9逢瀬

 仕事終わり、クララに隠れてルネとレグルスは話す。


「――それで、貴方が施された術式に関する書物はありますか?」

「はい。ですが、禁帯出で……いつも夜遅くに持ち出して早朝に返しているのです」

「なるほど。では、また夜に」


 そう約束をしたその日から、レグルスはルネの部屋を訪れるようになった。異性を部屋に上げたことのないルネは緊張したが、彼が真剣に魔導書に向き合っている姿を見ると、そう思うことが恥ずかしいと思った。



 **



 ある日、行き詰まりを感じて二人は夜の庭を歩いていた。月光花は欠けた月によって光を弱めている。その分、星が綺麗だ。


「今晩は星が綺麗ですね」


 夜空を見上げてルネが言ったするとレグルスは「気が付きませんでした」と空を見上げる。


「長い時を生きていると、感覚が鈍麻になってしまいますね。なるほど、星が綺麗ですか」

「はい。星も、月も、花々も綺麗です」

「私は風情を理解できるほど感受性に優れてはいないのですが、貴方がそう言うならそんな気がしてきます。私の場合、何を見るかというより、誰と見るかが重要なのでしょうね」


 ルネはレグルスの言葉に、彼を意識していたことを思い出す。ここ最近は、魔術書に向き合ってばかりで忘れつつあった。胸の奥で燻っていた火種がぱちぱちと音を立てる。


「ヴァイスさん、知っていますか? 東洋の古い詩人は自分の思いを伝えるために『月が綺麗ですね』と言ったそうですよ」

「どういう意味でしょうか?」

「貴方と見る月は何よりも美しいということではないでしょうか? 私としては、そんなまどろっこしい表現をされてもピンと来ませんが」


 レグルスの瞳がルネに向く。二人は視線を合わせて暫く黙っていた。ルネの鼓動はうるさく鳴っている。そういうつもりで、月が綺麗だと言ったわけではなかったが、貴方と見る月だから綺麗だと思った――それは否定したくなかった。


「そういえば、私達、噂をされているみたいですよ」

「噂?」

「夜な夜な、逢瀬を重ねていると」

「っ」


 ルネにとっては初耳だった。恋愛ごとに疎く、噂話に耳を貸さないからだ。レグルスと噂されていることを、恥ずかしく――少し嬉しく思いながら、彼女は謝罪の言葉を口にする。


「リュミエラ様、申し訳ありません」

「いえ、認めてしまえば良いではありませんか。その方が会うのに困らない」

「そ、そんなっ」

「意中の方が王城にいらっしゃる?」

「い、いえ」

「そうですか。貴方のことを好いているような方はいるようですが」

「あっ……うぅ……」

「そういう男からの誘いを断るのにも私は使いやすいのでは?」

「ですが、リュミエラ様の名前をお使いする訳には――」


 ルネは顔に上ってきた熱が脳を熱してしまっているのではないかと思った。

 そして、彼の言葉で脳はどろどろに溶けてしまう。


「レグルスです、私の名は。思い合っている男女なのですから、名前で呼んで下さい」

「……レ、レグルス様」

「様は要りませんよ、ルネ」


 そういうフリだとわかっているのに、彼の微笑みにルネは恥ずかしさのあまり言葉がでなかった。


「ルネ、美しい名前です。貴方によく似合っている。ご両親からの、一番のプレゼントですね」


 そう言ってレグルスはルネの手を取る。ルネは自分のものより大きく骨張った手に、鼓動しか聞こえなくなる。彼は彼女の手を胸にやると、そっと囁いた。


「ルネ、このブローチに貴方の思いを込めて下さい。貴方になにかあれば、私がこれをご両親に届けます」


 彼の胸元には、ルネが渡したブローチがあった。

 そのことに気が付いた瞬間、ルネは現実に引き戻されて血の気が引いた。


「そんな顔をしないでください。これから、術式を発動しても助かる術が見つかるかもしれません。そもそも、術式を使わず寿命を終える可能性だってあります」

「そう、ですよね」

「ルネ」


 レグルスはルネの手をぎゅっと握る。


「リュミエラ様――」

「しっ。誰か見ていますね」

「えっ」

「失礼」


 彼の力強い腕に引かれて、ルネは気付いたら腕の中にいた。こうやって男性に抱き締められたことなんてない。固くなるルネ。するとレグルスは大丈夫だと耳元で囁いた。


「大丈夫です。もう少しだけこうしていましょう」


 ルネは全身強張ったまま、時間が過ぎるのを待った。




 レグルスがルネを解放した頃には、ルネはヘトヘトだった。


「おや、刺激が強すぎましたか?」


 余裕の笑みを浮かべる彼を、ルネは少しだけ恨めしく思ってしまう。彼にとっては長い人生の中で出会ってきた女性の一人かもしれないが、自分にとってはそうではないのだ。


「リュミエラ様、あまりこのようなことは――」

「レグルスです」

「…………レグルスさん」

「そう私を意識しないでください。きっと貴方の曾祖父よりもずっと年上ですよ」

「そう言われましても――」

「貴方は愛らしいですね」


 そう言われてしまうと、ルネは強く出られなかった。ドロドロに溶けた脳が、考えることを放棄していた。

 レグルスと別れて戻ってきた夜の部屋、ルネは悶々としてなかなか寝付けなかった。

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