第17話  帰郷と登城

 春の中山道は雪が解けても頬に触れる風は冷たかった。

 庄二郎は自分が歩んできた道程を説明しながら先に進んだ。

 休憩しようと笠取峠の茶屋に立ち寄ると、中から出て来た店主が庄二郎の顔を見て驚いた。

「あっ、あの時のお侍さんだ。いつぞやは山賊を退治してくださりありがとうございました。今では安心して旅ができるようになりました」

「ああ、おやじさんか。あの折は茶漬けを馳走になりかたじけのうござった。あれから役人は来たのですか」

 庄二郎はおくみを案じて早々に離れたのでその後のことは知らなかった。

「はい、お役人様は山賊を捕縛しに山へ入られましたが、山賊が数珠じゅずつなぎに次から次と出て来た時には腰が抜けるほどたまげました。お役人からは本当に一人でしたのかと何度も訊かれましたよ」

 楓は愉快そうに聴いている。

 店主は茶と一緒に頼みもしない団子を置いて奥に戻った。

「此処で吉兵衛殿たちと出会ったのです」

 庄二郎が言うと、

「おくみさんはさぞかし怖い思いをされたでしょうね」

 楓は辺りを見渡しながら当時のおくみに想いを寄せた。


 二人は長久保で宿を取り、翌朝から和田峠を目指した。

 大門街道の分かれ道まで来ると、

「左手が大門街道です。わたしは陣内剛三郎をあざむくため遠回りをしたことで、おみっちゃんを預かることになり共に大門街道を下りてきたのです」

 庄二郎は馬に揺られる可愛い姿を懐かしく思った。楓は吾助を置いて来た後悔に悩む庄二郎の姿を思い出していた。

 

 和田峠を越えるのは初めてであった。

 頂上からの下りになると庄二郎の顔に陰りが見え始めた。

 やがて襲撃現場に差し掛かると庄二郎は道のかたわらにしゃがみ込んだ。

「此処です。此処に馬廻り衆を運んだのです」

 そこには福寿草が花を咲かせ、僅かに残った雪の中からふきとうが顔を出していた。

 楓も庄二郎に並んで手を合わせた。


 慈福寺では円恵和尚が相変わらずの赤鼻で迎えた。

 昨年、先に奥殿に戻った大野も立ち寄ったという。

「国元でも遺品を埋葬して墓を建てたと聴きましたが、此処も良い所でしょう」

 庄二郎が言うと、

「ええ、とても。諏訪湖が一望できて美しいです」

 掃き清められた境内には紅白の梅が互いをでるように咲いていた。

「お願いしたき儀がありますれば、また参ります」

 円恵は、

「待っておるぞ」

 と多くは訊かなかった。


 笹屋に着くと、真っ先に飛び出してきたのは仙吉だった。

「仙吉さん、お久しゅうございます。お世話になります」

 楓が言うと、

「楓様、またお会いできて嬉しいです」

 仙吉もそう言って奥へ案内した。

「堺様、大活躍だったそうじゃありませんか」

 と藤右衛門が言うと、周りから男衆や女中たちも顔を出して、

「庄二郎さんご本懐、おめでとうございます」

 と口々に声をかけた。

「何ですか皆で庄二郎さん、庄二郎さんと。庄二郎さんは立派なお侍ですよ」

「ほら、だんな様だって庄二郎さんと」

 藤右衛門は自分の額を叩いて、

「とにかく庄二郎さんは町人姿の時で、今は堺様……もうややこしい」

 と大騒ぎであった。

 そこに医者の玄庵まで現れ、

「庄二郎が来ているそうではないか」

 と騒ぎに拍車をかけた。

 奥座敷に通されてやっと静かになると、庄二郎は改めて挨拶をした。

「此度無事にお役目を果たすことができたのは、藤右衛門殿と玄庵先生のご指導があったからです」

 庄二郎が頭を下げると、

「いいえ、あなた様が元々持っていらしたお人柄や才がそうさせたのです」

 藤右衛門が言うと玄庵も黙って頷いた。

「楓様もお近くで見ていてそう思われたことでございましょう」

 水を向けられた楓は、

「はい、庄二郎様は他とは違う柔軟な考え方をなさいます。されどそれを見抜き背中を押されたのはお二人です。わたくしもお二人に感謝申し上げます」

 と答え、庄二郎を見た。

 庄二郎も笑顔で目を合わせた。

「お主は良い伴侶を手に入れたな」

 玄庵の言葉に慌てて、

「まだ伴侶ではございません」

 と頬を染めた。

「まだとな?」

 玄庵は意地悪く微笑んだ。



 奥殿では大野が広めた武勇伝により庄二郎の人気が高まっていた。

 家で出迎えたのは母の『千絵ちえ』であった。

「庄二郎、よく無事に戻りましたね。馬廻り衆の方々が亡くなったと聴かされて、何事が起ったのかと母は日々案じておりました」

「母上、心配をおかけしました。わたしはこの通り元気です。こちらは坂野兵庫様のご息女、楓殿です」

 庄二郎が紹介すると、楓は挨拶を交わした後、

「母上様、長らく庄二郎様をお引止めして申し訳ございません。さぞやお会いしたかったことでしょう」

 と深く頭を下げた。

「まあ何とお美しいお嬢様ですこと。楓様のお屋敷とは比べようもございませぬが、ごゆるりとお過ごしくださいませ」

 千絵はことのほか嬉しそうに楓を見た。

「お父上様はどちらに」

 楓が訊くと千絵は、

「最近は横になることが多いのです」

 と奥の部屋に目をやった。

 父『忠勝ただかつ』の容体は悪くなる一方で年々痛み止めの量が増えていた。

「ご挨拶に伺ってもよろしいでしょうか」

 すると会話が聞こえたようで、

「庄二郎が帰ったのか、顔を見せてくれ」

 と忠勝の声がした。千絵は楓を連れ立って奥の部屋へ向かった。

 家族で談笑していると表の方が騒がしくなってきた。

 庄二郎の帰宅を聞きつけて亡くなった馬廻り衆の家族たちが集まって来た。

「此度は夫の仇を討ってくださり、まことにありがとう存じます。これで夫も浮かばれましょう」

 そう言って妻たちは涙を拭った。

 子供たちは父の仇を倒した槍が見たいとせがんだ。

 庄二郎が庭に出て槍を見せると、その輝きに目を奪われた男子は、

「母上、わたしも強くなります」

 と母親を見上げた。


 夕刻になって勝太郎が帰って来た。

「兄上、お久しゅうございます。戻って参りました」

 着替えを終えた兄に挨拶をすると、

「思いもよらぬ旅となったな。しかしそなたがいたおかげで藩は助かった」

 そう言うと勝太郎は弟に向かって、

「お役目ご苦労にござった」 

 正座し頭を下げた。馬廻り役組頭としての礼だった。

「兄上おやめください」

 と言う庄二郎にやっと笑顔を見せて、

「少しの間に大人の顔になったな」

 勝太郎は弟が誇らしかった。

 だが、その晩の食事会では庄二郎の話題ばかりで楓の話は避けているように思えた。


 一夜明けて大野が庄二郎を迎えに来た。

「本日、殿へのお目通りが叶った。参るぞ、早う支度をせい」

 庄二郎は兄のかみしもを借り、慣れない姿で大野につき従った。

 道々大野が言った。

「わしは旅に出る前そなたの兄と約束をした。旅を終えたらそなたに良い縁談を見つけてやるとな。しかし、それが大事おおごとになってしまった」

「大野様、それはいったいどういうことでしょうか」

 庄二郎は訳がわからず質すると、

「わしは仙吉からそなたと楓殿のことを聴いて何とか添わせようと思っていたのだ。ところが今や藩の英雄となったそなたに興味を持った殿が、その役はに任せよとおおせられて取り上げてしまわれたのだ。許せ、庄二郎」

 大野は心底詫びたが、相手が殿様ではどうにもできなかったのである。

 庄二郎にとって楓を失うことより他に怖いものはなかった。

「されば殿にわかっていただくまで」

 と言う庄二郎に、

「無礼があってはならぬぞ、よいな」

 と大野は気をもむばかりであった。



「堺庄二郎とやらおもてを上げよ」

 平伏した庄二郎に乗羨のりよしが声をかけた。

 庄二郎は半身を起こした。

「堺庄二郎、お呼びにより参上仕りました。お目通りが叶い、この上なき僥倖ぎょうこうでございます」

 顔はまだ下を向いている。

「庄二郎、苦しゅうない顔を見せてくれ」

「わたくしのような無役の部屋住みが殿のお顔を拝するなど許されませぬ」

 更に固くなって言った。

「かまわぬ、そちのように嫡男ちゃくなんではないため世に出られずくすぶっておる若者がどれだけいると思うか。そちはその者たちに忠義の心を見せ手本となった。それがどういうことかわかるか」

 乗羨の問いに庄二郎は答えが見つからなかった。

「この国の未来が明るいということだ。そちは余に堂々と顔を見せられる無役なのだぞ」

 そう言うと乗羨は嬉しそうに笑った。

 庄二郎はやっと身体を起こし藩主と対面した。

「此度の働き、まことに大儀たいぎであった。そちの活躍は大野からつまびらかに聴いた。真田忍軍とやら幕府に弓引く者どもを討ち果たした功績はご公儀にも伝わり、上様からもお褒めの言葉を賜って余は鼻が高かったぞ」

 乗羨は興奮気味に言った。庄二郎が再び頭を下げると、

「そこで余も褒美を取らせることにした。そちに良い縁組を見つけたぞ」

 愈々いよいよ庄二郎は進退きわまった。大野もはらはらしていた。

「余のもとには娘を持つ家臣からの申し出が集まったが、その中で最も相応しい者を選んだ。その者の名は家老の……」

 言い終わらぬうちに庄二郎が弾かれたように口を出した。

「お待ちくださりませ!」

 大野が慌てて、

「殿のお言葉をさえぎるでない、無礼であるぞ」

 と小さな声で制したが遅かった。

「待てとな、庄二郎どういうことじゃ」

「そのお方の名を聴いてしまったら、そのお方の顔に泥を塗るやもしれませぬ。わたくしにも覚悟がございますれば」

 庄二郎は畳に低くひれ伏して必死に答えた。

「覚悟とな、まあよい。では一日待ってやる。明日の演武が終わったら、馬場にてその覚悟とやらを聴くとしよう」

 乗羨は悪戯っぽく笑うと広間を出て行った。

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