5異国の魔導師
使節団がやってきてから数日、ルネとレグルスは宮廷魔導師の執務室で話に花を咲かせていた。
「リュミエラ様はなぜ魔導師に?」
「そういう一族だからです。両親も兄も魔導師なのですよ」
「私もです。両親が田舎で国家魔導師として任務を遂行しています」
ルネの両親は地方魔導師だった。故郷の村はヴェレンメ帝国の南東にあり、帝国の動きを把握して報告する任務を請け負っている。この国の民たちは忘れつつあるが、リヒタート王国は常に帝国の侵略に怯えて暮らしている。
「それはそれは、ご両親にとって自慢の娘さんですね」
「そうだと良いのですが」
ルネは頬を赤く染める。ここ数日で思ったのは、彼は人当たりが良く誰にでも優しいということだ。数年前から使節団の一員としてリヒタート王国を訪れるようになった彼は、王城内で顔見知りが多かった。
女性人気も高かった。そんな彼を独り占めしていることに、ルネは申し訳なさと同時に気恥ずかしさを覚えていた。
「ヴァイスさんはご兄弟はいらっしゃらないのですか?」
「私は一人です。リュミエラ様のお兄様はどのような方なのですか? やはりフェルゼントーアで高名な魔導師なのですか?」
「国内……より国外の方が有名かもしれません」
レグルスは苦笑する。
「兄はいわゆる放蕩息子なんです。だから、私は国に残っています」
「そうだったのですね。お兄様は各国を旅していらっしゃるのですか?」
「ええ。いつも旅先から手紙をくれます。その土地の風景を念写してくれるのはありがたいのですが、私が旅に出られないのは貴方のせいですよと言いたくなります」
「リュミエラ様も旅に出たいのですか?」
「フェルゼントーアは気に入っていますが、たまには羽を伸ばしたくなります。ご存知ですか? 東の国には――」
そう言ってレグルスは東の国について話し始める。それは学園で勉強してきたルネでも知らないことばかりで、彼女は食いつくように話を聞いていた。
少ししてレグルスが話を終えると、ルネは感心して溜め息を吐いた。
「リュミエラ様はなんでもご存知なのですね」
「兄からの話を聞きかじっているだけですけどね。実際に目で見たのは、そこまで多くありません」
「リュミエラ様のお話を聞くと、私も旅をしてみたくなります。宮廷魔導師になった以上、そうは言っていられませんが」
ルネは少しだけ悲しくなる。宮廷魔導師の叙任式に向かう道すがら、故郷が恋しくなった時と似た寂しさだ。
「リヒタートの宮廷魔導師は、任期が決まっておられないのですか? 前任の方は、お辞めになったみたいですが……」
「先代様はもう長らく任を請け負ってくださいましたから。気の休まらない生活だったと思います。せめて余生は穏やかに暮らして欲しいです」
「ヴァイスさんは素敵な女性ですね」
「えっ」
急に褒められたルネは驚きの声を上げて、それから頬を赤く染める。長い髪に隠れているが、耳まで赤く染まっていた。
そんなルネを見てクスクスと笑ったレグルスは続けて言う。
「貴方は心優しい方です。どうか心を痛めないで」
「へっ? い、傷めてなどおりません!」
「そうですか。宮廷魔導師を辞めて旅に出たいものだとばかり思っていましたから」
「あっ……」
ルネは直前まで寂しさを抱えていたことを思い出す。レグルスはそんな彼女を見て言う。
「辛いことからは逃げても良いと思いますよ」
「そ、そんな訳にはいきません! 私は宮廷魔導師に選ばれた以上、その任務を完璧に遂行する義務があります!」
「……本当にこの国は、魔導師を軽視している。急逝した魔導師に代わり勇退した筈の魔導師を引き摺り出したり、地方に飛ばして哨戒にしたり、この国の魔導師は前線に立つことが多い」
「それだけの地位と権限を与えられていますから」
「魔法を使える人材は限られている筈です」
レグルスの言葉をルネは悪く受け止めてしまう。
「リュミエラ様、その言い方をされると命の重みに差があるように聞こえます……」
するとレグルスは悪びれもなく言った。
「実際、貴方の命は重いでしょう?」
「そんなこと――」
「宮廷魔導師なのですから」
「…………」
「すみません、言い過ぎました」
申し訳なさそうに眉を下げて謝罪するレグルスを見て、ルネは悩んでしまう。宮廷魔導師という立場上、命は大切にしなくてはならない。不意に命を落とすことがあれば、この国中に迷惑をかけてしまう。
「いえ……リュミエラ様の仰る通り私の命は重いのです。この国で宮廷魔導師の命というのは、他の魔導師と比べものにならないのです」
ルネは視線を落として、爪を見る。少し伸びてささくれていた。
そんなルネに、レグルスは軽く言う。
「ヴァイスさん。私の命は貴方とは逆に軽いのです」
自嘲している訳ではなく、全く気にも留めていない声音だった。
「私の一族は人ならざる者の血が混ざっています。その影響か長命ですし、命を分け与えられるのです」
「命を分け与える?」
するとレグルスはテーブルの上に置かれた花瓶に視線を向けた。花瓶の花は少し元気がなくなってしまっている。
「あの花、萎れてしまっていますね」
「あ、片付けていなくて……すみません」
「いえ。私の力を見てもらうのに丁度良かったです」
レグルスはそう言うと、花瓶の萎れた花に手を伸ばす。するとみるみる内に、花は生気を取り戻した。活けたばかりの時のように、蕾まで戻った花もある。ルネは目の前で見た不思議な現象に言葉を失った。
「…………」
「あと一週間は綺麗に咲いてくれるでしょう」
「……凄いです……こんなの、初めて見ました」
「門外不出ですからね」
「えっ? 私などに見せて宜しかったのですか?」
「貴方が黙ってくだされば」
「き、気をつけます!」
「ええ。そうなさってください」
イタズラっぽく笑ったレグルスは「二人だけの秘密ですよ」と続けた。するとルネは顔の熱さを思い出す。二人だけ、という言葉に緊張してしまった。
しかしすぐに、湧き上がった疑問が体の熱を下げる。
「あの……命を分け与えた分、リュミエラ様はどうなってしまうのですか?」
「もちろん、残りの命は減ってしまいます」
「そんな! 私、貴方の残り時間を一週間も――」
「そのくらい、構いませんよ。私は普通の人間よりも長く生きられますから。兄などは三百年以上生きていますし」
「さ、三百年……?」
「言ったでしょう? 人ならざる者の血が入っていると」
「そのような方がいらっしゃるだなんて――」
「門外不出ですから、他人に言ってはいけませんよ?」
「は、はい! ……あの、リュミエラ様はお幾つなのですか?」
「さぁ? 兄とは一世紀も離れていないと思いますが、私の家族はあまり年齢を気にしないので」
「そういうものなのですね。では、お誕生日は?」
「温かい時期の生まれだということは覚えています」
「そういうことなら、お誕生日おめでとうございます」
「えっ?」
今までルネの前で驚いた表情を見せてこなかったレグルスの目が丸くなる。
「詳しい日付がわからないのなら、今日でも良いのかと思って……ご迷惑でしたか?」
「いえ、人に祝われるのはいつぶりかわかりませんが、嬉しいものですね」
「良かった。あ、でもお祝いのプレゼントはどうしましょう――」
ルネはキョロキョロと周囲を見渡したあと、思いついたように「あっ!」と声を上げて引き出しを開く。そして中から小さな箱を取りだした。
「これ、どうか貰ってください」
受け取ったレグルスが小箱を開けると、そこには紅玉のあしらわれたブローチ。
「これは?」
「宮廷魔導師になることが決まった時、両親から貰ったものなのです。でも私が着けるには大人っぽすぎるかと思ってしまって。きっとリュミエラ様ならお似合いになります」
「ご両親からの贈り物なのに、良いのですか?」
「はい。埃を被るより、誰かに身に付けて頂いた方が良いです」
「では、こちらは私が預かりましょう。貴方が相応しい年齢になったら、お返しいたします」
「そんな日が来るでしょうか……」
「不摂生せずに暮らしてくださいね」
「はい……」
ルネは長生きする自信があまりなかった。宮廷魔導師は厳しい仕事で、六代目のように若くして急逝することもあるからだ。
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