櫛宮さんサイドのお話らしい

 今日、わたしに生まれて初めて友達が出来た。

 もうあれから何時間も経ったはずなのに、今もまだ胸が高鳴り続けている。

 

 平沼浩二くん。それがわたしの初めての友達の名前。

 まさか生まれて初めて友達になってくれる人が男の子だとは想像もしていなかったけれど、とっても……とっても嬉しかった。

 家族以外に初めて増えた連絡先。平沼くんの名前を眺めているだけでついつい頬が緩みそうに……ううん、緩んでしまう。きっと今のわたしは気持ち悪いぐらいにニヤニヤしてしまってる。


 何かメッセージを送ってみたいのに、何を送ればいいのかがまず分からない。

 友達同士ってどういうお話をするんだろう?

 間違った接し方をして嫌われてしまったら立ち直れる気がしない。そのせいでさっきから書いては消しての堂々巡り、気付けば二時間以上はこの状態。

 初めての友達だから仕方ないとは言っても自分にがっかりだ。


 幾ら考えても永遠に解けなさそうな超難問。

 諦めたようにスマホを放り投げて、逃げるようにわたしは目を閉じた。


「……平沼くん、平沼くん……かぁ……」


 それでも逃げ場は無いみたいで、平沼くんの姿が目の裏に浮かぶ。

 何もかもが鮮明に思い出せた。平沼くんの顔も、わたしをしっかりと映してくれるあの瞳も。

 家族以外でわたし自身をちゃんと見てくれる人がいるというのが、こんなに嬉しいことだと思わなかった。


 思い返せば、ずっと色眼鏡を通して見られている人生だったと思う。

 お父さんが世界各国に何百万人もの門下生がいる櫛宮流の家元にして世界最強の武術家。お母さんは一世を風靡した超売れっ子女優。

 そんな両親の元に生まれたわたしは誕生したその瞬間から注目は避けられない存在で、普通の人生なんて歩めない運命にあったのだろう。

 でもだからと言ってまさかここまで普通からかけ離れた人生になるなんて……思ってもいなかった。

 

 五歳の時に子役としてデビュー。

 一度もオーディションは落ちたことがないし、途中からは受けることすらなくなった。

 勝手に向こうから仕事の話がやってきた。ひっきりなしに、息つく暇もなく。

 気付けば海外からの仕事も増えてて、トントン拍子で世界最高峰と呼ばれる賞にも輝いていた。


 周りから見たら順風満帆、多分それ以上の人生だと思う。でもわたしからすればそうじゃない。

 何かこの人生で喜びがあったのかと言われたら……何も無い。本当に何も。

 こんなこと思っているのがバレたらそんな贅沢なことを、と怒られるかもしれないけれど、それがわたしの本音だ。


 平凡な人生で良かった。違う、平凡な人生が良かった。

 普通に学校に通って友達と放課後に遊びに行ったり、ふらっと知らないお店に入ったり、そういう何でもない幸せのある自由な人生が良かった。

 崇めて奉られてるような特異な目で見られるのは苦手だ。普通の一人の人間として見られたい。見て欲しい。


 それでも人間というのは不思議なもので、段々とそういう目で見られることにも慣れていった。

 それが当然なんだと諦めていたんだと思う。

 たったの数時間前まで、わたしは完全に諦めてしまってた。

 

 何てことない、とある地方での映画撮影。

 いつも通りにわたしは仕事をこなすだけだと思ってた。何も期待なんてしてなかった。するはずがなかった。


 ドラゴンの尻尾にでも触ろうとしてるのかと思ってしまうぐらいおずおずと話しかけてくる監督や映画のスタッフ、関係者。

 撮影場所の高校に通っている人達、野次馬の歓喜の声に涙。

 何もかもが予想通りだった。一つの例外を除いて。


 当事者であるわたし自身がすっかり忘れてしまっていたこの異様な状況に対し、当たり前に抱くべきだった疑問や当惑、それらが混ざった複雑な表情を浮かべながら呆れ果てたように立ち尽くしている人がいた。

 その人を見た瞬間、もしかしたらとわたしは一瞬期待してしまった。

 けど、すぐにその感情には蓋をした。

 変に期待はしない方が良い。間違っていた時にその落胆はとても大きくなる。だからただの偶然と考えた。


 でもわたしの身体はその合理的な思考に反して期待をし続けててしまってたらしく、ずっとその人を見てしまっていた。

 その人は周りの様子にやはり驚いているように見えた。引きつったような顔をしているように見えた。


 そして不意に、目と目が合ってしまった。

 一秒、二秒……、普通ならもうこの時点で倒れてる。

 でもその人は目を逸らすこともせず、わたしを真っ直ぐに見つめ返してくれた。

 多分十秒ぐらいだったはずなのに、わたしにはその時間が一生のように思えた。

 抱いてはいけないはずの期待が爆発しそうなぐらいにわたしの中で膨らむ。今すぐに話しかけたい。

 そう思った途端、その人はわたしの前から消えてしまった。


 嫌われてしまったのかと、絶望が襲った。

 きっとわたしはわたし自身が苦手だった目で、その人を見てしまっていたんだ。

 だったら潔く諦めるべきだ。そんな目で見てしまっていた自分が悪い。

 だけどそんな風に簡単には割り切れない。

 だって家族以外で初めてわたしを何てことのない普通の目で見てくれた人なのに、諦められるわけがない。


 撮影が終了した後の放課後、校内の散策をしてみたいとお願いしてみた。

 下校中、わたしが堂々と話しかけるのは得策じゃない。

 なら最初は痕跡から、あの人が誰なのかをまずは突き止めるべきだと思った。

 この高校の制服のネクタイ等の一部、学年ごとに色分けされてるらしい。彼は青色で、青色は二年生の色だという。

 ならわたしと同い年だ。一つ接点を見つけられた。それだけで何だかとても嬉しかった。


 顔はしっかり覚えてる。だったら学校の図書館にあるアルバムか何かで彼を探し出せばいい。

 そう思って図書館の方へと向かってる最中、ある教室で思いっきり眠っている人がいた。

 見た瞬間にビビビッと来た。間違いなく彼だって確信した。


「…………すぅ、……すぅ……」


 本当に清々しいぐらいに眠っていた。

 惚れ惚れしてしまいそうなぐらいにあどけない寝顔だった。

 起こさないようにゆっくりと音も立てずに、わたしは前の椅子に座る。そして眠っている姿を眺める。


 目を覚ました時にどんな顔をするのか楽しみだった。でも恐怖もあった。不思議な気持ちだった。

 彼が起きたらその時にハッキリと答えは出てしまう。

 なら永遠にこのままで、時間が止まってくれたら良いなとすら少し思ってしまった。

 平和で穏やかで安らかで、わたし達だけが世界から切り離されてるように錯覚しそうな、静寂の時間だった。

 心地良さそうな寝息だけが微かに聞こえる。


 でもそんな至福の時間は当然永遠には続かない。

 一秒一秒は確実に過ぎている。

 高かった太陽も良く傾き、日没が近づいてきた。

 確か四時頃から見てたのでかれこれ二時間以上はそうやって彼の眠っているところを眺めていたはずなのに、何故だか全く飽きなかった。


 そして、その時がやって来る。


「やっちまったぁっ!!」


 と彼が飛び跳ねるようにいきなり顔を上げた。

 目の前にいるわたしには全く気付かず、いの一番に窓の方を見た彼は暗くなり始めてる教室内に目を丸くしている。

 鞄に手をかけて教室を出ようとしているつもりなのがすぐ分かった。このままでは普通に気付かれずに帰られてしまう。

 

 なのでわたしからおはよう、と声をかけてみた。

 そこでやっと気づいてくれたみたいで、彼がわたしの方へと目を向ける。

 お互いの目と目が先ほどとは比較にもならない至近距離で重なり合った。

 彼の目に動揺が分かり易く浮かんだ。でもその瞳の中には他の人とは違い、信奉にも似たあの苦手な感情は一欠片も混ざっていなかった。

 

 周りに必死に目を向けて、誰かに見られていないかを気にしている姿は何だか面白い。見ていて飽きない。

 ひとまずドッキリでも無ければ、校舎内には誰もいないことを伝えてみる。

 ホッとしたように彼は深く息をついた。


「……何で、ここにいるんですか?」


 そう聞かれたら少し意地悪したくなって、わたしは殆ど同じ内容で返してしまった。

 彼は何とも言えない目でわたしを見てくる。それすらも嬉しかった。一人の人間として見てくれてる証拠だ。

 もう間違いない。彼はわたしをわたしとして見てくれる人だ。そう確信した。嬉しくて堪らなかった。


 気付いたら身体が動いていて、彼の顔が目の前にあった。

 こんな距離で見つめても何も変わらない。むしろわたしの方が緊張してしまってる。心臓がバクバクしてる。

 自分で分かっているはずなのに彼に理由まで直接聞いてしまった。何故だか聞かずにいられなかった。

 

 少しの間沈黙が続いた。

 その間もわたしの心臓は騒ぎ続けていた。


「……ただ、櫛宮さんを櫛宮さんと思ってる……ですかね……?」


 その言葉を聞いた瞬間、わたしは生まれて初めての感情を覚えた。心の奥の方からそれがいっぱい込み上げてくる。

 求めていた以上の答えにわたしはいてもたってもいられなくなっていたらしく、気付けば彼の手を強く握りしめていた。


 この人なら、ううん……この人じゃないとダメだ。

 わたしの口から出てきたのは自分でも恥ずかしくなるぐらいに裏返った声。緊張が声から良く分かる。こんなことは未だかつて無かった。

 どんな撮影よりも舞台よりも表彰式よりも、今一番緊張してる。


「……えーっと、いやぁ……」


 彼は困ったような表情を浮かべていた。完全にわたしが困らせてしまってる。

 それでも引くことなんて絶対に出来ない。一生後悔を引きずるのは嫌だ。


 人と目を合わせて対等に話せることの嬉しさを知ってしまった。禁断の果実に等しい。もう忘れられない。

 接点を極力持たないようにしてきた反動だろうか、側に居てくれるかもしれない彼への執着が既に強くなってしまってる。

 そして何よりも彼と話しているのが楽しい。結局それに尽きた。


 返事が来るまでの時間がとても長く感じる。

 断られたらわたしは倒れてしまうかもしれない。

 長い沈黙の間、恐る恐る彼の方を何回も覗き見る。

 うんうんと考え込んでいる彼の顔が、やがて柔らかく穏やかな笑顔に変わった。その笑顔にわたしの胸が強く高鳴る。

 

 その後に伝えられたあの言葉をわたしは一生忘れない。

 すっかりと心の一番奥に刻み付けられてしまったみたいだ。

 思い出す度に顔が熱くなり、何だか良く分からない気持ちになる。


「…………やっぱり、何か送らないと……っ!」


 落ちていたスマホをわたしは即座に拾うと、またメッセージを考えてみる。

 最終的には自分でも笑っちゃいそうになるカチカチの文章になってしまったけど、これ以上考えるのも無駄だと思ってそれを送ってみる。その後は画面と睨めっこ。


 あ、既読がついちゃった……大丈夫だったかなぁ……?

 嫌われてないか、変な子と思われてないか……返事が届くまでの間、わたしはただビクビクと怯えていた。

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