第14話  信濃屋騒動

 松平乗資への目通りが叶った田村清之介は死装束しにしょうぞくで現れた。

「清之介、その姿はどうした」

 乗資は驚いて問うた。

「わたくしは大変な不忠を仕出かしましてございます」

「面を上げ、有り体に申してみよ」

 田村は身体を起こし膝に手を置いた。

「わたくしは公金を横領いたしました」

「何と……だが、わしはそなたが私欲でやったとは思えぬ。訳を申せ」

 乗資は田村の覚悟を見て敢えて責めずに言った。

「わたくしは幼き頃よりお仕えして、勤勉で聡明な乗資様に何とか次の藩主になっていただきたかったのです」

「何とたわけたことを。そなたも藩士であろう、それこそ殿に対する不忠じゃ」

 乗資は唇を噛んだ。

「わかっておりまする。それがわたくしの夢であり欲でした。横領した金子で味方を増やし、あなた様を藩主に押してもらうつもりでした。しかし計画が明るみに出た場合、乗資様が政に関わっておられたら咎を受けるのは必定でございます。そこで一時的に信濃屋のお志麻に夢中になっていただくことにいたしました」

 田村の正直な告白に乗資も恥ずかしくなり頬を赤らめた。

「よくも謀ってくれたな」

「申し訳ござりませぬ」

 場が緩んできたことを察して田村は身を引き締めた。

 伝えなければならぬことがまだあるからだ。

「乗資様、わたくしの最大のとがは別にございます。お志麻を含む信濃屋嘉兵衛とその使用人は幕府と譜代大名に恨みを持つ真田忍軍の末裔まつえいにございました」

 田村はお志麻を諦めさせるために敢えて仲間と偽った。

「何!真田忍軍とな」

「はい、あやつらは譜代大名のお家騒動を誘発して改易かいえきにするのが狙いでございます。その罠に落ちたはわたくしの一生の不覚にございました。かくなる上は乗資様にご出馬いただき、不届きな組織の捕縛ほばくを命じてくださいませ」

「よしわかった。まずはそなたが金の力で味方につけた家臣を集めよ。言い聴かすことがある。それから腹を切ることは許さぬぞ、よいな」

 そう言い残すと乗資は勢いよく出て行った。

 田村は静かに立ち上がり隣室の襖を開けた。そこには大野が控えていた。

「これでよろしかろうか」

 田村は大野に問うた。

「ご苦労でござった。乗資様はそなたが手懐てなずけた家臣を叱責するであろう。だが責めを負わせはしない筈だ。今は藩のために一丸となる時であるし乗資様は賢いお方だ、そこはわきまえておられる。但し、そなたはこれから針の筵だがな」

「咎人のわたくしにはふさわしいかと。甘んじてお受けします、切腹を許されるその日まで」

 田村はその日が来たら潔くこの世を去るつもりであった。


 その日の陣屋は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

 各奉行は大広間に呼ばれ何事かとざわついていた。

 現れたのが側用人の田村ではなく乗資だったので皆一斉にひれ伏した。

 乗資から不正の叱責を受け恐縮したものの真田忍軍のことを聴かされると真剣な面持ちで身を引き締めた。

「よいか陣屋襲撃は明日の夜じゃ、それまでに守備を固めよ。先手を取ってこちらから捕縛に行く。但しご公儀の目もあるから鉄砲などは使うな。表向きは町奉行所主導の盗賊退治、よいな心して掛かれよ」

 乗資の久々の表舞台登場に陣屋の士気は上がった。

 陣屋の周囲は馬廻うままわり・徒士組かちぐみが警護に当たり、陣屋に通じる道には検問所が作られた。

 陣屋の中では海野ら納戸方が貴重な品を葛籠つづらに収め、重要な記録や書籍もすぐに運び出せるようにした。

 町方の曽原らは町の世話役や火消したちと住人の避難や火事の対処などを相談した。


 あわただしく長い一日が終わった。

 庄二郎が台所で茶を喫していると楓が顔を出した。

「あら庄二郎様、今日は大変だったみたいですね」

「わたしは役付きではありませんので見物をしておりました」

 楓は昨夜遅く父親の部屋で庄二郎が報告しているのを聴いた。

「信濃屋の正体を突き止めたのは庄二郎様のお手柄です。でもわたくしはお話を聴いて心の臓が苦しくなりました。あまり危ないことはなさらないでください」

「大丈夫ですよ、そそくさと逃げて参りましたから」

 庄二郎は笑顔を見せた。

「ところで真田忍軍とはどのような集団でございますか」

「わたしも詳しくは知りませぬが、戦国武将の真田昌幸さなだまさゆきが育てた忍びだそうです。各地の武将の動向を探ったり、時には刺客となって敵を暗殺することもあったでしょう」

 庄二郎は和田峠の刺客も確証はないが彼らだと思っていた。

「明日はどうされるおつもりですか」

 と楓が心配そうに訊くと、

「捕縛するのは町方の仕事です。わたしは町の人に被害が及ばぬように見張るつもりです」

 庄二郎はのんびりと熱い茶をすすって答えた。



 いつもと変わらぬ朝が来た。町が目覚め、信濃屋も普段通りに店を開けた。

 店員は表に出て店先を掃き、隣人と笑顔で挨拶を交わしている。

 遠く離れた物陰でそれを見ていたのは庄二郎と曽原であった。

「おい見たか、あれが忍びという者か。あのようなやからがあちこちにいたら、おれは恐ろしゅうて町方同心などやっておられぬわ」

 曽原が恐れるのも無理はなかった。庄二郎も自分が見聞きしたことはまぼろしだったのかと思えるほどだった。

「なにをおっしゃいますか、その輩を相手に啖呵たんかを切ったのはどなたですか」

「そう言うな庄二郎、太平の世に突然現れた鬼なのだから」

 それは庄二郎も感じていた。何故今なのだろうか。


 そしていつもと変わらぬ黄昏時、町の店が次々と板戸を閉じると示し合せた通りに世話役が信濃屋の周辺の住人を避難させた。

 すると町方の役人が信濃屋を取り囲み、その後ろには腕の立つ武士が逃げ場を塞いだ。

 更に町の火消したちも待機して控えた。

「まだでございますか」

 曽原が与力に尋ねた。

「まだだ、陣屋に火を掛けるつもりならば油を持って行くだろう。油を持ち出す前に踏み込んだら、この場で火をつけるやもしれぬ。そうなったら町は火の海だ」

 与力はそう諭した。

 その時、蔵の戸が開いて三人の黒装束の男たちがたるを担いで出て来た。

 男たちが裏の運河につないである川船に樽を積んで出て行くと、

「それ!今だ、かかれ」

 与力の合図に役人が一斉に飛び出した。

 役人は二手に分かれた。一方は店の板戸を外し正面から、もう一方は蔵に入っていぶしたまきを地下通路に投げ込んだ。

 店から表に逃げた者は鉄壁の武士の囲みにはばまれ、店にいた者は役人の数に圧倒されて難なく武器を捨てた。煙にむせて地下通路から屋敷に戻った者は激しく咳き込んでいるところを捕縛された。

 また、運河の方は何そうもの船に挟まれて上流にも下流にも行けず船上で油に火を付けようとした。役人はあらかじめ用意した柄杓ひしゃくで水をすくってはかけて火種ひだねを水浸しにした。二人は船上で捕縛され、もう一人は水に飛び込んだが水面を叩く竿に打たれて悶絶した。

 自害した者もいたが首尾は上々、役人側に死傷者はいなかった。

 信濃屋の台所では女中たちが毒殺されていた。昼餉に毒を盛られたと思われた。

「むごいことをするものだ」

 と与力は顔を背けた。

 奥座敷ではお志麻が斬られて死んでいた。その傍らには黒装束の男が頸動脈を切って自害したばかりであった。

 曽原が頭巾を剥がすと先日店にいた番頭だった。

 だが肝心の信濃屋嘉兵衛の姿は何処にもなかったのである。

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