7秘密

 翌日の夜、眠れないルネは月光花の咲く花壇のそばで魔術の練習をしていた。そこにレグルスがやってくる。


「ヴァイスさん、ここにいましたか」

「リュ、リュミエラ様! どうなさいました?」

「いえ、眠りが浅かったものですから。ここに来ても良いかと尋ねるつもりが、結局貴方を探してここまで――」

「リュミエラ様ならいついらしても構いませんよ」

「ありがとうございます」

「ですが、できるだけ声を掛けてくださると助かります」

「わかりました」


 レグルスはそう言って、ルネのそばに立つと月光花を眺める。


「ヴァイスさん、ここで何をなさっていたのですか? この場所に魔力が満ちています。月光花だけのものではないでしょう」

「恥ずかしいのですが、魔術の鍛錬を――」

「おや、宮廷魔導師であらせられる方がどのような魔術を?」

「実は、記憶を物に固定する魔術を練習していたのですが、なかなか上手くいかなくて……」


 ルネは握りしめていた手のひらを開いてみせる。そこにはボロボロになって欠けた紅玉が握られていた。強力な魔法を使う際には、魔石を使うことがある。握っている紅玉は魔石だった。


「ヴァイスさん、その術を見せていただけませんか? お力になれるかもしれません」

「わかりました」


 レグルスに促されて、ルネはもう一度紅玉に魔力を込める。成功すれば、紅玉が魔力で淡く輝くはずだ。しかしルネがより強く魔力を込めると、紅玉はピシッとヒビが入り、そこから砕けた。


「あっ……」

「なるほど、魔力の方向が乱れています。記憶を魔石に移すのですから、自分の中を通ってから魔石の方に送ってください。もう一度同じようにやってみてもらっても?」

「はい」


 ルネは新しい魔石を取り出して握り込む。そして、レグルスに言われた通りに魔力を流す。


「失礼」


 そこに、魔力を込める手に熱が重なった。レグルスの手が拳の上から包み込んでいた。自分のものより大きく骨ばった手に、異性だということを強く意識してしまう。しかし彼はなんでもなさそうに、ルネの魔術を手伝った。

 恥ずかしい。そんな思いがルネの中に満ち溢れ、魔石に固定される。レグルスがルネから手を離し手を開くように促すと、そこには淡く光る紅玉があった。


「どれ、実際に固定できているか確かめましょう」

「あ、わ、私が自分で確かめます!」


 彼に対する恥ずかしい気持ちが籠もった魔石など、ここで見てもらうわけにはいかない。ルネは慌てて紅玉をローブの中に仕舞い込む。

 いつもの彼ならそれを笑ってくれる、そう思っていたルネだったが、レグルスは笑みを浮かべてはいなかった。むしろ、どこか険しい表情をしている。


「リュミエラ様……?」

「この魔術は、遺言代わりに?」

「えっ?」


 レグルスの言葉に、ルネは驚いて声を上げた。急に遺言などと突拍子もないことを口にしたからではない。図星だったのだ。


「貴方の背中にある魔方陣をヘレナが見ています。初めてあったときにヘレナが貴方の服に潜り込んだのは、貴方の背中に強大な魔術を感じたからです」

「っ」

「その魔法陣は左胸まで伸びていたとヘレナは言っていました。それだけの術式、命を対価にするものではありませんか? いつ命を投げ出しても良いように記憶を固定するのですか?」

「し、失礼しますっ!」


 ルネはこれ以上その話をして欲しくなくて、逃げるように立ち去る。誰にも、知られてはいけなかったのに――。焦る気持ちよりも、この国を、命を懸けて守らなければならない重圧に負けそうだ。部屋へ帰る道を早足で進んだせいで、溢れた涙は真っ直ぐ下には落ちず、こめかみの方に流れた。




 7過去の記憶


 学園を首席で卒業することが決まった日、ルネは王城での暮らしを夢想した。広い部屋と高級なベッド、柔らかな羽毛布団。きっとお風呂も広いのだろう。


 レグルスから逃げて部屋に戻ってきたルネは、嫌な汗と涙を洗い流すために浴室へと向かう。そして服を脱げば、左胸まで伸びた魔方陣が目に入った。


「はぁ……」


 溜め息をついて、ルネは魔法で瞬時に沸かしたお湯に潜り込む。頭まで浸かれば、すぐに息苦しくなって、ぷはっと顔を出した。この苦しさが、自分が生きている証しだ。



 **



 ルネは魔方陣が刻まれた日を思い出していた。

 首席卒業で次期宮廷魔導師として白羽の矢が立ったルネは羨望の眼差しが向けられたし、ルネも自分自身に誇りを持てた。そんなことがどうでも良くなったのが国家宰相がやってきた日だ。


「貴方がルネ・ヴァイスですね」


 彼は前任の宮廷魔導師は高齢のため退職することになるので若い力が必要になると言った。ルネは期待されることが嬉しかった。


「はい! 春からこの国のために働きたいと思います」

「その意気やよしです。その命をリヒタートに捧げなさい」


 そう言われたルネは、学園の地下にある部屋に通された。魔術が施されて入り口の見えない部屋だった。こんな部屋があることに気が付かなかったルネは、中に入ってさらに驚く。そこには膨大な魔力と大きな祭壇があったのだ。


「この部屋は?」

「ここで貴方に宮廷魔導師として必要な術式を施します」

「そのような物があるのですね。どのような術式なのですか?」

「この国を守るものです」


 宰相はそう言って、ルネの背中を部屋の中心部へ向かって押す。すると、一緒に来ていた学園長が恐る恐ると言ったふうに口を開いた。


「まだこの子は何も知らない子供です……」

「若ければ若いほど、この術は強力になるのだとわかっているでしょう?」


 ルネはこの話を聞きながら、若い方が良い術式というものがあるのかと思っていた。これから、どんな術式が刻まれるのかも知らずに。


「宰相様、やはりこの子を生贄にすることなどできません!」

「へっ? 生贄?」

「お言葉が悪いですな、学園長。ルネ・ヴァイス、貴方は選ばれたのです。この国を守る役目に。貴方はしかるべき時に命を捧げて、この国を脅かす者の命を絶つ」

「命を、捧げる?」


 彼の言っていることが理解できなくて、ルネは学園長の方を見る。すると学園長は目を逸らして俯いてしまった。こうなると、ルネは頭を高速で回して自分の置かれている状況を理解する。

 宮廷魔導師となれば、文字通り国に命を捧げることになる――。


「ルネ・ヴァイス、これは栄誉なのですよ。貴方の両親は国境付近の警備をしている国家魔導師でしたね? 貴方は戦火に晒される故郷を、両親を、守れるのです」

「わ、私……」

「この学園を首席で卒業する貴方ができないとは言いませんよね?」


 ルネは圧力に屈した。年若いルネには、どうして良いのかもわからなかった。


「ルネ・ヴァイス、この国のために命を懸けてくれますね?」

「……はい。この国のために」

「素晴らしい。貴方のような方が学園の卒業生にいて良かった」


 その後、遅れて部屋にやってきた数人の魔導師に取り囲まれて、ルネは体に魔法陣を刻まれた。発動すると国を救えるが自分は命を落とす、そんな術だ。ルネはその術を施されている間、幻影を見た。


(あの人は六代目……せんせいの旦那さま。そうか、そのせいで急に亡くなられたんだ……)


 写真でしか見たことのない人だったが、家族思いのクララがよく見せてくれたため、顔はよく覚えていた。彼の悲しい笑みを見て、ルネは同じ術式を施されたのだとわかった。

 六代目だけではない、どこか五代目に似た青年、知らない若者たち――。

 ――ルネは宮廷魔導師になってから、学園が術式を施すための祭壇を隠すために作られたものだと知る。自分たちが学園生活を謳歌している間、先代達の命は国に繋ぎ止められていたのだった。



 **



 お風呂から出たルネは、髪も乾かさずにベッドへと倒れ込む。顔に張り付いた髪の毛を気にする心の余裕はなかった。


(見つけなくちゃ。死ななくて済む方法を)


 ルネはベッドに寝転んだままサイドテーブルに置いていた本に手を伸ばす。禁帯出の文字が書かれたそれは、生き残るために必死に読み進めている本の一冊だった。

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