「同じ訳ないじゃん笑」

ポテトマト

本文

懐かしい感触は、そこにはもう無い。


初めて、店頭で見かけた時の感動。

チカチカと、テレビの中で明滅する、無数のドットの群れ。いにしえのテレビゲーム特有の、粗砂がうごめくかのような、ザリザリとした感触。

その瞬間に感じた印象は、確かに鮮明だった。

そこかしこで、色が泳いでいる。

至る所で、見たことが無い程に派手な色味が集まり、画面の動きと共に移ろう。ちらちらと、色とりどりの群れを成し、まぶたの中へとそよいでゆく、荒々しい粒子の質感。

ぶわりと。

地についていた両足が、突如として浮かび上がったかのような感覚。画面の向こう側に存在する別世界に、思わずのめり込んでしまった。

微かに、息をしているのが分かる。

狭くて苦しいテレビの画面の中で、草木や人間の形を模した、一粒ばかりの光の集合体が。画面の前の観客じぶんを惹きつける為だけに、必死に舞台を演じているように感じてしまった。

錯覚は、コントローラーを握ってみても変わらなかった。

──そんな訳ないじゃん笑

当時の友人からも、よく笑われたものだ。

考えすぎ、ただのアホ、のめり込みすぎ……。

「現実と妄想の区別が、付いていない。」

両親は共に、そう判断した。

だから、私はゲームに関する一切を取り上げられた。

別に、その事に対する恨みはさして無い。

強いて言えば、学校のクラスの流行りに乗れなくなったことに、ほんの少しだけ寂しさを感じた事ぐらいだろうか。嫌ではあったが、仕方のない事だと思った。

自分でも、よく理由が分からなかった。

モザイクが集まって生まれたキャラクターに、強いシンパシーを感じる事の意味。スティックに掛けた指を動かす度、自然と胸の中に湧きあがった、迸るような熱の出所。ゲームを実際にプレイする機会は、ショッピングモールの体験コーナーで触れたきり二度と無かったが。その時の印象は強烈だった。

だから、今。どうしようもないわだかまりを、こうして覚えているのだろうか。


そういえば、クミちゃんは正直者だった。


可憐で、そして不器用な、同じ中学に存在した困った奴。素朴な感性の人間に塗れた、あのクラスの中にあって。まるで、カビの生えた一匹のハエのように。ひっそりと、クラスの皆に対する嫌味をまき散らしていた。

「同じ訳ないじゃん笑」

こっそりと、私に語った言葉が強く残る。

中学で初めて知り合った、新たな友人の言葉。

「あいつらは、単なる片隅の埃だよ」

性根の腐った、少しだけメルヘンな皮肉屋。やけに曖昧な言葉選びのセンスこそが、クミちゃんの持ち味だった。他人と触れ合う事を極度に嫌がる癖に、何故か、クラスの主要メンバーとは付かず離れずの距離感を保っていた。

「愚かで、直情的で、矮小で……」

教室を跋扈ばっこしている粗暴な人間達に対する、侮蔑と憧憬。クミちゃんの中には、明らかに相反する二つの感情が同居していた。

「真似をしようだなんて、考えなくていい。」

迷惑の一切を省みず、教室を占拠し、あまつさえ大声でまくし立てるような奴らの事をずっと貶しながら。彼らの間で綿々と育まれる絆やら友情とやらを、密かに羨んでいる。私には、そう感じ取れた。

「ねえ、アキちゃん?」

まるで、透明な膜が鼻先にピンと張られているような疎外感。排他的で、皆の民意に背かない無難な生徒ばかりが人権を得ていた学校の中で、私たちはずっと二人だった。

だからといって、寄ってたかっていじめられるということも特に無かったが。

「その手の花は、どうしたの?」

クラスの輪の中に碌に入ろうともしない人間なんぞ、処罰している余裕はなかったのだろう。誰かが、"クラスの仲間達"に集団で攻撃されている光景を、よく目にした。

その時の感触は、滅茶苦茶だった。

「嬉しそうに、抱えちゃって……」

なんて、歪んだ感情なのだろう。他人が殴られ、虐められている様子を、学園祭の出し物なんかと同じように。ぼーっと、退屈な欠伸を噛み殺しながら眺めていた。心底、本当にどうでも良かったのである。自分は偶々、彼らのルールに従う事を免れているだけと知らずに。


思い出は、次第に卒業間際へと近づいてゆく。

目の前のテレビには、新しいゲームの映像が映る。


中学最後の学園祭で、演劇をする事になった。

全ては、やはり退屈な多数決で決まった。結末の決まり切った、予定調和のクラス会議。出し物は、とある有力者の一声で決まり、すらりと役決めへと進んでゆく。演目は何だったか、そして脚本はどんな物であったか、まるで思い出せない。恐らくは、ひどく平凡な内容だったのだろう。


整然と液晶の中を泳ぎ回る、繊細な光の粒。

飛び交う言葉は、とうに果てた火花のように。


私に、役の指名が入った。

箸にも棒にも掛からない、些細な端役。

どうでもいいモブとして様になる程に影の薄い人間が、どうやらクラスには誰も居なかったらしい。もちろん、逆らう事は出来なかった。皆の決定に歯向かう度胸なんて、私にはない。

出演者達は、当然のように皆がやる気だった。

どうして、そんなに本気で向かえるのだろう。瑣末で無意味な、こんな茶番。


あたかも、現実の一場面を切り取った光景のように。たった今操作をしているゲームの色彩が振る舞う。


ましてや自分達がプロで、演じ終えたらお金が貰えるという訳でもあるまいし。そもそも、いくら脇役とはいえど、舞台の中の一つの役割を任される理由が分からない。クラスに存在する無難な生徒の中から、無理矢理にでも誰かを見繕えばよかったのではないか。こんな、苔の生えたような感性の捻じ曲がった女ではなくて。


写実絵のように精彩な、キャラの存在感。


それは全くの偶然だったと、後に誰かから聞かされた。本を読んでいる時の私に感じた、静かな風貌。まるで大人のような雰囲気が、まさしく役にピッタリだと。執筆直前になって、脚本の担当が言い出したらしい。

きっと、これは本心なんだろうなあと思った。


鮮明なテレビの解像度は、世界がブルーライトの光によって生まれたのだと勘違いする程に。


公演は、特に可もなく不可もなく終了した。突然のハプニングすらも起こらない、誰が見ても無難な仕上がりの劇。開演中の皆の様子やら観客の反応やらの記憶は、私には一切ない。

ただ、一房の花を渡された事だけ覚えている。


現実と映像の区別が、殆ど付かなくなった。


それは、花紙を折って出来た花だった。

わざとらしい程に青い色。教室の装飾に使う筈だったダリアの花びらは、単なる余り物であって。こんな物を貰っても、微塵も嬉しくない筈だったのに。


私の指先は、コントローラーにフィットするようにふわりと掛かって。目の前のキャラクターを操作している。


今は、ゲームをプレイしている。

幼い頃には遊べなかった、昔から続いているシリーズの最新作。作り物の世界は、結われた髪がぱさりと解けた瞬間にも似た、流麗に内容が伝わる文章のように。

すらり、すらりと眼の中に溶けてゆく。

熱に浮かされた、私の視界。とろりと混ざり合った脳裏に浮かぶ色彩に。虚像の世界がじりと染み込んでいるのが分かる。


指先に残った冷たさが、完全に死んでいる。


クミちゃんの肌の、柔らかな感触。

老いというものを知らない絹の布地のように。キメが細かくて、表面に薄く走った静脈の、消えかけた灯りのような仄暗さ。

それは、卒業式が終わった直後の事だった。

私は、クミちゃんに告白された。

そばかすの散らばった、ひどく淡白な表情。思いの丈を表すにはあまりに味気の無い言葉を、その時に貰った気がする。

お茶の間に流れる安いドラマのような真似事が、本当に嫌だったのだろう。

クミちゃんは、潔く私を情事に誘った。

少しだけ、おかしく感じながら私は引き受けた。

唇を貪り合う瞬間は、お互いに獣のように。


感傷に浸る時間は、朗々と過ぎ去ってゆく。


ニタリと。

モニターの中の主人公が、私の事を一瞬だけ嘲笑った気がする。高解像度のドットを敷き詰めて出来上がった、一人の人間の絵姿。目の前のキャラが行う一挙一動の全てを握るような感覚は、すんなりと皮膚に馴染んで、ゲームの世界観へとすっかり没入してしまっている。

初めて触れた時は、こんなにもしなやかな感触じゃなかった。


ぱたり。

宙に舞った桜の花びらが、はらりひらり……。

ふらりと、私の視界の中で踊り続けている。

他人の秘部に、深々と手を入れる感触。

主導権を握った瞬間に覚えた、歪な絶頂。


ダリアの花言葉は、「裏切り」だった。


あの時に貰った花は、まさしく偽物のように真っ青で。それが、クラスの皆からの最低限の愛想を示している事は明らかだった。


——同じ訳ないじゃん笑


それでも。今の私には、素直に喜ばしく思えてならない。クラスの内側に入った瞬間の、か細い縄で身体を縛られるかのような、微かな不安。視線の中に他人を品定めするような薄暗さを感じているのは、他の皆も同じ事で。互いに互いを機械のように監視しなくてはならない事を、理解する事が出来たから。


——真似をしようだなんて、考えなくていい。


画面の中の粒子が、ぞろりと蠢く。全ては、一つにまとまった集団のように。空想の真似事をした映像の振りをしながら、バラバラに点滅をし続けているのだ。刻々と失われてゆく、現実に満ちた過酷な冷たさ。


——ねえ、アキちゃん?


コントローラーに掛けられた指は、画面の奥の幻想を掴んでいる。


——その手の花は、どうしたの?

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