第3話 ひまわり

 くろーの剛速球ど真ん中な問いかけに一瞬言葉に詰まる、が、

「なにを根拠に?」

 向日葵ひまわりは平然を装ったまま再び問い返す。

 そんな彼女の態度に、くろーは少しだけ寂しそうな眼差しを向けたが、

「うちに浮気の調査依頼が来てね、でいつものように証拠集めにラブホ街うろついとったのよ、うん」

 調査依頼。黒ずくめの男・くろーは探偵事務所を営んでいるのだ。まぁあの風体を見れば察しはつくが。

「そしたら、男と一緒にホテル入る向日葵ちゃんをね、何度か見てしまったという訳なのよ」

 困惑している風に告げるが、芝居がかった口調は本心ではないことがわかる。

「……男と一緒にホテル入ったくらいでなんで不倫とか?」

 くろーに見られていたことに内心ゆれているのをおくびも出さずに向日葵。

 かたくなな向日葵に、くろーは何も言わずスーツの内ポケットから取り出した数枚の写真をカウンターに置き、

「悪いと思ったけど、ついうっかりね、撮っちゃった」

 見せつけるよう広げるさまに、"悪いなんてこれっぽっちも思ってないよね" と内心悪態をつく向日葵。

「でね、写っちゃってたのよ、指輪」

 向日葵が心の内で何と思っているかを知ってか知らずか、くろーは素知らぬ顔して左手を上げると薬指を右手で指し示して言う。

 並んで――少しばかり向日葵の方が背が高いのがわかる――歩いているふたり、ホテルの門を潜っていくところなどの写真の他に、男の左手を大きく写したものがあり薬指に鈍く光る指輪が見てとれた。

 同伴者が既婚者であるという証拠を見せつけられるが、

「――だから、なに?」

 向日葵はなんでもなさげに言い返し、続けて、

「わたしたちはお互い身体だけって割り切って付き合っている。お金のやり取りもしてない、そこになんの」

 問題が、と続けようとしたが、

「あるでしょ~?」

 苦笑いしながら食い気味に被せてきたくろーに制される。

「どっちも独り身ならね、大人な関係でいいけど、相手が妻帯者だとそれで済むわけないよね~」

 くろーは笑うのを堪えているような芝居がかった言い回しをしながら、

「……そこもわかってないする?」

 ビシッと真顔で向日葵に問いかける。

「仕事柄、浮気が元でダメになったうちいくつも見て来たよ。んだから向日葵ちゃんに当事者になってほしくはなかったりするんだわ、うん」

 言って、離婚調停が慰謝料がと、事例のようなことをいくつか口にする。

 そんなくろーに接していて、向日葵にはなにか引っ掛かるものがあった。何なのかをうまく言葉にはできなかったのだが、

「――ほら、あれだ、向こうさんにも子供いるわけだから」

 と、くろーが話の流れで言った瞬間、向日葵の頭の中ではっきりとしていなかったものの断片が組み合わさり形を作る。

 "浮気調査――よくある仕事、わかる。ホテル街の張り込み――わかる、けど、なぜ月一回行くか行かないかのを何度も見た? 偶然? 出来過ぎ、嘘? ……子供がいる――なんで知ってる?"

「……ねぇ、浮気調査って、のこと?」

 くろーの言葉を遮るように向日葵。

「――え、いやあのね、秘匿義務というものがあってね」

「答えて!」

 誤魔化そうとするくろーを、向日葵の抑えてはいるが強い声音が責める。

 向日葵に真っ直ぐ見据えられたくろー。しゃーないなって感じにため息をつき、頷いて肯定する。

 瞬間、静かだった店内に肉を叩く乾いた音が響き、フロアに黒メガネが転がった。

「回りくどいことしないで……ハッキリ言えばいいじゃないっ、調べてたのはわたしのことだって!」

 昂った感情を吐き出す向日葵を見つつ、叩かれた頬を抑えてくろーは "調査対象にバラしたら本末転倒でしょうが" と声に出さずつぶやく。

「――許されないことをしてるんだってわかっているわよっ、人の道にも反しているってっ」

 一度切ってしまった堰は戻らない。心の底にため込んでいたものがあふれ出るのを止められず、

「でもね、でもっ、そうするしかなかったのっ。誰かに支えてほしかったっ、寂しさを埋めてほしかったっ」

 カウンタースツールから下り、誰に向かって言うでもなく、全身から感情を吐露する。

「あの人は応えてくれたのっ、だから抱かれたの、悪い? ――ええ悪いわよね、妻子持ちとそうなるなんてさ。でも仕方ないじゃないっ、わたしには身体しか報いるもの、無かったんだからっ」

 叩かれた頬に手を当てたまま、激昂する向日葵を痛々しく見つめるくろー。

「優しかったのよ、優しくしてくれたのよっ。あの人に抱かれてると暖かくなれたの、幸せだったのっ」

 気持ちの高ぶりは抑えられず、抱えていたものを晒す向日葵。

「――おざなりになってきてた、わたしに飽きたんだろうってわかってる。でもね、抱かれるときの気持ち、変わんないのよっ。あの人に触れられてるだけで満たされる自分がいるのっ」

 ゆっくりと崩れ、フロアに座り込む向日葵。

「潮時だってわかってるのに、頃合いだってわかってるのに、別れてって言えないのっ、別れましょうって言いたくない――う、ああぁ……」

 ついに声をあげて泣き出す。その姿はまるで駄々をこねる幼子のようだった。

「――くろーくんもね、向日葵ちゃんが心配だったんだよ」 

 いつの間にかテーブル席から離れていたマスターが、泣きじゃくる向日葵に優しく語りかけながら、床から拾い上げた黒メガネをくろーへと渡し、

「こっそりわからせて、依頼主には浮気はなかった――みたいに終わらせようとでも考えてたんだろうよ」

 違うかな?って顔をして覗き込むマスターに、明後日の方向を向いてかわすくろー。

「他人の私が口を挟んでいいものかどうかとは思うが、年長者の小言とでも思っておくれ」

 言いながら店の奥側からカウンター内へ戻り、手を動かし始める。

「向日葵ちゃんがどうしてもその人を――というのなら私らは何も言えない。向日葵ちゃんの好きなようにすればいい」

 新しいコーヒーを作りながらの言葉に、黒メガネをかけ直したくろーが "進めば生き地獄" とかぼそり。

 愚痴ったくろーを怖い笑顔で抑え込み、出来上がったコーヒーを向日葵の席の前に出しながら言う。

「――でもね向日葵ちゃん、それでお天道様に顔向けできるかい?」

 その言葉をかけられた瞬間、向日葵は思い出す幼いころの記憶を。亡き父が生前教えてくれた自分の名前に込めた意味を。

 "向日葵って花はな、お日様に向いて咲くんだ。そんな風にお前もお天道様に顔を向けていられる人になってほしい"

 フラッシュバックする父の笑った顔。自分が長く生きられないのを知りながら、たくさんの愛情を注いでくれた父。

 ……なんで、なんで自分わたしは忘れていたんだろう。父さんにからいっぱい愛情もらっていたのに、寂しかったから、まだ足りてないって代わりを求めてしまうなんて。バカだわたし。本当、お天道様に顔向けできないね――

 両の手で涙を拭いゆっくりと立ち上がる向日葵。どこか遠慮がちに席に着くと、先ほどと同じように両手で包むようにカップを持ち、コーヒーを啜る。

「――美味しい」

 言って笑う向日葵。

 ぎこちなく浮かべる笑顔に、もう大丈夫かなと思うマスターとくろーだった。


   ――続く――

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