唯一の友達に選ばれたらしい

 まず第一に深い深い海の底に沈んでいるかのような感覚があった。

 それが徐々に少しずつ少しずつ、浮上を始める。

 縫い付けられたように重かった瞼もそれに伴い軽くなっていった。


 どうやら知らぬ間に俺はぐっすりと眠ってしまっていたらしい。

 まだ完全な覚醒はしていないものの脳内はとてもスッキリしてる。体感的に七時間ぐらいは寝た後かな。

 そのぐらい充分すぎる休息に浸ったはずの俺の身体は、何故だか強く凝り固まっていた。

 

 背中と腰が少し痛い。寝具はベッドじゃないらしい。机で寝ちゃった感じか。

 夜中に宿題でもやってたっけ?机でこんなぐっすり寝るのは久々だ。


 …………ん、待てよ?俺いつ帰ったっけ?

 えっと、昼休みから記憶が…………昼休み、あっ!


「やっちまったぁっ!!」


 状況を把握すると同時に、バッと勢い良く顔を上げる。

 予想通り俺は教室にいた。それも日が殆ど傾いている。窓から差している夕陽でかろうじて辺りが確認出来るぐらい。もうじきに日没になる時間帯だ。


 今は九月なので、六時ちょいぐらいか?

 昼休みに爆睡に突入したとして……え、やっぱ六時間近くは寝てたの?

 何で誰も起こさないんだよ。おかしいだろ。鍵とか閉められてないよね?


 これはまずいと速やかな帰宅準備へ移行。

 机の横に置いてある鞄に大慌てで手をかけようとした時、


「おはよう」


 と前方から声が届いた。鼓膜にスッと溶け込んでいくような優しい声だった。

 女子の声だ。これまでに聞いた覚えが一度もない声。ということはクラスの女子のものじゃない。


 じゃあ、誰だよ。当然の疑問が俺を襲う。

 しかし幾ら考えたって答えはどうせ出ないだろうから俺はその声の方に目を向けた。


 そこには絵画があった。世界的な美術館でも大々的に、メインの展示品として扱って貰えそうな名画があった。

 正確には、そう勘違いしてしまいそうになるぐらいに絵になる女の子がいた。

 

 逆向きに椅子に座っていて、頬杖をつきながら俺の方をジーッと見ている美少女。

 窓から差し込んでいる夕陽も相まって、儚く幻想的な光景だ。綺麗な黒髪がキラキラと透き通るように輝いている。


「惚れ惚れするほど眠っちゃってたね。疲れてるの?」


 その子は首をこてんと傾げながら、追加でそう尋ねてきた。

 俺を気遣ってくれてるようだが……君がその疲労の大元だよ、なんて堂々と言えるわけもない。そんな度胸はない。

 

 てか何で櫛宮奏が俺の前にいるんだ?

 何これ?ドッキリ?テレビの企画か何か?

 ドッキリ大成功とでも書かれた看板持ってるの?

 そしたらもう出してくれよ。かなり驚いてるから。成功してるから。


 それよりもドッキリじゃなかった場合のパターンが何より怖い。

 こんな至近距離で会話をしてる場面を見られたり、撮られようものなら俺の人生はその瞬間にもうジ・エンドだ。

 日本はもとより世界各国から命を狙われかねない。国際テロリストも同然だ。勘弁してくれ。


「あ、大丈夫だよ。別にテレビじゃないし、わたし達以外誰もいないから」


 キョロキョロと歴戦のスナイパーのごとく周囲の様子を伺う俺とは対照的に、櫛宮奏は呑気にゆらゆらと手を振っていた。

 嘘は言ってなさそうだけど……誰もいないかなんてのは個人で把握出来るもんなのか?


「大丈夫だってば。少し一人にして欲しいってわたしがお願いしたんだから」


 頼もしいぐらいに圧倒的な説得力がその言葉にはあった。

 ああ、それなら大丈夫そうだなって不思議と確信してしまう。

 多分この世界で櫛宮奏からのお願いを断れる人間はいないと思うから。俺以外ね。


「……何で、ここにいるんですか?」


 だったらとっとと本題に入ろう。

 時間をかけてる暇はない。真っ暗闇になる前に俺は学校から出たい。夜の学校怖い。


「何でここにいると思う?」


 質問に質問で返しちゃいけないって習わなかったか?

 そんなに真っ直ぐ見つめられても、エスパーでもない俺が答えなんて見つけられっこない。ただひたすらに気まずいだけだ。


「うん、やっぱり……!」


 やがて櫛宮奏の瞳が宝石のように煌めいた。何かを確信したみたいだ。それが何なのかは俺には分からない。

 ただ、凄い嬉しそうなのは分かる。だってガッツポーズしてるもん。


「ねえ、どうして君は気を失ったりしないの……!?」


 裁判中の弁護士もかくやの様相で机に盛大に両手をつくと、櫛宮奏はグイッと俺の方に向かって身を乗り出す。

 端整をとうの昔に通り越してるだろう顔がすぐ目の前にやって来て、俺の視界をいっぱいに埋め尽くした。

 

 いや近い近い、落ち着け落ち着け。キスする時の距離の詰め方だから、それ。

 あと気絶って何だよ?人は目と目を合わせるだけで気絶なんて…………あ、しそうだな。昼の光景を見る限り、気絶で済んだらむしろ良い方だな。


「そんなこと言われましても……理由なんて特には……」


 本当に特に思いつかない。

 単に櫛宮奏も俺は同じ人間として認識してるぐらいだ。

 流石にそうとはストレートに言えないし、何より失礼がすぎる。周りの全員が彼女を人間として見てないと言うようなもんだ。

 

 少し言い方を変えるとして、んー……


「……ただ、櫛宮さんを櫛宮さんと思ってる……ですかね……?」

 

 ……何の哲学を言ってんだ俺は。意味が分かんない。

 自分で言っといて何だけど、本当に何を言ってるんだ。

 A=Aって言ってるだけだ。何の答えにもなってない。


「………………っ!」


 ヤバい、怒らせたか?プルプルと震えてる。

 何を意味不明なこと言ってんだテメェッて殴られても文句は言えない。俺ですらそう思ってる。

 しかしその心配とは裏腹に、俺の両の手がギュッと包み込むように握られた。

 その手から怒りや敵意は微塵も感じなかった。


「わ、わたしと……友達になってくれない……!?」


 櫛宮さんが真面目な表情で、少し頬を赤らめながら、強い意志が宿った瞳で俺を見つめながらそう言う。


 あー友達ね、友達?!誰が?俺が?誰と?あの櫛宮奏と?


「……えーっと、いやぁ……」

「……ダメかな……?」


 やめて、そんな捨てられた子犬みたいな目で見ないで。

 でも二つ返事で肯定していいもんじゃないだろ。これは。

 平穏な人生からかけ離れる人生になる可能性が出てくる。大いにある。確実にある。明確にある。


「……わたしね、友達なんて出来たことなくて……人と話そうとしても誰も目も合わせてくれないし……合ってもすぐに倒れちゃうし……入院しちゃう人もいるし……むしろ近づくだけで傷つけちゃうし……極力人を寄せ付けないようにしてきたんだ……」


 後半のエピソードがもろバトル漫画なんだよ。力の制御が出来てないラスボスなんだよ。悲しき過去なんだよ。

 誰もこの子に勝てないよ。ジャンプの世界に行っても活躍できるよ。海賊王でも火影でも何でもなれるよ。


 てか撮影はどうしてんの?他のキャスト大丈夫?

 全部CGだったりする?櫛宮さんのシーンだけ別撮りで後で合成してる感じ?


「だから今すごい嬉しくて……楽しい……!人と目を合わせて話すのってこんなに楽しいんだね……!」


 あー、これ……断れないね。

 断ったら世界の因果に殺される可能性まであるね。

 

「……だから、その……」


 櫛宮さんがもじもじと指の先を合わせながら、控えめに俺の方を何回も見てくる。可愛いわ、うん。可愛い。

 流石にこれを断れるほど……俺に人の心が無いわけじゃない。

 仕方ないな、さらば平穏……俺の人生に、


「櫛宮さん、俺と友達になってください」

「……はい、喜んで……っ!」


 幸あれ。


 ――――――――――


 というわけで俺に友達が一人増えた。

 それも国民的……いや、世界的人気を誇る同い年の若手女優だ。


 とりあえずあの後連絡先を交換して、今は無事に家に帰っている途中だ。

 すっかり辺りは暗くなっている。比較的街灯の多い商店街を通り抜けるルートを使うことにした。


 途中、佐々木の源さんが茫然自失としていた。

 手に持つあみぐるみが少し寂しそうに見える。何かあったのかな。

 特に気にせず通り過ぎる。

 

 八百屋の前でスイカを粉々に砕いてる咲子おばさんがいた。

 こんなのじゃ魅力の一つも引き出せてないじゃない!とか言ってた。もしかして偶像崇拝が禁止されてるのかな。

 特に気にせず通り過ぎる。 

 

 青山さんがのたれ死んでいた。

 野次馬に来て実物見てこうなったのか?

 特に気にせず通り過ぎる。


 特に何事もなく無事に家の前に辿り着いた。

 目撃者は誰もいないらしい。良かった。

 

 家に入ると家族が全員ダウンしていた。

 特に気にせず………………いや、おかしいだろ。流石に。


 櫛宮さん、撮影が終わるまでにこの町が崩壊してないか、俺はひたすらに心配だよ。

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