平穏はもう無くなったらしい

 エキストラ……そう、今日の学校の難易度はエキストラだ。

 くそ、学校に向かう足が子鹿みたいに震えてやがる。

 一晩寝れば落ち着けると思ったら、朝から心臓がとんでもない。蒸気機関として代用出来そうなぐらいだ。


「おっはよーっ!浩二くん!」

「……っとと、お前は朝っぱらから元気そうで羨ましいよ」


 心ここにあらずな俺とは対照的に朝から元気満々の健一が、それはそれはウザいくらいニヤけた顔で俺にダル絡みしてきた。

 肩を組むなよ、鬱陶しい。暑苦しいって。

 で、何だってんだ?何でコイツはこんなにテンションが高いんだ?


「いやー、さしもの逆張り浩二くんも櫛宮奏には敵わなかったわけだ!まあ仕方ないわな!」

「はっ?えっ……?な、なに?ど、どゆこと?」


 何でコイツの口から櫛宮さんが出てくるんだ?

 まさかアレ見られてたの?え?嘘だろ?今日が俺の命日?


「何ってお前自分で忘れたの?あんな盛大に気絶しておいて」


 健一がキョトンとした顔で俺の方を見てきた。

 気絶……ああ、理解した。そゆことね。良かった。

 俺の爆睡はどうやら他の皆には生櫛宮さんを見たことにより引き起こされた失神だと思われてるらしい。

 ならそれを事実にしておいた方が俺にとって都合は良い。否定せずにいこう。


「ああ、そうそう。そうなんだよ」

「終わった後に戻ったら驚いたぜ。轢かれたカエルみたいに机にベッタリだもん。全然反応も無かったしよ。生の櫛宮奏を見たらそれも仕方ないかって先生まで気ぃ遣ってさ、空気読んでそのままにしておいたんだよ」


 だから誰も起こさなかったのか。変だと思った。

 普通はあんな暴挙を許すわけないもんね。教育の場としてどうかと思うけどな。

 放課後まで意識飛んでたなら起こしてやれよ。もはや救急車案件だろ。


「今日も勿論見に行くよな?」

「……あー、そうだな」


 見に行くというか、出るんだけどな。エキストラで。

 もう心臓がキュッてなってる。考えただけで倒れそう。

 

「お、珍しく乗り気だねぇ!櫛宮奏に惚れちゃったか?」

「ばーか」

「照れるな照れるな!そんなの当たり前の話なんだから!あの逆張り浩二くんがついに世間様の一員になれたってわけだな!めでたい!」


 健一のダル絡みが飛躍的に加速する。変な勘違いをされたようだ。しきりに頷いている。

 俺はと言えば朝から精神的に磨耗しているために、そんな健一を引き剥がす力も出ない。

 健一が得意気に櫛宮さんのことをクドクドと話してるのを横目に、無心で学校までの道を歩き続ける。

 俺と同じように学校に向かっている周りの人達から聞こえてくる話題も当然、櫛宮さんのことばかり。

 

 そんな超人気者の櫛宮さんの連絡先を俺が持ってるのがバレたらどうなるか……容易に自分の悲惨な末路が想像出来て肝が冷えた。

 スマホはもう誰にも貸せないな。ちょっと貸してって言われた時の緊張感が、そういうサイトの履歴とかが残っている時の比じゃない。

 心臓貸してって言われてるようなもんだ。貸せるか。


 憂鬱を通り越した暗澹あんたんたる思いを抱えて歩いている内に、いつの間にか学校の目の前まで来ていた。

 校門の前、昨日よりも人の数が多い。まさか毎日増えるわけじゃないよな?虫じゃあるまいし。

 ったくよ、この国には他の重大ニュースが無いのか?平和ボケにも程がある。他の国を見習え。


「――――!」

「――――――!」

「――――――!!」

 

 と思ったら、めちゃくちゃ外国の記者もいた。

 知らない言語が飛び交っている。全く聞き取れない。

 人種のサラダボウルになっていた。他の国もかよ……

 

 櫛宮さんがいれば世界平和も実現出来るんじゃないの?

 そして櫛宮さんに仮に恋人でもいたのなら、ソイツを共通の敵として人類が初めて一致団結出来るような気もした。

 その人はマジで可哀想だけど、世界平和の為ならそれが一番手っ取り早い気がする。


「インタビューいいですか?」

「いいですよ!」


 良くねぇよ。勝手に人を巻き込むな。

 やめてカメラ向けないで。ただの小市民なんです。


「昨日の撮影は見学に行きましたか?」

「はい勿論!当たり前じゃないですか!」

「生の櫛宮さんはどうでした?」

「もう……言葉にも出来なかったです!オーラが凄くて直視することすら無理で、この子なんて気絶までしちゃって!」

「ほほー!そうなんですね!じゃあその時のお話を少し聞かせて貰ってもよろしいですか?」


 おい、何で俺に話題を振るんだ。マイクを向けるな。ソイツとはカラオケ以外で関係を持たないことに決めてんだから。

 それに単純に溜まってた疲労が爆発して寝てしまったってだけのお話だし、なんにも面白くないってば。


「……凄かったです」

「えーっと……他には何かありますか?」

「すいません。いつの間にか倒れてたので良く覚えてないです」

「……そうなんですねー!流石は櫛宮さんです!」


 なので素っ気なくその質問をやり過ごす。

 これで使われないはずだ。こんな面白くもない受け答え撮れ高ゼロだもん。

 気絶してたら覚えてないのも仕方ない。これで良い。早く解放してくれ。


「――はい、ありがとうございました!今日も学校の方頑張ってください!」


 それから二分ぐらいしてやっとインタビューが終わる。俺が話したのはさっきのところだけで、後は全部健一が話して終わってくれた。

 俺はその間ひたすら空を眺めていた。羊みたいな形をしてる雲を見つけた。俺も雲になりたい。漂ってるだけだし楽そう。


 解放されたら次はボディチェック。

 また昨日と同じく体格がとんでもない筋肉ムキムキの大男に全身をまさぐられる。

 二日目にして少し慣れてきてる自分が嫌だ。こんなの絶対おかしいんだ。

 流れ作業みたいに、ベルトコンベアに乗せられたように、自然にやるべきことじゃないんだ。

 でも今後、無心でこの流れを受け入れてる自分がもう目に浮かぶ。それこそ死んだ目で。


「さっきのはもうとっくに全国に流れてんだろうなー。生中継だし。浩二も念願の地上波デビューが出来たな」


 え、あれ生なの?俺の部分だけカットされると思ってたから正常でいれたのに……クソッタレ。ふざけんな。

 念願なんてするもんかよ。地上波どころかBSだって出たくねーよ。パパとママのホームビデオでギリギリだよ。

 なのに何でエキストラなんて受けちまったんだ。


 俺も何だかんだ偉そうなこと言っといて、所詮同じ穴のむじなだ。櫛宮さんの頼みを断れなかった。

 朝起きてすぐサボる気持ちになりかけてたのに、櫛宮さんから『おはよう!』とメッセージが届いただけで、行かないとって思ってしまった。

 そして今に至っている。ちょろすぎる。


 重い足取りで校舎に入り、上履きに履き替えて、階段を上がる。

 教室へと向かって廊下を歩いていれば、遠くからでも分かるぐらいに俺のクラスは何だかガヤガヤとしていた。


「おーおー、どうした?」


 健一が先に中に入り、俺もその後に続く形で教室の中へ。

 俺の席の辺りが騒がしかった。正確には一つ前の席だ。

 

「おい高岡ぁ!?大丈夫かぁ!?」

「EDFはどうした?!EDFはまだ来ないのか?!何してやがる!?」


 俺の前の席のバレー部高岡が床に仰向けで、胸の上で手を組んで倒れていた。

 どうやら気絶してるらしい。いや……死んでるのか?

 とても満足そうで安らかな顔だ。この世に悔いを残さずに成仏していく幽霊の顔をしている気がする。

 それとAEDな。宇宙人攻めてきてないから。緊迫感が違ってくるから。

 

「平沼!気を付けろ!高岡の席が何かおかしい!」

 

 卓球部山田が血相を変えながら帰宅部俺にそう言ってきた。

 

 ……あー、……櫛宮さんが座ってたのが原因か。

 多分五分、長くて十分ぐらいだろうに、そんなに影響が残るものなんですか?残滓ざんしでこれ?

 櫛宮さんなら心霊スポットもパワースポットに変えられそうだな。浄化出来そうだな。冗談抜きで。


「……生きてて……良かっ……た」


 絶賛死にかけてるけどな。この教室を事故物件にしないように頑張ってくれ。

 

 多分櫛宮さんって劇薬なんだ。軽い摂取なら人の命を救えるんだろうけど、少し分量を間違えたら一瞬で致死量に変わるんだ。

 まさか分量とか致死量とかの単語を人の説明に使う時が来るとは思わなかった。


 まあ原因は分かったし、放っといて良いだろう。

 我関せずの態度で俺は自分の席に座る。

 普段ならスマホをスイスイと操作してるものだが、今後は辞めておいた方が賢明だ。それに不特定多数の人がいる場所で操作する勇気がまず出てこない。

 

 そのせいで特にやることがないので窓の外を見る。

 青い空、白い雲、黄金色に輝く田んぼ、広がる自然、紅の混じり始めている綺麗な山々。そして群がる人、人、人。

 ゾンビ映画かな?純朴な田舎の風景とのギャップが酷い。


 諸行無常にも似た思いに浸っていると、ヴヴヴッとポケットから突如として伝わる振動。

 大袈裟に俺の身体が反応して、椅子がガタガタッと音を立てる。ビビった。テーザー銃で撃たれたかと思った。

 周囲のクラスメイト達から怪訝な目が俺に届く。

 その視線に対して何でもないと手と首を振りながらスマホを出し、机の下で画面をチラリと覗く。


『平沼くん、今日は一緒に頑張ろうね!』

 

 予想通り、櫛宮さんからのメッセージだった。

 この場で返事を送るべきか迷っていたら、


「どうした?そんなコソコソして何かあった?」


 健一が声をかけてきた。また俺の身体がビクッと動く。


「実はちょっと朝から腹痛くてさ」

「おいおい大丈夫か?」


 どう見ても挙動不審。典型的な不審者みたいになってる。冷や汗すらダラダラだ。

 神経を張り詰めている現状で新たな振動が手からブルブルと伝わってきたが、それはどうにか耐え抜いた。


「顔色悪いぜ?あんまり酷いようだったら保健室行けよな」

「ああ、その時はそうするよ。さんきゅー」


 顔色とか冷や汗、その全てがちょうど腹痛の時の雰囲気と被っていたらしく、健一が大人しく引いてくれる。

 ホッと胸を撫で下ろしてから、またスマホを覗いた。


『あとね、撮影が終わった後って予定とかあるのかな?』

 

 櫛宮さんからのメッセージ。

 それに返信する前に、新しいのがまた届いた。


『平沼くんさえ良ければ、今日も二人でお話しとかしたくて……!』


 どうやらエキストラ以外にも今日の予定が増えるかもしれないらしい。

 そして俺は当然、断れなかった。肯定の意を送った後に机に突っ伏す。

 

 目の裏には昨日の櫛宮さんの顔がありありと浮かんでいた。ついでに魑魅魍魎の姿も。

 ただ何事もなく命を繋げたままで、今日が終わるのを願わずにいられなかった。

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