第5話 弟じゃない
リュカの誕生日から二週間後、私とリュカは町に来ていた。
元々、町の診療所に薬を卸に行く予定だったので、約束どおりリュカも連れてきたのだ。
リュカには目立たない色味の服を着せ、髪や目が隠れるよう目深に帽子を被せている。
最初はフード付きのローブを着せようかと思っていたのだが、今日は春らしいぽかぽか陽気でフード付きのローブを着込むのは逆に目立ちそうだったので止めたのだった。
「リュカ、町に来ても平気? 怖くない?」
「はい、大丈夫です」
小声でリュカに問えば、リュカは私の目を見て大丈夫だと言い切った。一年前の人目を嫌って避けていたリュカの姿を思い出し、その成長に思わずじーんと感動してしまう。
「ソフィさんは何か欲しいものはありますか? ちなみに、五千フロン持ってきてます」
「えっ、それってリュカにあげてたお小遣い全部じゃない。そんなに使わせられないよ」
「いいんです。他に使いたいこともないですし」
「でも、ゆくゆくうちを出て行くことになった時に、入用になるかもしれないでしょう?」
元々はそういうときのことも考えて渡していたお小遣いだ。それなのに、私へのプレゼントのために使わせてしまうなんて申し訳ない。そう思ったのだが……。
「……ソフィさんは、俺とずっと一緒にいてくれるんじゃないんですか?」
リュカが子犬のような目で私を見上げてくる。
しまった。今の言い方だと、早く出て行かせようとしているみたいに感じさせてしまっただろうか。
私は慌ててリュカの手を取って言い聞かせる。
「もちろんよ。リュカはずっとうちにいてくれていいんだからね。私が言ったのはもしもの話よ」
「本当ですか……?」
「ほんとほんと。……ほら、お店を見て回ろう。私が欲しいものを買ってくれるんでしょ?」
「はい! では、行きましょう」
なんとか機嫌を直してくれたリュカの手に引かれながら、ここはリュカの気持ちを尊重しつつ、なるべくお値段控えめのものをお願いしようと密かに決めたのだった。
「ソフィさん、これも似合いますよ」
「そ、そう? 普段こんなのつけないから、なんだか照れちゃうわね」
あれから私とリュカは衣料品店や靴屋や鞄屋など何軒かの店を巡り、雑貨を売っている店に流れ着いた。
そして今、私はリュカにいろいろな髪飾りを取っ替え引っ替え試されている。
「ソフィさんの髪は綺麗な栗色ですから、翠色がいいでしょうか。でもこの淡いピンクの飾りも似合いますね」
私が「髪飾りが欲しいかも」と言った途端、リュカはこんな調子ですべての髪飾りを「これも似合う」と言いながら私の髪に当ててくるのだ。
たしかにどれも可愛いが、そんなに何でもかんでも似合うわけがない。さて、どうしようかと目線を漂わせたとき、棚の端に隠れていてまだ試着していない髪飾りを見つけた。
チェック柄の生地の真ん中に丸い琥珀がついていて、可愛らしいけれど普段使いもできそうな髪飾りだ。しかもお手頃価格でリュカのお財布にも優しい。
「私、この髪飾りが気に入ったわ」
手に取ってリュカに見せるが、リュカは「これも素敵だとは思いますが……」とあまり納得してない様子だ。
「だめ?」
首を傾げて尋ねると、リュカは一瞬たじろぎながら「だめじゃありませんけど、もっと高価なものでもいいのに……」と不満を漏らした。
「ううん、これがいいの。だって、この琥珀がリュカの瞳みたいで綺麗だから」
「…………」
「リュカ?」
「……ソフィさんは、ずるいです」
「え? ずるい?」
うっかりリュカを怒らせてしまったかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
ほんのり顔を赤らめて、可愛い顔で睨んできた。
「……そんなこと言われたら、これを買うしかないじゃないですか」
「ふふっ。だってこれがいいんだもの。プレゼントしてくれる?」
「もちろんです」
「あ、そしたら、買ってもらったらそのまま髪につけてもいい? せっかくリュカとのお出かけだから、お洒落しちゃおうと思って」
「……嬉しいです。俺がつけてあげてもいいですか? 俺からのプレゼントなので」
「そっか。じゃあ、お願いするね」
それからリュカが会計を済ませ、買ったばかりの髪飾りを手に取って私の正面に立った。
私はリュカが髪飾りをつけやすいように少しかがんだ姿勢を取る。リュカの綺麗な手が優しい手つきで私の髪に触れて、少しくすぐったい。
「はい、できました」
「わあ、ありがとう! どう? 可愛いかな?」
「……とても可愛いです」
正直、顔を真っ赤にして伏し目がちに呟くリュカのほうが可愛いと思う。
でも、褒めてもらえたのは素直に嬉しい。私が上機嫌でリュカの頭を撫でていると、雑貨屋の店員さんが微笑ましいものを見るような温かい眼差しをこちらに向けていた。
「素敵な弟さんですね〜」
「はい、本当にいい子なんです」
そんな風に自慢しながら店を出ると、またリュカが物言いたげな目で見つめてきた。
「どうしたの?」
「……俺、ソフィさんの弟じゃないのに」
どうやら店員さんに言われた言葉が気になったらしい。たしかに本当の弟ではないが、弟分と言って差し支えないし、なんなら本当に私の弟になればいいのにとさえ思っている。
そうリュカにも伝えると、リュカはなぜか複雑そうな顔をした。おかしいな、喜んでくれると思ったのに。
どうしたら機嫌を直してくれるかなと考えていると、不意に後ろから声をかけられた。
「ソフィちゃん!」
「……あ、セザールさん!」
声の主は、この町に住む知り合いの男性だった。私よりも五つ年上で、町の自警団の団長さんだ。背が高くて気さくないい人で、実は密かに憧れていたりする。
「この間の怪我はもう治りましたか?」
「ああ、おかげさまでね。やっぱりソフィちゃんの作る薬は効き目がいいな。傷も綺麗に消えたよ」
「それはよかったです。でも、あんまり無理はしないでくださいね」
「心配してくれてありがとな。気をつけるよ」
セザールさんはそう言って私の頭をぽんぽんと撫でると、リュカの存在に気づいて声をかけてくれた。
「あれ、君はもしかしてソフィちゃんの弟?」
「……違います」
「そうか。なら近所の子かな? 俺はセザールだ。ソフィちゃんにはいつも世話になっててな。まだ若いのに腕利きの薬師なんだ」
「……知ってます」
リュカのセザールさんへの態度が素っ気なさすぎて、ちょっと失礼ではないかと冷や冷やしてしまう。さっきまでは色んな店員さんにも愛想よくしていたのに、やはり弟に見られることが不満なのだろうか。
結局、セザールさんも困ったような笑顔を浮かべながら「じゃあ、またな!」と言って去っていってしまった。
これは今度会ったときにお詫びしないといけないなと思いつつ、リュカにも注意しなくてはと振り返ったのだが……リュカがひどく暗い顔になっていることに気づいて、思わず声をかけるのをためらってしまった。
そんな私に向かって、リュカが沈んだ声で呼びかける。
「──ソフィさんは……」
「え?」
「ソフィさんは、ああいう男性が好みなんですか?」
「えっ、な、なんで急に?」
「さっきの人と話してたとき、頬を染めて嬉しそうにしていました」
「いや、セザールさんのことは好きっていうか、憧れてるだけで……」
「好きと憧れは違うんですか?」
「えっ、それは……」
なかなか難しい質問を投げかけられて、思わず答えに窮してしまう。
好きと憧れは違うとは思うけれど、そういえばどう違うのだろうか。
「えっと、好きっていうのは、その人と恋人同士になりたいとか、触れ合いたいとか思うものだけど、憧れは別にそうは思わないというか、その人を見て自分が元気になるみたいな……そんな感じかな?」
「……じゃあ、ソフィさんはさっきの人と付き合いたいわけではないんですね」
「ええ、そうよ」
「分かりました。ならいいです」
何が分かったのか、なぜいいのか、私はさっぱり分からないけれど、リュカの機嫌がわずかながら直ったように見えるので、それでよしとする。
さあ、リュカの機嫌も戻ったし、そろそろ帰るとしよう……と思っていたら、リュカがまたおかしな質問をしてきた。
「ちなみにソフィさんは、どんな男性が好みなんですか?」
さっきから一体何だというのだろう。
……いや、待った。リュカはもう13歳で思春期だ。恋愛に興味が出てきて、身近な女子として私の意見を聞きたいということかもしれない。
それなら、少し気恥ずかしいが、忌憚のない意見を伝えるべきだろう。
「私の好みは……背が高くて、格好よくて、頼りがいがあって、年上の人がいいかな。最低でも5歳は上で」
私がそう答えると、リュカは打ちのめされたような様子で、片手で目元を押さえた。
もしかしたら、自分と比べてショックを受けているのだろうか。
リュカはまだ身長はそんなに高くないし、格好いいというよりは可愛いし、リュカの5歳年下だと8歳になってしまうからね……。
でも今のはあくまでも私の好みなのだから、リュカが気にする必要はないのに。
「リュカ、今のはあくまで私の好みだから気にしないで」
「気にせずにいられません……」
「リュカは成長したらもっと背も大きくなると思うし、同い年とか年下好きの子もいるから大丈夫よ」
「でも、ソフィさんは年上が好きなんでしょう?」
「それはそうだけど」
ふーっと大きな溜息を一つ吐いて、リュカが言った。
「ソフィさん、俺、早く大人になりますから」
「そ、そう。応援してるわね」
私としては、もっとこの可愛い時代が続いてほしいのだが、そんなことを言ってはまた不機嫌になってしまいそうだ。
やはり思春期の男の子だから、早く大人になりたい気持ちが強いのだろう。だからさっきも、小さな弟扱いされるのを嫌がったのかもしれない。
私もあんまり子供扱いしていたら、反抗期になったリュカに口をきいてもらえなくなるかもしれない。それは悲しすぎる。
もう少し大人の扱いをしてあげないとな、などと考えながら、私は何か決意した様子のリュカの横顔を静かに見つめるのだった。
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