第15話 一方通行の愛

 リュカと想いが通じ合い、私たちは晴れて恋人同士となった。

 リュカはもともと私に甘かったのが、さらに輪をかけて甘くなった。おかげで私はしょっちゅう顔を赤らめたり、胸の動悸が激しくなったりと、落ち着かない日々を送っている。


「ソフィさん……じゃなくて、ソフィ。今日も可愛いですね。この髪飾り、とても似合ってます」

「ありがとう。これは初めてリュカからプレゼントしてもらったものだから、私の宝物なの」

「大事にしてもらえて嬉しいです」


 朝からリュカとの幸せなひと時を楽しんでいると、横から小さな咳払いが聞こえてきた。


「お二人とも、僕がいることを忘れていませんか?」


 ジュリアンさんが苦笑まじりに言う。


「す、すみません……」

「忘れてはいないが無視してるだけだ」

「ひどいな、兄さん」


 リュカは私と話すときとは違い、ジュリアンさんと話すときは結構そっけない。けれど、態度とは裏腹にわりと楽しそうに見えるから、ジュリアンさんを嫌っているわけではないのだと思う。それに、つんつんしたリュカを見るのも新鮮で面白い。


 リュカの新たな一面を知って小さな喜びを感じていると、リュカが「何をにやにやしてるんですか?」と言いながら、私の肩を抱き寄せた。


「にやにやだなんて……! つんつんしているリュカも可愛いなと思って」

「可愛い、ですか? どうせなら格好よく思ってもらいたいのですが……」

「も、もちろんリュカは格好いいわよ! でも可愛げも大事だから……」


 我ながらこんなところで何を言っているんだろうと思ったが、案の定、またジュリアンさんに咳払いをされてしまった。


「あの、お楽しみのところ申し訳ないのですが……兄さん、もうそろそろ出発しないと」

「……はあ、もうそんな時間か」


 リュカが面倒そうに溜め息をつく。


「あ、今日はご両親のいる別荘へ行くんだったよね」

「はい、そうです。二人が話があるとかで呼ばれてしまって。二人がこちらへ来ればいいのに……。でも、ここでソフィに会わせるのも心配なので、今回は俺とジュリアンが向こうまで行ってきます。用が済んだらすぐに帰ってきますから、のんびり過ごしていてください」

「うん、分かった。気をつけて行ってきてね」

「ありがとうございます。愛してます、ソフィ」


 そう言って、リュカは私の額に優しいキスをひとつ落とし、名残惜しそうに何度も振り返りながら出かけていった。ジュリアンさんの生温かい眼差しが、なんだか恥ずかしかった。




 リュカとジュリアンさんが出かけた後、私は庭の温室の建設予定地を訪れていた。実際の広さを見て、どこに何の薬草を植えるかを決めたかったのだ。


「この辺りは場所を広くとって頭痛薬の薬草を植えたいわね……。それで、向かい側に傷薬の薬草を何種類か……」


 やはり実際に来てみると色々とイメージが膨らむ。持ってきた手帳に薬草園の構想を書き連ねていると、ふいに手帳の頁に影がさした。


「あれ、曇ってきたのかな……?」


 空を見上げようとした瞬間、突然、誰かの手が私の口元を塞いだ。特徴的な甘い香りが鼻腔に広がる。……まずい、これは麻酔としても使われる、意識を失わせる効果のある薬草の香りだ。


 この香りを嗅いではいけないと自分に言い聞かせるが、すでに遅い。私は脱力して倒れ込み、そのまま目の前が真っ暗になっていくのを受け入れるしかなかった。



◇◇◇



 眠っていた私は、がたがたと体を揺らす振動で目を覚ました。なぜか硬い床の上に転がっている。体を起こそうとしたところで、手足が縛られて動けないことに気がついた。


「──ここは、馬車の荷台……? 私は一体……」


 そう呟いたところで、背後から艶っぽい女性の声が聞こえた。


「あら、もう目が覚めてしまったのね」


 声のする方へなんとか寝返りをうって顔を向けると、目の前にいたのは……見知らぬ中年女性だった。


「貴女、わたくしのことをご存知ない?」

「……はい」

「まあ、それもそうね。お会いしたことないもの」


 何がおかしいのか、女性が高らかに笑う。


「貴女に分かりやすいように言うと……わたくしは、リュカ・アルベールの義理の母よ」

「リュカの……お義母様……」

「ええ、あの忌々しいリュカの義母、ジャンヌ・アルベールよ」

「なぜ、こんなところに……。今日はリュカとジュリアンさんと会う約束があったのでは……? というか、私に薬を嗅がせてこんなことをしたのは、あなたなんですか?」


 私が混乱した頭で尋ねると、ジャンヌ様はにこりと笑みを浮かべた。


「今日はね、リュカに思い知らせてやろうと思って。そのためには、あの子が大切にしている貴女が必要だから、邪魔なリュカとジュリアンには屋敷から出て行ってもらったの。こうやって無事に貴女を攫うことができて、きっと天の配剤だわ。やっぱりリュカはあの家を継ぐべきではないのよ」


 ジャンヌ様がうっそりと笑う。


「……どういうことですか? 何を考えているんです?」

「旦那様は隠していたみたいだけれど、わたくしは知っているの。リュカの母親はね、貴族なんかではなくて、親もいない平民の娘だったのよ。そんな女の息子が後を継ぐだなんて、いくら魔力が高いからと言って、ありえないわ。せっかく家からいなくなって、ジュリアンが後継となるところだったのに、また邪魔しに帰ってくるなんて本当に憎たらしい子。だから、今度こそわたくしとジュリアンの邪魔ができないよう葬ってあげるの」

「葬る……?」

「ええ、ほら、到着したわ。貴女とリュカの墓場となる場所よ」


 ジャンヌ様がそう言うと、馬車がゆっくりと停車した。


「さあ、いらっしゃい」


 馬車から下りたジャンヌ様の手が光り、私の体がふわりと浮く。浮遊の魔法だ。

 私は抵抗することもできないまま、ジャンヌ様に連れられて、冷たい風が吹きつける崖地の奥へと連れられていく。


「……こんな場所に連れてきて、一体何をするつもりなんですか?」


 さっき、ここが私とリュカの墓場だと言っていた。私ならここから突き落とされてしまえば確実に命を失うだろうが、転移の魔法まで使えるリュカがそんなことで死ぬとは思えない。

 ジャンヌ様が何を考えているのか、まったく分からなかった。


「貴女、魔物にはお詳しい?」

「いえ、そんなには……。コカトリスの恐ろしさならよく知ってますけど」

「あら、そう。なら、コカトリスよりもずっと上位のホワイトドラゴンの餌になってもらうと言ったら、怖くて震えてしまうかしら」

「ホワイトドラゴン……?」


 ホワイトドラゴンと言ったら、幼い子供だって存在を知っている。全生物の中で最強の強さを誇る、魔物の最上位種だ。


「ここはホワイトドラゴンの生息地なのよ。最近はドラゴンの気が立っているようでね、自分の巣穴に人間が入り込んでいるのを見つけたら、きっと怒り狂って攻撃してくるでしょうね。さすがのリュカもホワイトドラゴンには敵わないでしょうよ」


 ジャンヌ様が楽しくて堪らないといった表情で笑う。


「……つまり、私を巣穴に落として、助けにきたリュカもろともホワイトドラゴンに始末させる、ということですか」

「あら、お利口さんね。そのとおりよ」

「そんな都合よくいくわけありません」

「大丈夫よ。それに、もしリュカが来なくても、貴女が死んでしまえば自暴自棄になって、後継のことなんてどうでもよくなるはずだわ。だから最悪、貴女さえいなくなってくれればいいの。……さあ、巣穴に着いたわ。あとは貴女を巣穴にひとり残すだけ」


 ジャンヌ様の無情な言葉に、私は冷や汗が流れるのを感じた。ジャンヌ様は本気だ。でも、私だってやすやすと殺されるわけにはいかない。リュカがきっと助けにきてくれるはず。それまで、少しでも時間を稼がなくては。


「……あなたがこんなことをしてるなんて知ったら、ジュリアンさんが悲しみます」

「ご心配ありがとう。でもジュリアンのためなのだから、あの子も理解してくれるはずよ」


 つい最近、ジュリアンからも似たような言葉を聞いた気がする。意味するところはまったく違うけれど。


「あ、あなたの旦那様だって、きっとこんなことをさせたくないはずです……!」

「……あの方がそんなこと、思うはずないわ」


 旦那様の話題を出した途端、今まで悠然としていたジャンヌ様の声がわずかに震えた。

 私はすかさず言葉を続ける。


「そんなことありません! きっと悲しまれるはずです」

「……黙りなさい。貴女は何も知らないくせに……! あの方はわたくしのことなど、どうでもいいの! あの方の心には、レーゼしかいないのだから」

「レーゼ……?」


 きっと旦那様を悲しませたくはないと考え直してくれるはずと思っていた私の予想とは逆に、ジャンヌ様は声を荒らげて激昂した。


「レーゼが死んだ後も、旦那様はあの女のことばかり想い続けているのよ。わたくしがいくら旦那様を愛していても、あの方はわたくしを愛してはくださらない……。旦那様の愛が得られないのなら、せめて我が子を後継者にさせたいと願って何が悪いの!? それなのにあの方はレーゼとの間に生まれたリュカを優先してばかり……。レーゼもリュカも本当に憎い……!」


 憎悪のこもった目が、突き刺すように私を睨みつける。


「お前も絶望を味わうといいわ。さようなら」


 その瞬間、体がさらに高く浮き上がったかと思うと、青白く光る崖の底へと落とされたのだった。

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