第13話 真実

 ソフィさんの石化が解けた。ずっとこの日を待ち望んでいた。10年のあいだ、ずっと。


 目覚めたソフィさんは、その姿も声も温もりも、俺と二人で荒地に出かけたあの日のままで、その懐かしさに泣きそうになった。


 この10年間は、本当に苦しかった。


 冷たく硬い石となったソフィさんを、ただただ見守り続ける日々。

 俺の大切なソフィさんは、石になっても綺麗だった。どこにも行かず、誰の目にも触れず、俺だけのソフィさんになったことが、初めは嬉しかった。


 でも、それはすぐに絶望へと変わった。

 美しかった栗色の髪や緑色の瞳、白い肌はその色を失い、無機質な灰色に塗り潰され。どんなに話しかけても返事はなく、「リュカ」と俺の名前を呼びかけてくれることも、もちろんない。温もりを求めて抱きしめても、ひんやりと冷たく硬い感触を覚えるだけだった。


 何日も、何ヶ月も、何年も続くそんな日々に何度も心が折れそうになりながら、俺はひたすらに耐えた。なぜなら、これは罰なのだ。身勝手な選択をした、卑怯な自分への。



 あの日、ソフィさんが石化した瞬間、俺は心が凍りつくのを感じた。

 ソフィさんを石化させた魔物を睨みつけると、俺は石化することはなく、魔物はなぜか怯んだように見えた。

 俺はすかさずソフィさんからもらったナイフを手に取り、魔物の首を薙ぎ払った。あっけなく絶命した魔物を捨て置き、ソフィさんの元へと駆け寄ると、その足元には石化を免れた布袋が落ちていた。


 この中に入っている泉の水を掛ければ、ソフィさんの石化が治るかもしれない。でも本当に問題のない水なのか、まずは自分で試すことにした。指先に犬歯を食い込ませて血を出した後、皮袋の中の水をかける。するとたちまち傷は消え去った。


 次に少量を口に含んでみると、わずかに魔力が湧き出すような感覚を覚えた。ごくごくとグラス一杯分ほどの量を飲めば、体が不思議な色の光に包まれ、呪いの根源が体の中から消えていくのを感じた。試しに火の魔法を使ってみると、呪いの黒いもやが浮かぶことはなく、手のひらから燃え盛る火炎が湧き出した。


 本物の万能薬だ。そう思った。再び魔法が使えることに感謝した。そして、これならソフィさんの石化も治せるはずだと確信した。


 でもそのとき、頭の中でもう一つの声が聞こえた。

 たしかに石化は治せるだろう。でも、それが今である必要はあるのか、と。


 石化すれば年は取らない。その間、俺だけが年を取れば、今ある年齢差は覆すことができる。

 19歳と14歳。この5歳の差は大きかった。そのせいで、ソフィさんからは弟のような存在としてしか見てもらえなかった。


 早く大きくなりたい。ずっとそう思っていた。ソフィさんに異性として意識してもらいたくて。

 早く大きくならなければ、他の男に取られてしまうかもしれない。町で声を掛けてきた、セザールとかいう男のような奴に。


 ソフィさんはいつ結婚してもおかしくない年齢だ。俺は焦っていた。自分がもっと早く生まれていたら。ソフィさんがもっと遅く生まれていたら。そんなどうしようもないことばかり考えていた。


 ……でも。ソフィさんの石化をこのまま治さないでいれば、その願いは叶う。10年我慢すれば、ソフィさんが理想だと言っていた、5歳年上の大人になれる。そうすれば、もう俺はソフィさんの弟代わりではなくなる。異性としても見てもらえるかもしれない。


 俺は決めた。


 皮袋をナイフで切り裂き、そこから泉の水が流れ出して、乾いた地面へ染み込んでいくのを静かに眺めた。


 これでいい。10年間のうちに、知識も能力もつけてソフィさんに相応しい男になって再会しよう。


 そうして俺はソフィさんに防御の魔法をかけた後、さらに浮遊の魔法を重ねがけして森の家へと連れ帰った。

 その後は町へ行って馬を返し、引っ越すことにしたから、ここへはもう来ないと伝えた。偶然会ったセザールにもそう話すと残念そうな顔をしていたが、俺は気分が良かったので笑顔で別れを告げた。


 それから俺は、森の家で石化したソフィさんとの暮らしを続けた。

 時が経つにつれて、耐えがたい寂しさと虚しさで心が壊れそうになったが、勉学や魔法、剣術に打ち込むことで、なんとか精神の均衡を保つことができた。

 いずれも素質があったようで、俺はどんどんと実力をつけていき、特に魔法では誰も並び立つことができないほどの力を手に入れた。


 そしてソフィさんが石化してから八年目。俺はかねてからの計画を実行に移すことにした。

 実家に戻り、父親から家督を奪うのだ。


 その頃、実家の領地で魔物が大量発生しており、領主である父親は対応に苦慮している様子だった。ちょうど良いタイミングだ。俺は魔物に感謝した。そして、目的のためにその騒動を利用することにした。




 魔物が発生している渓谷に、父親が何度目かの討伐隊を派遣した日、俺は崖上からその様子を眺めていた。

 蝿でもあしらうかのように、たやすく魔物に蹴散らされる討伐隊の騎士たち。通常であれば討伐隊の騎士だけで十分に対応できるランクの魔物なのだが、今回は相手の数が多すぎた。

 父親や異母弟も戦場に立ち、魔法で応戦しているが、この魔物は魔法に耐性がある種族なので、大した戦力にはなっていないようだった。


 多くの血が流れ、敗北を覚悟する討伐隊の面々の前に、俺は降り立った。何者が現れたのかという戸惑いの空気が広がる中、父親が驚いたように俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 父親の声を背に、俺は魔物全体に豪炎の魔法を放つ。討伐隊があれだけ手こずっていた魔物の群れは、一瞬のうちにすべて消し炭となって消滅した。


 俺はざわめく討伐隊を振り返り、名乗った。自分はリュカ・アルベール。この地の領主の息子であると。そして、父親の跡を継ぎに帰ってきたのだと。


 それから俺が爵位を継ぐまでに、長く時間はかからなかった。

 実家に戻り、家族全員が揃う中、俺を見て顔を引き攣らせる義母の目の前で、彼女が俺にしたことを告発した。義母は否定したが父親は何か察していたようで、これからは夫婦でこの屋敷ではなく、領地内の遠方の別荘で暮らすことにし、爵位は俺に譲ると宣言した。


 その代わり、弟は母親の計画のことは何も知らなかったから許してほしい、最近は領地の勉強もしていて、俺の役に立つはずだからと、この屋敷に残すよう頼まれた。

 俺も弟には特に恨む気持ちはなかったし、巻き込んでしまったことを多少申し訳なくも思っていたので了承した。


 それから2年間は領主として、また家門の長としての地位を盤石なものにするため、真面目に仕事に励んだ。それもすべて、万全な状態でソフィさんを迎えるためだ。

 この頃は、ソフィさんと触れ合えない生き地獄のような日々も終わりが見え始め、再会の日が近づいているのが楽しみで仕方なかった。




 そしてついに、あの日から10年が経ち、俺はソフィさんより5歳年上の24歳になった。

 ソフィさんの石化を解く前夜、俺はソフィさんのために整えさせた部屋を訪れ、ベッドに横たわるソフィさんの横に腰掛けた。


「ソフィさん、いよいよ明日会えますね」


 ソフィさんは相変わらず何も返事をしてくれないが、少しだけ微笑んでくれたような気がした。


「あなたの声が聞けるのが、その手の温もりを感じられるのが楽しみです」


 この10年間の真実は、俺だけの秘密として、ソフィさんには隠し通すつもりだ。

 初恋を拗らせて、こんなにおかしくなってしまったことなど、知られたくはない。


 身勝手で卑怯で狂った俺に好かれたせいで、ソフィさんは可哀想だと思う。

 でも、俺よりソフィさんを大切にできる人間なんていないはずだ。


 もし、ソフィさんが振り向いてくれなかったら、という可能性もたまに考えるが、まだ子供だった頃なら身を引くことも考えたかもしれない。でも、今の自分には、そんなことは無理そうだ。誰の手も届かない場所へ転移して、ずっと二人で暮らせばいい。


「どうか、俺のことを受け入れてくださいね」


 そう囁きながら、俺はいつものようにソフィさんの頬に触れ、その小さく愛らしい唇にそっと口づけた。

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