第3話 約束
それから半年経ったある日のこと。
「ソフィさん、雨雲が出てきたので洗濯物を取り込んでおきました」
「ありがとう、助かったわ」
洗濯籠を抱えたリュカにそう声を掛けた瞬間、リュカの体がふらりとよろめいた。手から洗濯籠が滑り落ちてドサリと音を立てる。
「リュカ! 大丈夫?」
「すみません、大丈夫です。ちょっと目眩がしただけで……」
「待って、あなた熱があるんじゃない?」
リュカの様子を見ると、顔が赤く、目も充血して少し汗ばんでいる。明らかに体調が悪そうだ。私はリュカに駆け寄って、彼の頬に両手を添えた。
「ソ、ソフィさん……?」
戸惑うようなリュカの声が聞こえるが、気にしている場合ではない。
「やっぱり発熱してるわ。けっこう高いわね……。今日はもう何もせずに部屋で休んでなさい。すぐに薬を持っていくわ」
「あ、でも洗濯物をしまわないと……」
「それは私がやっておくから。具合が悪いときは無理せず休むこと」
「はい、すみません……」
「気にしないで。この時期は風邪に罹りやすいの。こじらせたら大変だから、しっかり休んでほしいわ。ね?」
「分かりました。部屋で休みます……」
リュカは発熱しているのを自覚したせいか、一気に具合が悪くなってきたようで、ふらふらしながら部屋へと戻っていった。
私はそのまま薬棚の引き出しを開け、風邪の諸症状を和らげる薬を取り出す。あとは
必要なものを揃えてリュカの部屋を訪れると、リュカは辛そうな呼吸をしながらベッドの中で休んでいた。
「リュカ、ちょっと体を起こして、この薬を飲んでもらえる? つらいのにごめんね」
「……いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
リュカの体に手を添えて上半身を起こすのを手伝った後、薬と水を手渡して飲んでもらった。
「これで少し楽になってくると思うから。寒気はある?」
「……いえ、とにかく体が熱いです」
「そう……。濡れタオルで冷やしてあげるわね」
魔法で盥の中に氷水を作り、タオルを浸してきゅっと絞る。そうして出来た冷たいタオルをリュカの汗ばんだおでこに乗せた。
「冷たくて気持ちがいいです……」
「よかった。そのまま目をつぶって眠るといいわ」
「はい……」
リュカが目を閉じて吐息まじりの返事をする。
リュカが辛そうにしている姿を見ると、どうしても弟の最期を思い出してしまい、胸が苦しくなる。
幼い子が苦しげにしているのを見るのは辛い。自分が代わってあげられたらいいのに……。
私は熱のせいで火照ったリュカの手を握り、「早く良くなりますように」と願いを込めてから、そっと手を離した。
「また後で様子を見にくるわね」
「……」
すぐに寝入ってしまったらしいリュカの呼吸が正常なのを確かめると、私はリュカを起こさないよう静かに部屋を後にした。
その後、何度かリュカの様子を見にいったが、薬のおかげかだんだんと体が楽になってきたようで、夕食はパン粥をほぼ完食してくれた。
この分なら、明日の朝には熱も下がって元気になるかもしれない。でも、本調子になるまでは無理させないよう気をつけなくては。
そんなことを考えながらお風呂から上がり、最後にもう一回リュカの様子を見てから寝ようと思ったとき。リュカの部屋のドアを開けて聞こえてきた苦しそうな声に、私は驚いて駆け寄った。
「リュカ、苦しいの?」
「……何も……できない……どうして……」
どうやら、熱のせいか悪夢にうなされているようだ。どんな夢かは分からないが、早く目覚めさせてあげたい。私はリュカの手を握り、頬に手を当てて呼びかけた。
「リュカ、起きて。それは夢よ、リュカ!」
「…………ソフィさん?」
何度か名前を呼ぶと、リュカが目を開けて何度か瞬きした後、ゆっくりとこちらに視線を移した。
「リュカ、大丈夫? うなされていたから起こしたの」
「あれは……夢?」
「ええ、そうよ。全部夢だから、何も心配しなくていいわ」
「俺は……ここにいてもいいの? 役立たずじゃない……?」
リュカがうわ言のように呟く。
どうしてそんな悲しいことを言うのだろうか。誰かからそんな風に言われてしまったのだろうか。
私は許せない気持ちになって、リュカの手を握る手に力を込めた。
「もちろんよ。役立たずだなんてこと、あるはずないわ。あなたは頑張り屋さんで、とても立派よ」
私が本心からの言葉を返すと、リュカは一瞬切なそうに眉を寄せて私を見つめてきた。
「……ソフィさん、ずっとそばにいてほしいです」
「ええ、ずっとそばにいてあげる。だから安心して」
そう答えると、リュカはうっすらと微笑んで、その瞳から涙が一粒こぼれ落ちた。
「……約束ですよ」
「うん、約束」
私が頷くと、リュカは安心したように瞼を閉じ、しばらくすると安らかな寝息が聞こえてきた。
「……リュカはまだ何か隠しているのかな」
以前にリュカの出産で母親が亡くなってしまったことは聞いたが、さっきはそれとは別の悪夢にうなされていたように見えた。
自分の無力さを悔しがっているようで、自分の居場所や存在意義を求めているようにも感じられた。
まだ12歳の子供が、一体いくつの苦しみを背負っているのだろう。私が助けになれることはあるだろうか。
せめて、ここで私と一緒に暮らす日々が、少しでもリュカの心を軽くしてあげられていたら。そう願わずにはいられなかった。
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