、それもこれも全てこれが原因だ。間違いない。

 櫛宮さんは唯一の友人である俺にSOSを出していたんだ。そして俺は運の良いことにそのメッセージを読み取れた。

 なら俺がやるべきことは一つ。櫛宮さんにそんなことないよって声をかけてあげることだ。話を聞いてあげることだ。


 とりあえずそのために必要な物はさっき買った。

 ジュースとかお菓子とか食い物とか結構買っておいた。

 後は昨日のように学校に残っていてくれることを願おう。会えないことには話にならない。


 自分にしか出来ない使命に駆られ、俺の足は気付けば早歩きになっていた。

 気分的にはそうだな、魔王に攫われた姫を助けに行く勇者みたいなもんに似ている。

 一刻も早く櫛宮さんの話を聞いてあげたい。友達の役目だ。


 やがて辿り着いた、我が校。

 校門を跨いだ途端に静寂が俺を包んだ。全く人の気配を感じない。

 それどころかこの地球に無数にあまねいているはずの生命を感じない。

 でもその中で一つだけ確かな存在を俺は確信した。

 櫛宮さんはいる。今、この学校の中に。

 何の変哲もないこの校舎が、クリア後の隠しダンジョンに思えた。ラスボス以外、何も敵がいないダンジョンに。

 いや別に櫛宮さんがラスボスとか言ってるわけじゃないけどね、姫様だから。ステータス的には限りなくボス寄りの。


 昇降口から校舎に入る。中はシーンと静まり返っていた。

 普段の騒々しさは完全に鳴りをひそめ、物寂しい。でも何か重々しい。

 まるで世界に一人だけになったみたいな気分だ。アイアムレジェンドだ。いや、あの映画はヤバい敵がいるから例えとして的確じゃないな。それに怖くなっちゃう。


 人類が滅亡した後の終末の世界って、多分こんな感じなんだろうな。

 これで建物を覆うようにつたが生えてたら、雰囲気は完璧だ。そういう映画が撮れる。


 下駄箱に靴を入れて、上履きに履き替える。

 無人の校舎内を歩いたら俺の足音がとても遠くまで届いて、やまびこのように反響しながら音が返ってきた。

 

 ……ゴメン、ホラー映画の方がやっぱ正しいかも。

 まだ明るいから良いんだけど、夜の学校だったら確実にチビってる。ズボン濡らしてる。

 これが櫛宮さんの本気の領域なのか?何てこった。地球全体に適用された日にはマジで人類は滅亡するんじゃないか?

 これは責任が重すぎる。俺の肩に全人類の命が乗っかっていると言っても過言じゃないぞ。


 多分、このダンジョンの最深部は俺の教室。

 階段を上がる度にそれと比例して濃度が上がっている。何の濃度かは知らないが、確実に何かが上がっている。

 これを仮にクシミニウムと名付けたとしよう。通常の人間なら既に致死量を超えているだろうクシミニウムで中は溢れ返っていた。

 昨日の比じゃない。櫛宮さんが苦悩を抱えているのが明確だ。そうまで悩むくらい決定的な出来事が今日、俺の知らないところであったんだ。くそ、もっと早く気付けよ。


 不甲斐ない気持ちを抱えながら階段を上がり終えると、二組の教室へと続く廊下を見渡す。

 供給過多が過ぎるクシミニウムにより、真夏の陽炎みたいに空間が歪んでいるように見えた。

 まあこれは目の錯覚だろう。てか錯覚じゃないとおかしい。錯覚であれ。錯覚だよ。錯覚だろ?

 これはジャンルをSFに変えた方が良いかもしれないな。って、ジャンルって何?


 にしても……おいおいこれ明日大丈夫か?朝の高岡に起きた異変が学校の全員に起きないだろうな?休校にしといた方が良くないか?こんなのパンデミック確定だぜ。


「ま、行くか」


 とりあえず立ち止まっていたらここに来た意味が無いので、俺は足を進める。教室へと向かう。

 やはり空間の歪みは目の錯覚だったようで、しっかりと廊下を真っ直ぐに進む。

 たまに少し床がぐにゃりと柔らかくなったような気がしたが、まあ錯覚だ。錯覚だよ。足の錯覚だよ。稀にあるだろ?そういうのって。あってくれよ。

 

 今まで冗談で言ってきたけどさ、実際、櫛宮さんの機嫌次第で世界が崩壊したりするわけが無いだろ。それなら世界なんてのはとっくに崩壊してる。子供の頃の方が機嫌なんてのは上下に大きく振り切れるだろ?

 それが違うとしたら何だ?世界の存亡に関わるぐらいの重い感情が昨日今日でいきなり芽生えたってか?現実的じゃないだろ。そんなのは。

 たまたまだ、偶然だ。偶然少し陽炎が出来て、老朽化してた床を踏んだだけだ。


 いつの間にか廊下を進む俺は忍び足になっていた。足音を一切立てずに教室へと近づいていき、開いたままの扉から中を覗く。廊下とは対照的に教室の中はとても澄んでいた。まさに明鏡止水だ。

 そして想定通り、櫛宮さんは俺の教室にいた。窓際の前から三番目、俺の席に座っていた。私服に着替えたらしくクリーム色のカーディガンを着た状態で、机に突っ伏している。身動き一つない。寝てるのか?

 よし、それなら好都合だ。バレないように接近して、サプライズ登場するとしよう。


 後ろからゆっくり、ゆーっくり、ゆーーっくりと、櫛宮さんに近付く。

 あとほんの少しで手の届く距離、そこまで接近したところで、


「………平沼くん……」


 と心が締め付けられるぐらい儚く消え入りそうな声で、俺の名前が呼ばれる。

 のわっ、バレたか!?まさか背中に目が!?俺の後ろに立つなが来るのか!?

 サプライズ失敗かと身構えるも、どうやら気付いてはいないらしい。突っ伏したまんまだ。ビビった。


 なら、次はこっちのターンだ。

 教室に入る前にあらかじめ袋から出しておいた、キンキンに冷えたペットボトル(オレンジジュース)を、


「バーカ。無理すんなっての」


 キザで気遣いの出来る先輩ロールをしながら、櫛宮さんの耳にピタッとくっ付ける。

 頭ポンポンまでは出来なかった。てかしなくて良い。もっと普通に声かけろ。もう既に後悔してる。


「ひゃうっ……?!」


綺麗なソプラノボイスを教室内、いや校舎内に響き渡らせながら、櫛宮さんがビックリ箱のように勢い良く、盛大に飛び起きた。


「……へっ、ああれ……な、なんでいるの……?」


 櫛宮さんは側に立っている俺を見上げるとオバケでも見たような顔になった。その瞳はとても泳いでいる。荒波をかき分けて進むバタフライぐらい泳いでいる。えー萌えですね、これは。


「いやーほら、エキストラっていう大役を終わらせたわけだし、一人でこっそり打ち上げでもしようかと思ってさ。そしたら櫛宮さんが先にいたから俺ビックリしたよ。偶然だね、超偶然」


 初っ端から核心をつくのは良くない。こういうのはデリケートな問題だからな。ここに来た理由自体はでっちあげる。出来る男は違うんだ。

 いきなり、どした?話聞くよ?とかはどう考えてもおかしい。悪手の中の悪手だ。ちなみにさっきの話しかけ方は悪手の中の悪手ですね。はい。


「良かったら一緒にどう?なんか間違えて買い過ぎちゃってさー。金も無いのに何をバカやってんだって話だよな、あっはっは」


 本当……バイトでもしよっかな……近所だとあのコンビニぐらいしかねぇんだけど。くそ、最低時給ピッタリだったぞあそこ。足元見やがって。

 あ、てか明日1200円の出費あるのすっかり忘れてた……ヤッベェ。…………まあいいや。どうにかなるだろ。


「……うん、じゃあ……一緒にいい……?」

「いいよいいよ。飲み物なんて四本も買っちゃってさ。どれ飲む?」


 病院送りにされた高岡の席に座ると、俺の机の上に袋を置いて、購入した物を出していく。

 サイダー、オレンジジュース、ミルクティー、コーヒー、完璧な布陣だ。どれが来ても勝てる。世が世なら龐統ほうとうと呼ばれていたぐらいの用意周到さ。


 そして、ここからが俺の戦いだ。

 友人として、交渉人ネゴシエーターとして、腕が問われるぜ。やってやろうじゃねぇか。こんにゃろう。

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