第12話  高沢村の戦い

 早朝いつものように着替えをした楓は庄屋の庭で庄二郎を待った。

 しかし離れから出てくる様子もない。

(きっとわたくしと距離をおきたいのね)

 昨夜のこともあり気まずさから声もかけずに一人内山峡へと向かった。

 その時、庄二郎は部屋にいて仙吉から叱責されていたのだ。

「堺様は楓様をお好きなのでしょう。何故そう言って差し上げないのですか」

 庄二郎は小さくなって、

「あのお方はわが藩の重役のご息女で、わたしは無役の部屋住みですから」

 と言い訳をした。仙吉は眉に力を入れて目を吊り上げた。

「まさか身分が違うなどとは言いませんよね。人の価値は心であり身分ではないと言ったのはどなたの心情でしょうか」

「それはそうだが、しかし……」

「しかしも案山子かかしもありません。わたしの知っている堺様はあきらめる人ではなく、機転を利かせて困難に立ち向かうお方です」

 庄二郎はますます小さくなって、

「それとこれとは違うのですよ、仙吉さん」

 とすがるように言った。仙吉は引き下がらなかった。

「恋の道とて同じです。わたしは恋をしたことのない若造ですが旅籠で色々な人生模様を見てきました。及ばずながらわたしも手だてを考えます」

 鼻息の荒い仙吉から逃れるように庭に出て槍の鍛錬を始めた。

 暫く槍を振るっていると表の方から野太い声がした。

「堺庄二郎!出て参れ」

 庄二郎が門から出てみると、田と民家の間の道に陣内剛三郎が三人の浪人者を従えて身構えている。

 惣兵衛や家人も何事かと表に出て来た。

「何の用だ」

 庄二郎が問うと、

「目付が着いたそうではないか。目付まで生きていたとはな、おぬしは何処までわしを愚弄ぐろうする気だ」

 陣内の目は悔しさに血走っている。

愈々いよいよ立ち行かなくなったな陣内。腹を切るからわたしに介錯かいしゃくせよとでもいうのか」

「何を言うか、おぬしと勝負をしに来たのだ。わしも以前は町道場で弟子を取っていた身だ、鹿島一刀流の技を受けてみるか」

 そう言うと庄二郎を誘うように走り出した。

 庄二郎は相手にせず遠ざかる様子を見ていたが、たまたま道に出て来たおみつが連れ去られてしまった。

「卑怯な、その子を放せ」

 おみつは小脇にかかえられて「おじちゃーん」と悲痛な声で叫んでいる。

「ならば奪い返しに来い」

 庄二郎は槍を脇に挟んで走り出した。

 途中で二人は振り返り二手に分かれて同時に左右から斬りかかってきた。

 庄二郎にはその太刀筋がわかっていた。槍の石突いしづきを地面に突き立て宙に舞って刀をかわすと、着地する間もなく二人の脳天を平たいで叩いた。

 即死であった。二人は頭蓋骨を割られ、首の骨まで折れていた。

 大柄な男は先日庄二郎に斬られた腕を首から吊っていた。左手で持った刀をおみつの肩に乗せている。

「おれは利き腕が使えぬ、子供の命が惜しかったら槍と刀を捨てろ。それで勝負は五分五分だ」

 庄二郎がやむを得ず槍を置こうとした時、男の背後を矢のように走って来る楓の姿があった。

 男が気付いた時には楓はすぐ後ろに迫っており、小太刀で刀を跳ね上げるとおみつを抱えて飛び下がった。

「おのれ小娘!」と刀を振り上げた瞬間、楓は男の脇をすり抜けた。

 大柄の男は脇腹を切り裂かれ音を立ててその場に倒れた。

 庄二郎は残る陣内に向かった。陣内は稲株いなかぶの残る田に下りていた。

 陣内は庄二郎の頭上で回る槍が脳天を叩きに来た時、かいくぐって間合いを詰め下から斬り上げるつもりだった。だが庄二郎は陣内が下段に構えるのを見てそれを察した。

「参る!」と発して回転をやめた瞬間、間合いを詰めた陣内の刀を弾いたのは下から繰り出された石突き側の柄だった。

 陣内が最後に見たのは黄金色こがねいろに輝く扇が開かれてゆく様子だった。

 水平の平たい槍の穂が斜めに振られると微かな空気の抵抗を受けてひらひらと舞う。その動きが残像となった時、大きな扇が開かれてゆくように見えるのだ。

 陣内剛三郎は朝日に輝く扇を見て美しいと思いながら絶命した。刃は耳の下から喉に至るまで首筋を切り抜けていた。

 いつの間にか見物人が増えていた。その中に大野宗一郎の姿もあった。

「見事だ!庄二郎その技は何と云う」

 大野は馬上から問うた。

「はっ、騎馬槍術きばそうじゅつの秘術『舞扇まいおうぎ』と申します」

「良いものを見せてもらった」

 満足そうに馬から降りた。

「大野様はこちらに何かご用ですか」

「うむ、そなたが世話になったので庄屋殿に挨拶に来たのだ。そのついでに此度の件でそなたに褒美ほうびをやろうと思うてな」

 大野はそう言うと馬の引き綱を庄二郎に持たせた。

「どうも今では主よりもそなたになついておるようだからな。風笛かざぶえは今からそなたの馬じゃ」

「かたじけのうございます。かような名馬は他におりません」

 庄二郎は有難く受け取った。

 そこにおみつを届けた楓が帰ってきた。

「楓殿、何という危ないことを。怪我でもしたらお父上に申し訳が立ちません」

 楓は顔の表情を変えずに、

「ご存じありませんでしたか、わたくしは冨田流とみたりゅう小太刀の免許皆伝です」

 と眉ひとつ動かさずに言った。それには庄二郎だけではなくその場の皆が驚いた。

「庄二郎様、その馬は」

 楓は風笛が庄二郎の馬だと思っていた。ところが先ほど大野が乗っているのを見たから不思議に思ったのだ。

「風笛はわたしが大野様の代わりに此処へ来る時お借りしたのです。昨日お返ししたのですが、お役目を果たした褒美と仰せられてたった今頂戴したところです」

 楓は庄二郎が内山峡へ行かなかったのは自分を避けていたのではなく、乗る馬がなかったのだと理解した。安堵あんどしたり微笑んだり複雑な表情を見せる楓は皆の注目を集めた。

 楓はたまらず庄屋の庭に駆け込んだが、庄二郎がうまやに行くと黙ってついて来た。

「庄二郎様、昨夜ははしたないところをお見せして申し訳ございませんでした。されどわたくしの心に偽りはございません」

「承知しております。わたしも同じ気持ちです。早朝から仙吉さんに散々叱られました」

 庄二郎は悪戯いたずらを咎められた子供のように眉を八の字にしてうなだれた。

「何と言って叱られたのですか」

「好きなものは好きと言え、身分を気にするのはわたしらしくないと」

 楓は可笑しさを何とかこらえて、

「それであなた様は何とお答えになられたのですか」

「一言も反論できませんでした。仙吉さんの言う通りだったからです」

 楓は少し意地悪になって昨夜泣かされた仕返しをしてやろうと思った。

「それではどうするおつもりでございますか」

 庄二郎は風笛の世話をする手を止め楓の方に向き直った。

 すると飼葉かいばを食べていた風笛が顔を上げて鼻で庄二郎の背を押した。

「わたしは楓殿が好きです。愛おしいです。いつまでも共に生きて行きたいです」

 庄二郎はついに心の声を爆発させた。

 楓は満ち足りた気持ちになり庄二郎に飛びついた。


 その頃、庄屋の座敷では大野が仙吉と向かい合っていた。

「お目付様、わたしのような旅籠の小僧にかような座敷まで借りてくださらなくても」

 仙吉は緊張して大野から離れて座している。

「小僧といえどもわからぬぞ。庄二郎のようにいつか大役を任されることがあるやもしれぬからな。して、わしに相談というのは何だ。恩人である仙吉の頼みならば聴かねばな、さあもっと近くに参れ」

 仙吉は意を決して大野の前ににじり寄り、庄二郎と楓のことを話した。

 昨夜と今朝の話を聴いた大野は笑い出した。

「そうか、庄二郎は仙吉に叱られたか。これは愉快だ」

 仙吉は苛立いらだって大野をにらんだ。

「笑っている場合ではございません。このままでは奥殿と佐久に分かれて離れ離れになってしまいます。堺様は人のことだと一肌も二肌も脱ぐくせにご自分のこととなるとまったく意気地がないのですから」

「仙吉、そう怒るな。わしに良い考えがある。後のことはわしに任せよ」

 そう言って立ち上がった。

 すべてを大野に託した仙吉は昼餉を食すと下諏訪へと帰って行った。

 庄二郎は町に大野を送るとその足で信濃屋のある方角へ足を向けた。

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