第10話 目覚め
「おはようございます」
その日、私は非常に耳に心地よい、落ち着いた男性の声で目を覚ました。
「おはようございます……」
寝起きのはっきりしない頭で、ほとんど条件反射で挨拶を返す。そうして何度か瞬きを繰り返した後、私はあまりの驚きに一瞬で覚醒した。
「ここは一体……?」
目の前には優美で繊細な植物の絵が描かれたベッドの天蓋。私はなぜか、ふかふかのベッドに横たわり、辺りにはえも言われぬ良い香りが漂っている。私はもぞもぞと起きあがった。
これはどういうことだろう。なぜ私はこんなに豪華な部屋で、最高級のベッドに寝ていたのだろうか。私は万能薬を求めて荒地に来ていたはずだ。そして魔物からリュカを助けようとして……。
「……そうだ、リュカは!?」
リュカのことを思い出して、つい叫んでしまうと、横から「はい?」と先ほどの心地よい声が聞こえてきた。顔を向けると、まるでこの世のものとは思えないほど美しい男性が笑顔で私を見つめている。
「あの、リュカという子を知りませんか? 14歳の男の子なんですけど……」
もしかしたら私と同じく救助されて、別の部屋で休んでいるのではないか。そう思って尋ねてみると、男性はゆっくりとうなずいた。
「はい、知っています。ここにいますよ」
「よかった……! どこも怪我はしていませんか? 危ない目に遭わせてしまって本当に申し訳なくて……」
リュカもここにいると知って安堵した私が、つい早口で捲し立てると、男性は嬉しそうに微笑んだ。思わずどきっとしてしまうほど色っぽい。
「大丈夫です。あなたのおかげで無事だったんですよ。本当にありがとうございます」
「は、はぁ……」
なぜリュカを助けたことで、この男性にお礼を言われるのだろうか。はて、と首を傾げたところで、あることに気がついた。
この男性も、リュカと同じで、白銀の髪に金色の瞳なのだ。もしかしたら親族の方かもしれない。私より年上のようだが、まだ若いので父親ということはないだろう。叔父とか従兄とかかもしれない。
でも、親族に見つかってしまって、リュカは大丈夫だろうか。早く側にいってあげなくては。
「あの、リュカはどこにいますか? 側についていてあげたくて……」
「ふふっ、側についていてあげたいだなんて、嬉しいです。大丈夫ですよ、もうずっと一緒ですから」
男性が顔を綻ばせ、なぜか両手で私の手を握る。さっぱりわけが分からない。
「えっと、私はリュカのいる部屋に連れて行ってほしいのですが……」
失礼にならないよう、握られた手はそのままで改めて尋ねる。
「彼ならこの部屋にいますよ」
「えっ、どこですか?」
あまりに部屋が広すぎて見落としてしまったのだろうかと思って辺りを見回すが、やっぱりいない。
「……分かりませんか?」
「はい、申し訳ないですけど、いい加減に教えてくださいませんか?」
なかなかリュカに会わせてくれない男性に少し苛立って、そんな風に言ってしまうと、男性は楽しそうに声を立てて笑った。
「すみません、あまりにも嬉しくて、少しからかいすぎてしまいました。許してください」
「は、はあ……」
怪訝な顔で返事をすると、男性は優雅な手つきで私の手を持ち上げ、その甲に優しく口づけた。
「!?」
突然の口づけに驚く私を、男性が嬉しそうに見つめる。そして、私をさらなる混乱に陥れた。
「──俺がリュカです、ソフィさん」
「は……? 何の冗談ですか? リュカはまだ14歳の子供で──」
この状況での訳の分からない冗談に、さすがに腹を立ててそう言うと、自身をリュカだと名乗る男性は気遣わしげに私の手を撫で、静かに告げた。
「……あの日から、もう10年が経ったんですよ」
「は……?」
まったく訳が分からない。あの日──というか、私にとっては今日とか昨日くらいの感覚なのだが──魔物に出遭って意識を失った日から、もう10年が経っている……?
私はベッドから飛び出して、すぐ傍にあった鏡台で自分の姿を確認する。
「……変わってない」
10年も過ぎていれば、容姿も変わっているだろうと思ったのだが、私の見た目はあの日のままだ。あの日の服に、あの日の靴。髪型もそのままで、顔は荒地の砂埃で少し汚れている。
……いや、いくらなんでも、10年経ったわりには、あの日のまますぎないだろうか?
「本当に10年も経ったんですか? 私のこと、まだからかっているんじゃないですか?」
「……本当ですよ」
「だって、何も変わってないじゃないですか──」
混乱のあまり少し泣きそうになると、リュカと名乗った男性が近づいてきて、私の体をそっと抱きしめた。
「ソフィさんを困らせてしまってすみません。明日、きちんと説明しますね。今日は体を綺麗にして、美味しいものを食べて、ゆっくり休んで心を落ち着けてください」
《リュカ》が長い腕と大きな手で、私の体をすっぽりと包み込む。さっきから、初対面だというのにずいぶんと接触過多だ。でも、あまりにも訳が分からなくて不安でいっぱいになっていた私は、彼の温もりと、どこか懐かしさを感じる匂いに、少しだけ気持ちが和らいだ。
温かな腕の中で「はい」と返事をすると、彼は「いい子ですね」と囁き、メイド服を着た女性を呼んであれこれ指示を出した。
「……では、俺は戻りますね。明日また会いにきます。使用人たちには、ソフィさんを丁重に扱うよう言っていますから、何でも頼んでくださいね」
《リュカ》はそう言うと、最後に名残惜しげに私を見つめ、部屋を出て行った。
……彼は本当に、あのリュカなのだろうか?
10年後の姿だと言われれば、そんなような気がするけれど。
子供のときからあれだけの美少年だったのだ。成長したらあんな風に、神話に出てくる神様のような麗しい男性になったかもしれない。
でもやっぱり俄かには信じられないが。
「……まあ、明日ちゃんと説明してくれるっていうし、それを待つしかないか」
そう呟いた瞬間、部屋の扉がノックされ、5人のメイドが次々に入室してきた。その中で柔らかな雰囲気の年かさの女性がこちらへと進み出て、にっこりと微笑む。
「な、なんでしょう……?」
「わたくし、ソフィお嬢様をお世話させていただきます、マーサと申します。ソフィお嬢様にはこれより湯浴みをしていただきます。わたくしどもが誠心誠意、心を込めて隅々まで磨き上げて差し上げますので、どうぞごゆっくりお寛ぎくださいませ」
「えっ、皆さんが私の体を洗うってことですか?」
「もちろんでございます」
彼女たちが私の体を洗う?
今までせいぜい親にしか体を洗ってもらったことがないのに?
絶句する私を見て了承の意味だと捉えたのか、メイドが私を取り囲み、部屋の外へと連れ出す。
「いや、無理です無理です! 一人で洗えますから……!」
そんな心からの叫びも虚しく、五人がかりでの私の磨き上げコースが幕を開けたのだった。
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