第15話  最後の死闘

 大捕物とりものから一夜明けた早朝、庄二郎は内山峡にいた。

 だが今日は鍛錬に来たのではない。

 庄二郎は向かいの山上にそびえ立つ奇岩を見ている。

 そして、その一点を見つめ考えていた。

 大きな奇岩は太古の昔から動かずにそこにある。しかし、いつか割れるか崩れるかして動く時が来る。

 自分もそうではないか。

 はるか昔、徳川本陣に深く攻め入りながらも敗北した真田軍は無念を晴らすべく真田忍軍さなだにんぐんを残した。

 そして我が先祖も戦乱の世が終わるというのに騎馬槍術の秘術を編み出し子孫に伝えた。

 この二つの因縁が出逢い、ぶつかる時が今なのではないだろうか。

 そう考えると奥殿にて幼き頃からの鍛錬は勿論のこと、旅に同行したこと、附子ぶしの知識、旅で知り合った人々から得た助力、すべてが偶然ではなく繋がっているのだ。

 庄二郎は人智の及ばぬ天のさだめを感じた。

「さだめならば自ずとまみえる筈だ」

 そう呟くと刀の下げでたすきを掛けた。


 その頃、楓は下仁田から今年最後のこんにゃくを背負って内山峠を上っていた。

 その横を驚くような速さで追い抜く十二人の集団がいた。

 たっつけ袴に道中羽織を着こみ頬被ほおかぶりの上に編み笠を被っている。巻いた茣蓙ござを斜めに背負っているが楓は武器を隠し持っていると思った。

 楓は気付かれぬように後をつけたが常人では追いつけないほどの速さだった。

 峠を上りきると一人の男が待っていた。

「頭領、お待たせしました。他の者たちは」

「ぬかったわ、皆捕らえられた。我が忍軍も残るはお前たちだけだ」

 そう言うと内山峡の方角に進んだ。

 先に見つけたのは忍軍の方であった。

「あやつじゃ、お前たち刺客隊しかくたいが目付とあの槍使いを生かしたからすべての目論見もくろみが狂ったのじゃ。今度こそ仕損じるでないぞ」

「はっ、命に代えて」

 背から茣蓙を降ろして刀や半弓を取り出した。

 半弓を持つ二人はすすきの陰に隠れながら庄二郎の横方向に移動した。

 残りの忍びたちは頭領を先頭に正面に立った。

 庄二郎は馬上から忍びたちを見据えた。

「部下を見捨てて逃げたか信濃屋嘉兵衛、まずは本名を名乗られよ」

 庄二郎が先に口を開いた。

「真田忍軍頭領、山地幻太夫やまちげんだゆう。うぬの名は」

「奥殿藩無役、堺庄二郎」

 山地はそれを聴いて驚いた。

「なに!我らは無役の若造にしてやられたと言うのか。情けなくて涙が出るわ」

「さればあの世で泣け、先祖が慰めてくれるぞ」

 いつの間にか探索に出ていた家臣たちが見物している。その中に大野や曽原もいた。

「庄二郎のやつ、なかなか言いよるわい」

 曽原が感心した。

「戦乱の世の恨みを抱いて迷い出た亡者どもめ、我が騎馬槍術で成仏させてやる」

「うぬが言うか、騎馬槍術などと時代にそぐわぬはうぬの方じゃ」

 山地が腕を振って合図を送ると背後にいた部下が一斉に走り出した。

「風笛、覚悟はよいな。行くぞ」

 庄二郎もあぶみを馬の腹に当てた。風笛は今や手綱を持たなくても庄二郎の動きでわかるようになっていた。

 これこそが人馬一体である。

「騎馬槍術、双輪そうりん!」

 そう叫ぶと庄二郎は槍を身体の横で縦に回し始めた。左右交互に回すうちに1本の槍が馬車の双輪のように見えた。疾走する馬車のようにごーごーと音が聞こえてきそうだ。

 敵は左右に別れて斬りかかるが、回転する槍の輪に刀を弾かれ次の瞬間には次々と脳天を砕かれた。  

 何とか槍の下を掻い潜って後ろに回り込んだ者はひらひらと舞う穂の刃で首筋を斬られた。

 藩士たちが「おお!」とどよめくと「あの技は舞扇まいおうぎと云うのだ」

 大野が自慢げに説明した。

 庄二郎が駆け抜けた後には忍びの者たち十人が倒れていた。

 その時であった。横方向から矢が飛んできた。

「庄二郎様あぶない!」

 と叫んで楓が走ってきて跳躍した。

 馬の高さまで飛んで庄二郎に抱き着いた楓の背中に矢が刺さった。いや、矢は楓が背負った竹行李たけごうりに突き刺さったのだ。

 楓は竹行李を放り出すと矢を放った二人の方へ走った。

「駄目だ!矢には毒が」

 庄二郎が言い終わらぬうちに楓はもう二人の敵に到達していた。毒矢をつがえるのに慎重だった二人は二の矢を放つこともできず、半弓のつるもろとも楓の小太刀によって袈裟懸けさがけに斬られた。

「おい、見たか今のは天狗か」

 またもや藩士がどよめいた。

 最後に残った山地は、

「若造、やりおったな。許さん」

 と憤怒ふんぬの形相で庄二郎に向かって走ってきた。

 庄二郎が再び『双輪』から槍を繰り出すと、さすがに忍びの頭領だけあって初めて槍を跳ね上げた。

 山地はそのまま後ろに回って跳躍し、風笛の尻を踏み台にして更に高く飛んだ。

 最高点に達した山地は空中で振り向くと刀を上段に構えた。

 誰もが庄二郎の後頭部に刃が振り下ろされる様を想像した。

 その時であった。後ろ向きの庄二郎の背がきらりと光ったと思ったら山地の首が飛び、胴体と別々に地面に落下したのである。

 庄二郎の脇からは後方に向かって槍が長く突き出ていた。

 凍り付いたその場の空気が一転して、息を吹き返したような安堵のため息に包まれた。

 庄二郎は馬を降りて大野の方へ歩いて来た。

「庄二郎、今の技は何だ」

 大野が尋ねた。

「これこそが奥義おうぎ脇貫わきぬき』です。戦場で騎馬同士がすれ違った時に繰り出す技です。十八の時やっと習得しました」

「どうなっておるのだ、槍が見えなかったぞ」

 大野はしつこく訊いた。

「大野様、奥義なのですから教えられる訳はありませぬ」

 曽原が諫めた。だが庄二郎は、

「あれは自分を刺すように逆手で槍を脇の下へ通すのですが、通った瞬間に槍をひねって縦だった穂を横にするのです。横にしなければ首は落とせませんから」

 と勿体ぶらずに説明した。

「いとも簡単に言うが難しそうだな」

「はい、ひねるのが早すぎても遅すぎても駄目です。極めるまで脇腹を何度切ったことか」

 庄二郎は笑顔で言った。

「うむ、痛い思いをするから奥義なのだな」

「違いますよ」

 大野の冗談を真に受けて曽原が口を尖らせた。

 ふと目をやると楓が竹行李のかたわらにひざまずいてがっくりとうなだれている。

 庄二郎は驚愕きょうがく早鐘はやがねを打つ胸を押さえて楓のもとに走り寄り、後ろから強く抱きしめた。

「毒矢か、何処をやられた!」

 楓はしおらしい声で、

「こんにゃくです、毒入りになってしまいました」

 庄二郎は怒る気にもなれず抱く腕に力を込めた。

「煮売り屋さんも当てにしていますのでもう一度行って参ります」

 そう告げると矢のように峠に向かって走り去った。

「内山峠に天狗がいるというのは真のことだったのだな」

 藩士たちは顔を見合わせた。



 真田忍軍との死闘で勝利した庄二郎は大野たちと別れて千曲川の河原に下りた。

 山地幻太夫の血を浴びた風笛を洗うためだった。

 庄二郎が『双輪』を繰り出す時、どうしても右へ左へと重心が移動する。かつての馬なればふらついて足を取られたものを、風笛はその重心のずれを感じ取って左右の足を交互に踏ん張りながら直進を保った。

「お前も勝利したのだな。考えてみればお前との出逢いも決まっていたのやも。わたしのさだめに付き合わせてしまったな」

 庄二郎がわらで洗う手を止めて言うと、風笛と目が合った。

 風笛は長いまつ毛を揺らしてゆっくりとまばたきをした。

 洗い終わると楓が帰ってきた。首筋には汗が流れ疲労の色が見て取れる。無理もない、一日に峠を二度も越したのだから。

「ご苦労にございました。楓殿にはまだ命を救っていただいた礼も言っていませんでした。かたじけのうござる」

 庄二郎が頭を下げると、

「そのようなことはもうよいのです。とにかくお腹が空きました」

 と言って新しい竹行李から握り飯を取り出した。

「煮売り屋さんから頂戴ちょうだいして参りました。ここでいただきましょう」

 庄二郎にも一つ渡すと河原の石に腰を下ろした。

「かたじけない、わたしも空腹なのを忘れておりました」

 二人して握り飯を頬張ほおばった。

「終わりましたね、庄二郎様」

「はい、此度のお役目がすべて終わりました」

 楓には伝えたいことがあった。

「実はあの忍びたちには内山峠で追い抜かれました。あまり足が速いので怪しいと思い後をつけたのですが、偶然に会話が耳に入ってきたのです」

「何と言っていたのですか」

「あの十二人は刺客隊と云い、和田峠でお目付様を討ち洩らしたと」

 庄二郎はそれを聴いてじっと目を閉じた。

「そうなのです。あなた様は馬廻り衆の方々のかたきを見事にったのです」

 庄二郎の閉じた目から一筋の涙が頬を伝った。

「よかったですね」

 楓は庄二郎の手にそっと自分の手を重ねた。

「先ほどから内山峠は雪になりました。これでもう本当にこんにゃく運びはおしまいです」

 寂しそうに楓が言った。

 庄二郎は顔を上げて楓の目を見つめた。

「わたしは先日この旅の中での喜びも悲しみもすべて偶然の産物で、その中での輝きは本来なかったものだから奥殿の平凡な暮らしに戻るのみと話し楓殿を泣かせましたね」

「はい、わたくしは悲しゅうございました」

「今は考えが変わりました。真田忍軍との戦いの中で、すべては天のさだめと思うようになりました」

 楓にはその意味がわからなかった。

「戦乱の世に残された真田忍軍と同時期に生まれた騎馬槍術は陰と陽の関係です。彼らが怨霊と化して大平の世に現れた時のため、わたしは修業をし旅をして此処に来たのです。今日の一戦のため、わたしは天のさだめに導かれてきたと思うようになったのです。楓殿に出逢ったのもさだめかもしれません。されど目的を果たした以上、これからの人生はわたし自身が選びます」

 庄二郎の澄んだ目が何を意味するのか楓にはわかっていた。

「それでは庄二郎様」

「ええ、わたしは楓殿と共に生きて参ります」

 風の中に白いものが混ざっている。

 冬の到来であった。

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