13接吻

 どれほどの時間が経ったかわからない。ただ、にわかに外が騒がしくなったことを、ルネは肌で感じていた。


 少しして、扉の外でバタバタと足音が聞こえた。そして部屋の扉が開く。入ってきたのは、予想通り宰相だった。


「ヴァイス、北の戦線が崩壊しました」

「っ。お父さんとお母さんは……!」

「今はわかりません。ただ、北西はほぼ帝国の手中でしょう。ヴァイス、やれますね?」

「……はい」

「国民を思い、術を発動してください。そうすれば、皆、宮廷魔導師の加護を受けられるでしょう」


 この背中に刻まれた術は、残酷な物だ。特定の範囲内で術者が願うと、敵対者の命を奪う。だから、国民を思わないといけない。国民を恨んでしまえば、彼らをも殺してしまう。他人の命を奪う術だから、自分の命を差し出さなければならないのは道理だ。

 ルネは深呼吸をして言葉を返す。


「わかりました。術式を発動します」


 よく言ってくれたと宰相はルネの頭にぽんと手をやった。その瞬間に、彼の娘を思い出した。ルネとそう変わらない年頃だった筈だ。だから、悲しそうな顔をしたのだろう。

 今まで、鉄面皮だったくせに。ルネは部屋から出て行く背中にそう思いながら、上着を脱ぐ。普段、外の空気にさらすことの無い背中。少しだけ寒く感じた。

 ルネは部屋に描かれた魔方陣に触れて、自分と接続する。この魔方陣は、この国と繋がっている。きっと、背中に術を埋め込んだ学園の地下にも、自分が生まれた北の村にも――。


(短い人生だったな)

(宮廷魔導師になってから、学生時代の友達と遊びに行けていない)

(気の置けない友達もできていない)

(好きな人はできたけれど、彼は――)

(ううん。最初から友達も恋人もいらなかった)

(どうせ失ってしまうから)


 深呼吸をしようと息を吸う。しかし、呼吸は一向に深くならなかった。

 だから、言い聞かせるように呟く。


「この命は、リヒタートの国民のために。ルネ・ヴァイスの残りの命を捧げます。どうか、皆が平穏な日常を取り戻せます様に――」


 その時、部屋の外からバタバタと足音が聞こえてきた。そして、怒鳴り声。


「何をしに来たのです! 止まりなさい!」

「魔力の高まりを感じた! そこに宮廷魔導師がいるのだろう!」


 宰相とレグルスの声だった。


「彼女はこの国を守るために戦っているのです!」

「貴国の生贄を捧げるやり方には、かねてより嫌悪感を抱かずにはいられなかった! あのような年若い娘まで!」


 ルネはそっと胸に触れて、術式を発動する。


(あぁ……レグルスさん、怒ってる)

(ごめんなさい)

(私、貴方が怒ってくれて嬉しいと思っています――)


 背中の魔方陣に呼応して部屋中の魔方陣が光った瞬間、ルネは前のめりに倒れた。その黒く美しかった髪はみるみる内に白く色が抜け、皮膚は瑞々しさを失った。


 そこに、レグルスが入ってくる。扉の向こうには尻餅をついた宰相。その姿を見て、ルネは意識を手放した。


「ルネ!」


 レグルスの叫び声が遠くなった。



 **



 温かい。手と肩が。

「目覚めなさい! 貴方がここで死ねば、新たな生贄を探さねばならなくなる!」


 あの人の、声が聞こえる。


「う……」

「国を背負うほど優秀な魔導師だというのなら、これ以上犠牲者を出さないようにするために人生を懸けなさい!」


 自分を叱責する声に、ルネは目蓋を押し上げた。焦点の定まらない目に、レグルスが映った。彼はルネの手を握り、肩を抱いている。


「ルネ!」

「あ……わた、し……」


 どうにか言葉を紡ごうと口を開いた瞬間、唇が塞がれた。

 ルネがそのことに気が付いた時には、彼の舌が口内に入り込んでいた。熱い。移された唾液を飲み込むと、喉が燃え上がり、身体の芯が熱を持った。


「んうっ」


 徐々に潤いを取り戻した瞳がレグルスを捉える。いつの間にか、身体の皺も元通りになっていた。

 すると、レグルスはルネから離れた。ルネは名残惜しさを感じてしまう。


「レグルス、さん」

「目が覚めましたか?」

「は、い」

「……はぁ。やっと、友人たちの魂を救えた」


 友人たちというのは、きっと今までの宮廷魔導師のことだ。そう思ったルネは、レグルスの服をぎゅっと掴む。彼は友人相手に口づけをするのだろうか? 自分は――。


「ルネ?」


 レグルス、服を掴むルネの手にそっと自分の手を重ねる。


「あっ……すみません、私……」

「いえ、もう少しこうしていましょう」


 そう言ってレグルスはルネを抱き締める。

 それを見た宰相は、溜め息を吐いてその場を後にした。




 少しして、レグルスが口を開く。


「あと、五十年といった所でしょうか」

「五十年?」

「貴方の残りの命ですよ。きっとその髪も生え替われば以前のように綺麗な黒になるでしょう」


 レグルスの手がルネの髪を梳く。そして、この色も綺麗ですけれどねと笑った。

 そんなことより、ルネにはあの口づけの方が大事だった。ただ、「好きだからしてくれたのではないのですか?」と口に出すのは恥ずかしくて、ルネはどもってしまう。


「そ、その……口づけ、は」

「貴方の唇が乾いていましたので。ああした方が早く生気を取り戻せるかと」

「そう、ですか」


 ルネはレグルスの腕の中で顔を伏せる。すると彼はルネの肩に回していた手で彼女の頭を撫でた。


「というのは後からつけた理屈です。貴方、私のことを好いているでしょう?」

「えっ。あっ」

「好きな者同士が、接吻をすることは不思議なことですか?」


 彼の余裕な言葉に、耳が熱くなる。自分ばかり緊張して、恥ずかしくなっている。ルネは意を決して顔を上げる。


「ルネ?」


 そして、彼の唇に自分の物を重ねた。触れるだけの簡単なものだった。


「ル、ネ――」


 丸くなるレグルスの目を見て、ルネは満足げに微笑む。


「好きな者同士なら、良いのでしょう……?」

「ええ」


 レグルスは少しだけ赤くなった顔を寄せて、もう一度、二度とキスを繰り返した。ルネとレグルスはぎゅっと手を握り合って、お互いを求め合った。

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