8戸惑い

 翌朝、ルネは執務室で書類にサインをしながら溜め息を吐いた。その様子を見て、近くで作業をしていたクララが立ち上がる。少しして、部屋にハーブティーの香りがふわりと漂った。


「ルネ、何かあったのかい?」

せんせい……」

「話してごらん」


 ルネはクララから受け取ったハーブティーに口をつけて、彼女に話して良いものか悩む。宮廷魔導師の秘密が隣国の魔導師に知られてしまったこと、命を懸けることにまだ不安があること。


「ルネ?」

「あっ……いえ、なんでもありません。昨日夜更かしをしてしまって――。あはは、駄目ですね私……」

「そうかい」


 結局、ルネは本音を話せなかった。きっとクララは急逝した六代目の不安を聞いていた筈だ。それでも言葉にすれば、不安な思いがより強くなってしまう気がして気が引けた。


 そこに、規則正しいノックの音が響く。いつもと同じ時間、レグルスだった。


「ヴァイスさん、クララさん、おはようございます」

「お、おはようございます」


 普通に挨拶をしようとしただけなのに、喉の奥に言葉が引っかかった。いつもと違う挨拶にレグルスは苦笑いし、クララは訝しげな表情をする。

 クララは外向きの畏まった話し方でルネに話しかける。


「ヴァイス様、リュミエラ様と何かあったのですか?」

「えっ。い、いえ」

「アドラーさん、心配には及びませんよ。ただ、国を代表する魔導師として仲良くさせていただいているだけですから」

「そうですか」

「ですが、二人だけの秘密はできましたね。ね、ヴァイスさん?」


 レグルスに対しての視線が厳しくなったクララだったが、それ以上は踏み込んで聞くことはなかった。ルネはホッとする。レグルスとの間に起こった出来事を彼女に話すことは、自分にはできなかったから。


 少しして、クララが用事で部屋を出るとルネはレグルスと二人きりになる。意識してしまうルネだったが、彼の様子はいつもと変わらず、目が合うと口を開いた。


「そう警戒なさらないでください。貴方のことは誰にも話していませんよ。私の弱みは貴方が握っているのですから」

「リュミエラ様の弱み……ですか?」

「私の寿命のことです」

「あぁ」


 ルネはそのことをすっかり忘れていた。人ならざる者の血が混じり、長い時を生きている人。もし自分に同じ血が流れていたのなら、寿命の百年くらい国のために捧げたのに――。


「リュミエラ様が羨ましいです」

「余命が数百年もあれば死なない程度に術式を使っても良いと?」

「っ」

「私は今まで友人たちを見送ってきました。残される立場が羨ましいですか?」

「……すみません」

「いえ、貴方の気持ちも……いえ、正直わかりませんが、死を前にして不安になる気持ちは当たり前のことです」


 レグルスは青い目を細めて、優しく微笑む。ルネは実際の海を知らなかったが、この瞳と同じように温かいのだと思う。

 そんなことを考えていると、彼は言葉を続けた。


「その術式に対処する術は探していないのですか? 術者の寿命ではなく、例えば蓄積しておいた魔力を対価にするなどという方法は?」

「ずっと探しています。ただ、私では何もわからなくて――」

「なるほど。では私も手伝いましょう」

「えっ?」

「子供が苦しんでいるのを見過ごすほど冷たい人間ではありませんよ」

「ありがとうございます」


 彼の言葉にルネの心は少しだけ軽くなる。知識に長けた彼なら、きっとその方法を見つけてくれると思ったからだ。そうして心の余裕ができると、逆に彼の言葉が気になってしまう。


(私はやっぱり子供なんだ――)


 すると、心を読む魔術などこの世にあるはずが無いのに、レグルスはルネの心を見透かした様に言う。


「淑女に子供扱いは失礼でしたね。ですが貴方は私に比べてずっと若いですから。安心なさってください、貴方はとても魅力的な女性ですよ」


 顔が熱くなる。


「ただ、初心なところは大人というより少女のようですね」


 耳まで燃える様だった。

 その後、ルネはクララが帰ってくるまでレグルスの目を見られなかった。

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