第11話 あの場所で

 翌日。窓の外から聞こえてきた鳥の声で目を覚ました私は、ふかふかのベッドから体を起こした。


「うーん……」


 両腕を上げて思いきり伸びをする。最高級の寝具のおかげで昨晩はぐっすりと眠ることができた。おかげで体の調子もすこぶる良い。


 昨日は湯浴みで汚れを落とした後、全身を丁寧にマッサージされ、今度は豪華な衣装部屋に連れてこられたかと思ったら、人生で一度も着たことのない可愛らしいドレスに着替えさせられた。


 慣れないドレスとヒールの靴で生まれたての子鹿のようになっていると、次は「ディナーでございます」と言われ、何かのお祭りでもあるのかと思うほどの豪勢な食事が用意された。


 あまりの量だったので、もしかしたら誰かと一緒に食べるのかと思えば、私一人のために用意されたものだと言うから本当に驚いた。


 そうして夜になり、着ていたドレスからこれまた高価そうなネグリジェに着替えさせられ、「おやすみなさいませ」と挨拶をされて、ようやく一人になることができた。

 ベッドで横になり、怒涛の一日を思い返しているうちに、あまりの寝心地のよさにすぐ寝入ってしまったのだった。


 こんなにいいベッドに慣れてしまったら、家に帰って自分のベッドで寝るときに苦労しそうだ。今日の夜は床で寝たほうがいいかもしれない。


 そんなことを考えていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。


「ソフィお嬢様、マーサでございます。お目覚めでいらっしゃいますか?」

「は、はい、起きてます」

「では、朝のお支度をいたしますので、失礼いたします」


 マーサさんがワゴンと一緒に部屋の中へと入る。


「さあ、温かいお湯をお持ちいたしましたので、洗顔なさってくださいませ」

「わざわざありがとうございます」

「洗顔の後はお着替えでございます」

「あ、あの、もしかしてまた昨日みたいな豪華なドレスですか? できればもう少し質素な感じのドレスがいいんですけど……」


 昨日着せられたようなドレスは、可愛くて素敵なのだが、いかんせん動きづらい。ハイヒールの靴もまったく慣れなくて、昨日転ばずにいられたのは奇跡としか言いようがない。


 今日は平民スタイルの服で勘弁してもらえないだろうかと心の中で願っていると、その願いが通じたのか、マーサさんが見せてきたのは、私の好みど真ん中のシンプルで落ち着いた色合いのドレスだった。


「あ、ありがとうございます……! 今日はこれを着ていいんですね?」

「はい、ご主人様からもそう言いつかっております。本日はこの衣装を着ていただくようにと……」

「まあ、そうなんですか」


 理由はよく分からないが、とりあえず助かった。このくらいのドレスなら自力で着替えられるので、私は衝立の陰に隠れて一人で着替えを済ませた。


「着替え終わりましたけど……」


「では次にヘアメイクをいたしますね。お衣装に合うように、お化粧は軽めにして、髪型はダウンスタイルにいたしましょう」

「は、はい、お願いします……」


 マーサさんがにこりと笑う。そして神業のような手捌きで、あっという間に化粧と髪型を整えてしまった。


「ソフィお嬢様、とても可憐で素敵ですわ。ご主人様もきっとお喜びになります」

「あ、あの、マーサさんのご主人様って一体……」


 一体何者なのかと聞こうとしたところで、コンコンとノックの音が部屋に響いた。


「ソフィさん、部屋に入っても大丈夫ですか?」

「あ、はい、支度は済んでますのでどうぞ」


 返事を返すとすぐに昨日の男性が部屋に入ってきた。それと入れ替わりに、マーサさんがお辞儀をして部屋を出ていく。


「おはようございます。今日もとても素敵ですね」

「ありがとうございます……。あの、昨日は過分なおもてなしをいただきまして……」

「当然のもてなしですよ。ところで、今日はソフィさんをお連れしたい場所があるんです。ついてきていただけますか?」

「分かりました。ご一緒させてください」


 そう答えると、《リュカ》が私の手を握る。昨日から隙あらば触れてくるが、高貴な人たちの世界ではこれが普通なのだろうか?

 よく分からないが、不思議と嫌な気持ちはしないので、そのままにしておくことにした。


「あなたも今日はシンプルな装いなんですね」

「はい、今日はこの格好のほうが相応しいと思いまして」


 昨日はいかにも貴族らしい格好をしていたのに、今日の彼は少し小綺麗な平民といった装いだった。私のドレスと調和する色やデザインで、まるでお揃いで誂えたかのようだ。もしかしたら、これから馬車で町へ出掛けたりするのだろうか。そんなことを考えていると、《リュカ》が楽しげな顔で微笑んだ。



「では、出発しますね──転移」



 次の瞬間、妙な浮遊感に包まれたかと思うと、ふわりと柔らかな地面に着地した。

 そして、部屋の中にいたはずの私たちは、なぜか森の中に立っていたのだった。


「えっ、どういうことですか? いつのまに外に……」


 私が驚いて尋ねると、《リュカ》が楽しそうに笑った。


「魔法です。転移の魔法で森まで飛んできたんですよ」

「転移の魔法?」


 たしか転移の魔法は便利な反面、非常に大量の魔力を消費するため、優れた魔力を持つごく一部の人しか使えないものだった気がする。私のような生活魔法しか使えないような人間では、とても扱えない大魔法だ。

 でも、現に私は一瞬で室内から森の中に移動した。


「……あなたって、ものすごい魔法使いなんですね」

「そう思いますか? ありがとうございます」


 初めての大魔法を目の当たりにして思わず称賛すると、《リュカ》は嬉しそうに顔を綻ばせた。ささやかな魔法しか使えない私に褒められたところで、何にもならないと思うのだけれど。


「……ところでソフィさん、何か気づきませんか?」

「え? 何か、ですか……?」


 何かとは何だろうか。とりあえず辺りをきょろきょろと見回すと、とても見覚えがあることに気づいた。


「ここは……私の家がある森ですか?」

「はい、そうですよ。では、家にも行ってみましょうか」


 そうして歩き慣れた道を辿って、私の中では数日ぶりの我が家へと到着した。

 本当に10年も経っていたら何かしら変化があってもよさそうだが、玄関前に置いていた木桶や箒も私の記憶にある状態のままだ。家の中もどうなっているのか確認しなくてはと思ったところで気がついた。


「あ、家の鍵を持ってきていません……」

「俺が持っているので大丈夫ですよ」


 いや、何も大丈夫ではない。なぜ人の家の鍵を勝手に持っているのだろうか。

 そんな私の心の声が聞こえたのだろうか。《リュカ》が困った顔で言った。


「ソフィさんが俺にくれたんですよ。『リュカも持っていたほうがいいから、合鍵を作ったよ』って……」

「……たしかにリュカには合鍵を渡したけど……」


 合鍵を持っているということは、やっぱり彼はリュカなのだろうか。リュカから鍵を預かっている可能性もあるが、さっき森の中を並んで歩いたときは、この辺りの地形にも詳しく、ずいぶんと歩き慣れた様子だった。


「さあ、家の中に入りましょう」


 《リュカ》に促されて家の中に入ると、少し物の置き場が変わっている気がしたが、埃も積もっておらず綺麗な状態だった。


「家や家具が傷まないよう、家全体に保存の魔法をかけていたんです」

「全体に……? それもすごく大変なんじゃないですか? どうしてそんなことを……」

「大したことありません。この家は俺にとって、とても大切な場所ですから、綺麗に残しておきたかったんです。それにソフィさんが目覚めたときに家がボロボロになっていたら、きっと悲しむと思って……。ほら、俺が身長の高さにつけた柱の傷も、くっきり残っていますよ」


 《リュカ》が指差した先には、リュカが14歳の誕生日の日に柱に刻んだ傷があった。


「あの時は、あと少しでソフィさんの身長に追いつけそうで嬉しかったんです」


 そう言って屈託ない表情で笑う《リュカ》の姿に、私の知っている14歳のリュカの姿がふと重なって見えた。


 さっきからずっと、頭の中がぐるぐると回り続けている。

 目覚めてからずっとリュカには会えず、目の前の大人の男性が自分がリュカだと言う。とうてい信じられなかったが、常に私を気遣ってくれるところや、たまに見せるあどけない笑顔は本当にリュカそっくりだし、この森や家のこと、私とリュカのささやかな思い出まで知っていた。



「ところでソフィさん、朝食がまだでしょう。ここで一緒に食べませんか?」

「……それは構いませんが、材料はあるんですか?」

「はい、昨日のうちに準備しておきました」

「用意がいいですね……」

「さあ、ソフィさんはテーブルで待っていてください。俺が作りますから」


 そう言って《リュカ》は台所に立ち、手際よく料理を始めた。パンの香ばしい匂いや、ジュウジュウとベーコンが焼ける音が食欲を誘う。


「できましたよ。召し上がってください」

「わあ……!」


 パンと目玉焼きとベーコンとスープ。我が家のおなじみの朝食だ。


「いただきます」


 パンを頬張り、スープを飲んで、目玉焼きを口に運ぶ。


「──この目玉焼きの焼き加減、リュカと一緒……」


 どうしてか分からないけれど、彼が作ってくれた目玉焼きを食べた瞬間、私は確信した。


「……本当に、あなたがリュカなんだね」

「……はい、ソフィさん」


 リュカが穏やかな眼差しで私を見つめる。私は一つ深呼吸して彼の綺麗な金色の瞳を見据えた。


「リュカ、ごめんね。……ずっと一人にしちゃって」

「……いえ」

「あの日のこと、話してくれる?」

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