第18話  演武の日に

 その日の馬場には多くの家臣が集まっていた。

 藩を救った騎馬槍術がどのような技なのか興味津々の面持ちだ。 

 馬場には三本の道筋が作られ、一本目は二間ごとに二列に置かれた背丈せたけほどの台に水瓶みずがめが置かれている。二本目には同じ間隔で竹が立てられた。三本目は中ほどに据えられた木馬にわら人形が乗っている。

 その三本の道筋を横から眺めるように陣幕が張られ、木馬の真横に床几しょうぎが置かれた。

 庄二郎は一本目の道の端に立っていた。

 乗羨が側近と出てきて床几に座ると、庄二郎は一礼して騎乗した。

 白いたすき鉢巻はちまき姿で槍を立てると、「始めい!」と声がかかった。

 庄二郎は「行くぞ」と風笛に告げると手綱を離して走り出した。

双輪そうりん!」と発して槍を縦に回し始めると台の間を駆け抜けながら次々と水瓶を叩き割った。 

 大勢のどよめきが冷めやらぬうちに庄二郎は折り返すと二本目を走り出した。

舞扇まいおうぎ!」と大声で言った後、今度は竹の間を駆け抜けた。竹は斜め上と下からひらひらと繰り出された槍によって、綺麗な切り口を見せながら宙に舞った。

 見ていた者は竹林の中を黄金色こがねいろの扇で舞い進むかぐや姫を思い描いた。

「おお、何と美しい」

 口々に感嘆の声を漏らした。

 最後を折り返すと庄二郎は「脇貫わきぬき!」と叫んで藁人形に向かった。

 だが何もせぬまま通り過ぎようとした。

 次の瞬間、槍の石突きが振り子のように前に振られると、庄二郎は穂の近くを逆手に掴んで己に向かって突き刺した。

 誰もが「ああ」と悲痛な声を上げる中、槍は庄二郎の脇の下をすり抜けて見事に人形の首をね飛ばしていた。

 思わず乗羨も立ち上がって「見事じゃ」と声を上げた。


 庄二郎は迎えに来た武士に風笛と槍を預けると、襷と鉢巻を解いて乗羨の前で膝をついた。

「見事であった。よくこのような技を繋いできてくれた。そちの先祖にも礼を言うぞ」

 乗羨は藩を救った騎馬槍術を素直に褒めた。

「ありがたき幸せ、お褒めの言葉を賜りしは当家のほまれにございまする」

「ところで庄二郎、そちの覚悟を聴く前にやはり話しておかねばならぬ。此度は余の話を遮るでないぞ」

 乗羨は先に釘を刺した。

 庄二郎は黙って聴くしかなかった。

「余はそちを欲しがる家臣たちの書状をすべて読んだ。だがその理由は忠臣だの腕が立つだの才があるだの、そちのことをまったくわかっておらぬ。ところが数多あまたの候補の中に一人だけ長文にて訴えかけた者がおる。余はその者の言葉に感銘を受けた。庄二郎の原点は領民と共にあること、領民と同じ目の高さで見るからまつりごとが見えてくるとな。その者はそちからそれを学んだとある」

 庄二郎が思い当たるのは一人しかいなかった。

「そのお方は……」

「そうじゃ田野口陣屋家老、坂野兵庫じゃ。そして婚姻するはその息女楓である」

 庄二郎の目に涙が溢れた。

「どうじゃ、まだそちの覚悟とやらを聴かねばならぬか」

 乗羨は優しい笑顔を向けた。

「殿、かたじけのうございます。庄二郎はもう何も申し上げたき儀はございません」

 庄二郎には解せないことがあった。

「先ほど殿は坂野様を家老と仰せになりましたが」

 涙声のまま尋ねると、

「馬鹿め、此度の褒美は己だけと思うでない。坂野は家老に、大野は大目付に出世したのだ。それとな、余が褒美と言ったらそちが喜ばぬものを与える訳がなかろう」

 と高らかに笑った。

 庄二郎は改めて深く頭を下げたのであった。


 庄二郎がみやげ物を沢山もらって家に帰ると、中から感嘆の声が聞こえてきた。

 声を掛けると千絵が笑顔で出迎え、心して部屋に入るようにと告げた。

 何事かと思いながら障子を開けると、そこには白無垢しろむく姿に綿帽子の楓がいた。

「どうですか、お美しいでしょう」

 ぽかんと口を開けたままでいる息子に、千絵が自慢げに言った。

「母上様が自ら縫ってくださいました」

 楓はうつむき加減に微笑むと、一筋の涙が頬を伝った。

「駄目ですよ泣いては。おめでたい日なのですから」

 千絵はそう言うと楓の涙を拭い、

「さあ、あなたの衣装も用意してありますから支度をするのですよ」

 と急かした。

「何事ですか」

 庄二郎が問うと、

「今宵は仮祝言をいたします」

 と言い切った。


 夕刻、勝太郎が大野と連れ立って戻ると、内輪だけの仮祝言が始まった。

 膳を囲み、酒が入ると話は殿さまへの愚痴が最初に出た。

「しかし殿もお人が悪い。どれほど気をもんだことか」

 大野が言うと、勝太郎も、

「そうだとも、二人が到着した日など楓殿の顔をまともに見れなかったぞ」

 と明かした。

 よそよそしい雰囲気はそのせいであったかと庄二郎は今になって理解した。

 千絵までも、

「わたくしも昨年、大野様が楓様の着物を届けてくださった時は嬉しくてたまりませんでした。着物の寸法に合わせて白無垢を縫う楽しい日々が、いつしか楓様に袖も通してもらえぬかとうれう日々に代わり気落ちしておりました」

 今更ながらその不安が甦り涙を滲ませた。

「母上様、わたくしが至らぬばかりに申し訳ございません」

 楓が頭を下げると、

「いいえ、喜びがより深くなりましたよ」

 と再び笑顔になったのである。

「わしと坂野様は二人の婚姻を決めていたのだ。それを殿がややこしくした。しかし坂野様の娘を想う気持ちは最強だな、殿を納得させたのだから。殿もさすがだ、しっかりと見るべきところは見てござる」

 と酔いが回った大野は殿様を肴に上げたり下げたりだ。

 大野はいきなり矛先を庄二郎に向けた。

「庄二郎、そなたは何という大それたことをするのだ。殿のお言葉を遮りおって、わしは肝を冷やしたぞ。殿がお怒りになったらなんとするつもりだったのだ」

 すると庄二郎は、

「楓殿と添えないならば切腹も覚悟しておりました」

 真顔で言うと、楓の方が頬を染めた。 

「それでわしも勇気を出して後で殿に訊いたのだ。それで本心がわかって勝太郎に知らせたという訳よ」

 大野が明かした事実に庄二郎は驚き、

「それでは今朝は皆知っていたのですか。本当にお人が悪いのはどなたでしょうか。父上も何とか言ってください」

 と口を尖らせた。

 忠勝は柱に寄り掛かり座布団を折って腰に当てていた。

 夫婦めおと姿の二人を見てひたすらにこにこと微笑むだけであった。

「わたしもそろそろ嫁をもらうとするかな」

 勝太郎がぽつりと言うと、

「さればわしが今度こそ良い縁談を見つけてやる。おぬしならば殿に奪われることもないであろう」

 と大野が胸を叩いた。それを見て全員が笑った。



 庄二郎と楓はそれからひと月半ほど滞在した。

 坂野兵庫が千絵に願ったことであった。

 楓の母『萩乃』は武家の娘のたしなみは教えても、妻のたしなみを教えることは叶わなかった。

 坂野は庄二郎を育てた母なれば頼っても良いのではないかと考えたのである。

 その願いが通じていつしか千絵は嫁ぐ娘のように楓をいつくしみ、楓は実の母のように慕うようになった。


 ある日のこと、庄二郎は楓と共に忠勝に呼ばれた。

「父上、お呼びでございますか」

 忠勝はすっかり弱って話をすることもままならなかった。

 絞り出すような声で、

「わしは若い頃に坂野様と会っておる」

 と言い出した。庄二郎は驚いて、

「それはまことですか父上。どちらでお会いになったのですか」

 と質した。楓は口を手で覆った。

「参勤交代の折、共に旅をした。わしとは家柄も身分も格段に違えど、偉ぶらずまことに気持ちの良い男であった。わしらは友となり、酒を酌み交わし夢を語り合った。実に楽しい旅であった」

 忠勝は遠くを見るように話した。

「その後は奥殿と田野口に分かれて再びまみえることは叶わなんだが、今こうして子供たちが結ばれた。わしはもう思い残すことはない」

 楓は涙を浮かべ、

「わたくしは父から何も聴いてはおりませんでした」

 と言うと、忠勝は手のひらを横に振って、

「庄二郎がわしの息子とは気付いておられぬのだろう。わしが早くに隠居し、表に出ているのは勝太郎の名だからのう」

 と笑って見せた。

 忠勝は庄二郎と楓の手を重ねて弱い力で握った。

「最後に言っておく。そなたたちの出逢いはわしたち父親の願いだ。此度の戦いが過去からのさだめならば、そなたたちの出逢いは未来へのさだめだ。いつまでも仲睦なかむつまじゅうにな」

 忠勝は疲れ果てて目を閉じた。

「父上、かたじけのうございます。庄二郎はお二人の息子になれて幸せにございます」

 庄二郎は二人の手を強く握り返した。

 とめどなく溢れる涙を拭おうともせず、二人はいつまでも眠る父の顔を見ていた。

 忠勝が息を引き取ったのはそれから数日のことであった。

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