第13話  大店の怪

 信濃屋に近づくと用水路の周辺に人が集まっている。

 何かと思って近づくと人の輪の中心には水から引き上げられた死人がむしろをかけられ横たわっていた。

 その横にしゃがみ込んで調べていたのは曽原儀介であった。

「曽原様、どうされました」

 曽原は顔を上げて、

「おう、庄二郎か。やられた、お志麻のことを喋った信濃屋の小僧だ」

 曽原は十手じゅってを帯に戻すと立ち上がった。

「やられたとは斬られたのですか」

「いや外傷はない、水死だ。だがこんなに幅の狭い用水路だ、幼子ではあるまいし溺れる訳がない」

 庄二郎も水路を覗いた。大雨でも降らなければ人が流されるほどの水流ではなかった。

「これは口封じというより我らに対する警告だな」

 曽原は少し先の信濃屋を横目で見た。

「されば正面から乗り込みましょうか」

 二人は並んで信濃屋まで歩くと思い切り暖簾のれんを跳ね上げた。

「主はいるか」

 曽原の大声に顔を出したのは番頭だった。

「お役人様、ただいま主人は外に出ております。代わりにわたくしが承ります」

 庄二郎が周りを見ると使用人たちが作業をしているように見せてはいるが、いずれも隙がなくいつでも応戦できる隊形を取っていた。

「この店の小僧がそこの水路でおぼれ死んだのだ。引き取りに行け」

「それは何としたことでしょう。あいつは慌て者でして、いつも注意をしていたのですがまことに残念でございます」

 すると曽原は番頭に近づくと小さな声で、

「川などで溺れ死ぬとな、普通は泥やら藻や枯れ葉などを飲み込むのだ。だが小僧の胃や肺を押すと綺麗な水しか出てこない。何故だと思う」

 と耳打ちした。

「さあ、わたくしに訊かれましても」

 番頭の首筋に汗が流れた。

水桶みずおけに顔を押し付けられて死んだからだよ!」

 曽原は凄みを効かせて急に声を荒げた。

「わたくしにはわかりようもございません」

 番頭は顔を歪めて奥歯を噛みしめた。

「小僧は金など持っていないし、何故殺されたのだろうか。例えばお志麻の素性を明かしたからとか」

 曽原の挑発に使用人たちがぴくりと動いた。

 背後にいた庄二郎はすぐさま曽原をかばって前に出た。

「おっと、今日はこのくらいにしておこう。あまりしやべらせると次に口を封じられるのはお前さんかもしれぬからな」

 そう捨て台詞ぜりふを残すと曽原はきびすを返して店から出た。庄二郎は用心しながら後ろ向きに敷居をまたいだ。

 振り向くと曽原は早足で遠のいて行く。

「曽原様、何故かように急ぐのですか」

 庄二郎が追いつくと、

「いやあ恐ろしかった。あやつらの目を見たか、いつ襲いかかってくるかと冷や汗をいたわ」

 と真顔で言った。

「しかしお役人とは上手く追い詰めるものですね。感服いたしました」

「それはおぬしという用心棒がいたからだ。一人ではあそこまでの大芝居は打てぬ」

 曽原は肩をすぼめてお道化て見せた。

 二人はひりついた喉を潤しに居酒屋に入った。

「庄二郎、やつらをどう見た」

 席に着くや曽原が訊いた。

「あの殺気は尋常ではありません。初めは盗賊の一味かとも思いましたが町人ではないようです。武芸の心得があるように見えて流儀がありません。何とも不思議な集団です」

 庄二郎の答えを聴いて、

「やはり前の店主たちは闇に葬られたに違いない」 

 と曽原は確信した。

「これは昼間から酒など飲んでいる場合ではありませんね」

 と庄二郎が立ち上がると、

「おやじ、すまぬが今日はやめておく。また来る」

 曽原もそう言って店を出た。

 二人は急いで陣屋に向かった。


 陣屋では坂野と大野が談笑しているところであった。

 目通りを願った二人の顔を見て事の緊急性を感じ取った。

「お目通りいただきかたじけのうございます。至急ご報告申し上げたき儀があり参上つかまつりました」

 曽原は今日の出来事を有り体に話した。

 時折庄二郎の意見も交えながら話し合ったが、謎の集団の正体に辿り着くことはなかった。

「田村と信濃屋が一枚岩ではないとしたら、まずは切り離しにかかるのが先決だな」

 坂野が言った。すると大野が、

「それは目付であるそれがしの役目、田村が乗資様のご意向を笠に着るならそれがしは殿のご意向を笠に着る。一歩も引きませぬ、お任せくだされ」

 と強い意志を示した。

「わたしは信濃屋の一味が気になります。あれだけ挑発したのですから曽原様にも危険が及ぶやもしれません。いざという時のために町にいようと思います」

 庄二郎は仲間を失った和田峠のようなことには二度とさせぬと心に誓っていた。

「されば我が屋敷に来い。高沢村から引っ越して参れ」

 坂野はそう言うと大野と目配せをした。



 陣屋の奥座敷では側用人田村清之介と目付大野宗一郎が対峙していた。

 双方とも目を逸らさずに相手を凝視している。

 田村の前には帳簿が置かれている。

 まず大野が口を開いた。

「田野口に不正の疑いがあり、それがしが参った次第である」

 田村はそれを受けて、

「それはご苦労にござる。されど田野口に不正などござらぬ」

 と受け流した。

「それでは膝前ひざまえに置かれた帳簿を何と見なさる。下々の者から聴取した正直な数値じゃ」

 大野が調査の対象を明かすと田村は引きつったような笑みを浮かべた。

「正直とは片腹かたはら痛し。お目付ともあろうお方が書の読み書きどころか数も数えられぬ者の言うことを信じるとは情けない話よ」 

 大野は動じなかった。

「さればこそ嘘偽うそいつわりは言えぬ。領民にとっては生活そのもの、知らねば生きて行けぬ知識だからこそ聴取して記したのだ。帳簿を改ざんするならば領民の知識そのものも改ざんせねば完璧とは言えぬぞ」

「さて困りましたな。この者がああ言った、あの者がこう言ったでは証拠になりませぬ。わたしは水掛け論に付き合うほど暇ではござらぬ」

 田村は一切認めようとはしなかった。

 大野は方向を変えた。

「それでは田村殿が松乃の方様に差し上げた髪飾りや簪についてお話ししよう。いや、そのような物は知らぬと言いたいところでしょうがお聴きください。当方で調べましたところ、あの品物はいくら金子を積んだところで買えるものではありませぬ。大名家の家宝となるような逸品いっぴんだからです」

 田村の心に動揺が見えた。大野は更に続けた。

「何処から入手したのか疑問であるが、最もそれを知りたいのは田村殿ではござらぬか?」

 大野の攻めに田村はうろたえた。

「帳簿にそのような物はない」

「帳簿の話などどうでもよいのです。もし信濃屋が所持していたとしたら、信濃屋とは何者なのか疑いを持たれませぬか。それがしは今、お手前の立場で考えると不安でござる。公金を横領し、その分け前をやれば尻尾を振ってついて来る。そのような腹黒いだけの商人ならば可愛いものでござる。されど結託した相手に別の目的があり、藩そのものを危うくするとしたらどうなさるおつもりか」

 田村の顔は血の気が引いてこわばり、指先が震え始めた。

「信濃屋がそうだと言うのか」

「現在調査中であるが使用人は武芸の手練てだれであることはわかっておる。先日、町方の調査に協力した店の小僧が殺害された」

「なんと……」

「もうひとつ重大なことがある。田村殿が乗資様に差し出したお志麻は信濃屋の養女ではなく遊郭の遊女であった。そなたは知らぬこととはいえ不忠にも遊女を当てがったのだぞ、これほどの不届きがあろうか」

「ああっ、わたしは私欲で動いたのではない。病弱な殿に代わり次の藩主に乗資様を押すための資金集めだったのだ。それが何故このようなことに、乗資様をおとしめてしまった」

 田村は泣き叫び、畳を叩いた。大野は更に叱責した。

「このことを乗資様が知ったらなんとする。元来、乗資様は殿に対して忠義のお方であるゆえ自身を恥じてお腹を召されるであろう」

「わたしが腹を切ります。乗資様にはどうかご内密に」

 田村は手をすり合わせて頼んだ。大野はそれを見て、

「たわけ者!そなたはそれでよいかもしれぬが残された乗資様は如何する。主を狂わせたのなら、元通りのお姿に戻すのもそなたの務めぞ。幼き頃よりつかえてきたそなたならできる筈だ。しかと立ち直らせるのだぞ」

 大野の叱責を受けて田村は額を畳にこすりつけた。

 奥座敷を後にした大野は、

「次は信濃屋か。どう動いて来るか」

 と長い廊下を歩きながら呟いた。


 その夜のことである。庄二郎はいつものように信濃屋を見張っていた。

 信濃屋は店の奥が住居となっており、使用人も寝泊まりする大きな屋敷だった。

 そして屋敷の隣には米蔵が並び、どの蔵の扉も表通りと裏の運河に通じる路地に向いていた。

 庄二郎が潜んでいるのは店と路地が見渡せる表通りの反対側である。

 今夜も動きはなさそうなので戻ろうとした時、奥の運河に川船が着き黒装束くろしょうぞくに身を包んだ二人が陸に上がった。

 庄二郎は二人が店に入ると判断し身体を低くした。だが店ではなく運河に一番近い蔵に入って行った。

(こんな夜更けに蔵などに入って何をしているのだ)

 暫く待ったが出てこない。

 庄二郎は思い切って行ってみると施錠はされてなく容易に入ることができた。

 目を凝らすと蔵なのに米はなく壁には武具が掛けられている。そして中に入った筈の黒装束の姿もない。

(何処かに別の出入口があるに違いない)

 そう思った庄二郎はくまなく探すうちに床に切り込みがあることに気付いた。

 音をたてぬよう慎重に床板を上げると地下通路があった。

(ここまで来たら行くしかないな)

 庄二郎は腰をかがめてゆっくりと通路を進んだ。行き着いた所は屋敷の下だった。

 聞き耳を立てると上の方から話し声がする。

 庄二郎はその場にしゃがんだまま耳をそばだてた。

頭領とうりょう、どうしますか。我らのことはまだ気付かれておりませんが、もう田村清之介は役に立ちません」

「気付く訳はなかろう、二百年以上も前の大阪夏の陣で滅んだと思われているからな。討たれたのは我らが先祖の親たちじゃ。ご先祖様は戦場に向かう時、我が子たちに命じたのだ。どんな苦行も乗り越え我が真田忍軍さなだにんぐんを絶やしてはならぬ、そして憎き徳川と譜代ふだい大名に復讐するのだとな。田村などは捨て置けばよい」

「されど頭領、奥殿は別の機会を待つべきです。今までなしとされてきた譜代の取りつぶしが近年増えたのも我らの功績、陰で動いたからこそ成し得たことです。表立って動くのは危険です」

「もうよい、言うな。もう後には引けぬのだ、三日後には上州より別動隊が戻ってくる。その前夜、陣屋に火を掛け皆焼き殺すのだ」

「承知しました。頭領のご命令だ、お前たちはそれまでに荷造りを終えておくのだぞ。首尾よくいったらその足で別動隊と合流して次の目的地である諏訪に向かう」

 頭領は信濃屋嘉兵衛、いさめていたのは先日の番頭だと思った。

 庄二郎はそこまで聴くと腰を上げた。そのまま屋敷に戻ると坂野の寝所を訪ねたのであった。

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