6寝付けない夜
夜になり王城に静寂が訪れた頃、ルネは廊下を一人歩くレグルスを見つけた。
「……リュミエラ様?」
「あぁ、ヴァイスさん」
「夜半遅くにどうされました?」
「いえ、考え事をしていたら寝付けなくなってしまったものですから――少し体を動かして寝付こうかと。ヴァイスさんも散歩ですか?」
穏やかに微笑むレグルスから敵意は感じられないが、部外者であることには変わりない。深夜に彼を一人にするのはよくないと思い、話を合わせる。
「散歩という訳ではないのですが、眠れないのは同じです」
「では、一緒に歩きながら話しませんか?」
「はい」
ルネは横並びに歩く前に、今一度自分より頭一つ分背の高いレグルスを見上げる。そして彼の首にヘレナがいないことに気がついた。
「ヘレナはいないのですね」
「彼女は夜になって冷えるとすぐに眠ってしまいますから。ウトウトしている時に無理に連れ出すと、肩から落ちてしまうのです」
「フフッ。ヘレナは可愛いですね。私の母の使い魔は結構いじわるだったんです」
「おや、この国で使い魔を使役している人は少ないのでは?」
「そうかもしれません。私も母と
「先生とは?」
「あ、クララ・アドラー補佐役のことです。私が学園に通っていたときに、教わっていた時期があるのです」
「なるほど。立派な教子で彼女も鼻がたかいでしょうね」
「そうだと良いのですが」
そう答えて、ルネは以前にも似たような話をしたようなことがあった気がする。あの時は確か、両親にとって自慢の娘ではないかと言われた。彼はどうやら親目線でルネを見ている。そのことに気がついたルネは、少しだけモヤモヤとした。
「ヘレナは良いですね」
口をついて出てきたのは、そんな言葉だった。貴方のそばにいられて羨ましい。そんなことを思っていた自分に驚くルネ。レグルスはそんなルネを見て微笑んでいる。他人の心なんて魔法を使っても見えない筈なのに、彼の瞳に見つめられると心の奥底まで見透かされているような気がした。
「あ、あの、ヘレナが羨ましいと言うのはですね!」
「わかっていますよ。蛇は可愛らしくて良いですよね。ヴァイスさんは使い魔を持つ予定はないのですか?」
「…………」
レグルスの口ぶりから、レグルスと一緒にいられるヘレナが羨ましいのではなく可愛いヘレナを使役しているレグルスが羨ましいと受け取ったのだと気づくルネ。少しだけ恥ずかしい思いをして、彼女は話題に乗った。
「ヘレナはとても可愛いですし、母のユーリも
「なぜ?」
「私の代わりに傷付くようなことがあれば、後悔してもしきれないからです」
「やはり貴方は優しいのですね。それに、自分なら傷付いて良いみたいに聞こえます」
「それは……宮廷魔導師ですから、この国を守らなければ――」
「リヒタートの宮廷魔導師は、皆がそう仰いますね。自己犠牲は尊いものだという教えがあるのでしょうが、残された者は辛いだけでしょう」
ルネはレグルスの言葉を受けて呼吸を忘れる。自己犠牲は尊いものだ。自分もそう思っている。そう思わないと、宮廷魔導師などできない。
そんな思いを抱いて、ルネは喉の奥から言葉を絞り出す。
「……その精神で問題ありません。私の代から、宮廷魔導師の引き継ぎが整備されましたから」
事実、今回の代替わりから宮廷魔導師が急逝した時の対応が整備された。それは魔導師養成学校を首席で卒業した生徒を次代にするというものだ。この仕事に若さは必要であり、首席で卒業するような生徒は宮廷魔導師という立場に憧れを抱いている。双方にとって良いことである。
「ですから、たとえ私が国のために犠牲になっても次の方が――」
「そうではありません。宮廷魔導師がいなくなるのではなく、貴方がいなくなってしまうと悲しむ人間がいる筈だという話です。貴方の両親、アドラーさん、友人、恋人――」
「こ、恋人?」
「おや、六代目は学園で伴侶を見繕ったと聞きましたが。学園で出会った女性と結婚したそうですよ」
「知ってます……その女性は、
「おや、アドラーさんだったのですか。リヒタートは夫婦別姓でしたっけ?」
「いえ、お仕事のときだけ旧姓を使っているんです」
「なるほど。それで貴方にはそういう方の一人や二人、いらっしゃらないのですか?」
「ふ、二人はよくないです! それと、私、そういうことには疎くて――」
「そうですか。人間というのは短い人生なのですから、気になる男性がいれば勇気を出してみても良いかもしれません。貴方はとても素敵な女性ですから、相手も悪い気はしませんよ」
「そうでしょうか」
「ええ」
レグルスから向けられた笑みに、ルネは顔が熱くなる。どうしてこんな気持ちになっているのだろうか。
整った顔とほどよく鍛えられた体躯?
優しくてスマートな立ち居振る舞い?
なんでも知っている知性的なところ?
彼の良いところを思いつくだけあげると、ルネは余計に顔が熱くなる。こんなにも彼を意識してしまっているとは思わなかったのだ。
そんなことを考えながら歩いていると、ルネは無意識のうちに庭園の一角にたどり着いた。ルネについてきたレグルスは周囲を見渡す。
「ヴァイスさん、ここは?」
「えっと、私、眠れない夜はいつもここに来るのです」
「綺麗な場所ですね」
「私が管理をしている魔法植物の区画です。とは言っても、引き継いだばかりなので分からない植物も多いのですけど」
ルネは花壇に植えられている淡く光る月光花のそばに行く。
「特に満月の日は月光花の輝きが一層増して綺麗なんです」
「月光花はフェルゼントーアにもあります。花は薬の材料となりますが、葉にも同じ成分が少量含まれているので煎じて飲むと良いですよ。魔力の回復に効果があります」
「葉にも使い道があるのですね。やはりリュミエラ様は物知りです」
「ただの年の功ですよ」
レグルスの言葉に、ルネは自分との歳の差を考えてしまう。きっと私なんて子供だ。ルネはブンブンと頭を振って、その考えを吹き飛ばした。
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