第11話  目付の復活

 青沼佐之助が江戸へ旅立った二日後、庄二郎は町同心の曽原儀介に呼び出された。

 庄二郎が待ち合わせの蕎麦屋に入ると、先に着いていた曽原が蕎麦を食べていた。

「おう来たか、此処の蕎麦は美味いぞ」

 そう言うと、庄二郎の分を頼んだ。

「曽原様、何かわかりましたか」

「お志麻のことだが、とんだ食わせ物だった」

 蕎麦つゆを飲み干すと言った。

「それはどういうことですか」

「信濃屋の小僧によると、お志麻の荷物は岩村田の遊郭ゆうかくから運んだと言うのだ。おれは岩村田の遊郭まで出向いて訊いて回った。そしてわかった、お志麻は遊女だったのだ」

 曽原が声を荒げた時、庄二郎の前に蕎麦が置かれた。

「すまん、つい興奮してしまった。かまわず食ってくれ」

 曽原は蕎麦を勧めてから話を続けた。

「信濃屋嘉兵衛は遊女を養女に仕立てて乗資様に差し出したのだ。不届きなやつめ」  

 庄二郎ははしを止め首をかしげた。

「田村様はお志麻が遊女であったことを知っていたのでしょうか」

 曽原は調子を合わせるようにぽんと机をたたいた。

「そこなのだ、腑に落ちないところは。田村も承知でやったことなら信濃屋にしても養女などという七面倒くさい手続きを踏む必要がないからな」

 しばし考えながら蕎麦を食べ終えると庄二郎は身を乗り出し小声で言った。

「田村様はお小姓こしょうから乗資様に長きにわたって仕えたお方です。主の相手に遊女を選ぶようなことはしないと思います」

 曽原も小声になって、

「おぬしもそう思うか。おれも田村はお志麻の出自を知らないような気がしているのだ」

 いかつい顔を近づける曽原の圧力に押されて庄二郎は後ろに引きながら、

「ということは田村様と信濃屋の利害は違うところにありそうですね」

 と腕を組んだ。

「うむ、田村の狙いは横領した金を家臣にばらまき政を我がものにするという解りやすい野望だが、信濃屋の方はよくわからぬ」

 曽原も身を引いて深く座りなおした。

「信濃屋というのは代々続いた老舗ですか」

 庄二郎の問いに曽原は弾かれたように目を見開いた。

「いや、初代だ。十年ほど前に突然店を出したのだ。そういえば隠居した父が、商いに失敗した訳ではないのにどうして店を売却していなくなったのだろうと不思議がっていたのを思い出した。おれは同心になったばかりだったが店の使用人もすべて入れ替わっていたと思う」

 二人の頭には信濃屋嘉兵衛への疑念が一気に深まっていった。

 曽原は信濃屋の調査を続けることにして、その日はそのまま蕎麦屋の前で別れた。

 後日の調べで信濃屋の前の店主は近所への挨拶もないまま夜逃げのように姿を消したことがわかった。

 曽原は信濃屋が買い取ったのではなく、使用人もろとも闇に葬ったのではないかと疑いを持ち始めた。

 しかし、嘉兵衛という人物の過去は依然として不明であった。



 調査を進めていたのは曽原だけではなかった。

 普請方の桃井一平太は千曲川に合流する雨川の護岸工事において、堤の高さが図面より低かったと人足の証言を得た。また陣屋の畳替えにおいては畳床たたみどこからの交換と帳簿に記されていたが、実際には表替えしかしていなかったと畳職人が明かした。

 また、お納戸役の海野小助は乗資の奥方『松乃の方』の髪飾りや簪を密かに持ち出して出入りの小間物屋の番頭に見せた。

「これは昨年奥方様の調度品に加えられたものだが、この店から入手したものか」

 海野が尋ねると、

滅相めっそうもございません、このお品はわたくしども田舎の商人が扱えるような品物ではございません。どこぞのお大名の家宝とも言えるほど高価で見事な細工物でございます。わたくしの方こそどちらでお求めになられたのか知りとうございます」

 と番頭は美しい装飾品を前にして見入るばかりであった。

 番頭の言葉に衝撃を受けた海野はすぐさま陣屋に取って返して調べたが、購入記録にも在庫目録にもその記載はなかった。

 こうして調査の結果は、謎は謎としてすべて臼田助三郎に報告された。

 臼田はそれを藩の公式記録と照合して違いを書き留め坂野兵庫に提出した。

「坂野様、入手先は別として田村はなにゆえ松乃の方様に高価な装飾品を贈ったのでしょうか。松乃の方様におかれましては花見や歌会なども多くなったと聴いております」

「田村は乗資様を骨抜きにするため志麻を使ったが、奥方様が悋気りんきを起こされたら目論見もくろみが外れる。それを防ぐ目的で奥方様の気をらしたのであろう」

 坂野の考えに臼田は大きく頷き、

「さすがは坂野様、男女の機微を心得てござる」

 と納得した。

「わしは今でも亡き妻一途じゃ、れ言を言うでない」

 坂野の叱責に臼田は肩をすぼめた。


 午後になり坂野の部屋には待ち望んだ人物が現れた。目付の大野宗一郎である。

「坂野様、不覚にも到着が遅れ申し訳ございませんでした」

 大野は深く頭を下げて詫びた。

「なんの、おぬしの命で来た庄二郎が上手く事を運んでくれた。心配せずともよい。それよりも身体の方はもう良いのか」

 坂野が身体を案じて訊くと、

「はい、庄二郎の処置が良かったため一命を取り留めましてございます。その後は旅籠で療養し、旅に耐えうるとの医者の許可を得て参上した次第でございます」

 と大野は元気な証に背筋を伸ばして見せた。

「先ほど庄二郎が事を運んだと申されましたが、どのようなことかお聴かせくださいませ」

 大野が説明を請うと坂野は自慢話をするように話して聴かせた。

 救済米の話になると話している坂野自身が笑い出してしまった。

「今宵は我が屋敷でそなたの全快を祝おうではないか。庄二郎も呼んでな」

 大野は有難く平伏した。坂野はさっそく小者を自宅に走らせた。


 庄二郎が外出先から戻ると、庄屋の縁側に座って足をぶらつかせる町人風の若者に気付いた。

 若者は庄二郎の姿を見つけると、

「堺様!お久しぶりです」

 と大きな声を発して縁側から飛び降りた。

「仙吉さん!仙吉さんではありませんか。どうして此処に?」

 庄二郎は驚いて訊いた。

「お目付様のお供をして参りました。旦那様からお目付様が体調を崩されたら大変だから着いて行くように言われたのです」

 庄二郎は藤右衛門ならばそういう気遣いをするだろうと思った。

「そうでしたか。それで大野様は今どちらにおられますか」

「陣屋におられましたが今は坂野様のお屋敷に移られました。快気祝いをされるそうですよ。それで堺様のお迎えに参ったのです」

「それはかたじけない、仙吉さんこのまま参りましょう」

 庄二郎は家に上がりもせず今来た道を戻った。

 道すがら仙吉から聴く笹屋の人たちの話に、庄二郎は一人一人の顔を思い浮かべていた。

 なぜか遠い昔のように感じられて懐かしかった。


 屋敷では坂野と大野が談笑していた。庄二郎は先に仙吉を連れて勝手口に回った。

 台所では楓が奉公人たちと忙しく働いていた。庄二郎を見つけると嬉しそうに駆け寄った。

「いらっしゃいませ、庄二郎様。座敷ではなくどうしてこちらに?こちらの方は」

 仙吉を見た楓が尋ねると、

「わたしがお世話になった下諏訪の旅籠、笹屋の仙吉さんです。大野様やわたしの恩人です。こちらでもてなしていただきたくお連れしました」

 庄二郎はそう言って仙吉を紹介した。楓は前掛け姿のまま深く頭を下げた。

「わたくしは当家の娘で楓と申します。仙吉さん、庄二郎様が大変な難儀を負わされている時に助けてくださり本当にありがとう存じます」 

 仙吉は楓の丁寧な礼の言葉に照れて首の後ろに手をやった。

「やだなあ、わたしはそんなんじゃ……ただ堺様が好きなだけですよ」

「皆そうですよ」

 楓は笑顔で言った。

「楓様だって毎朝会っているというのにこの笑顔ですよ」

 横からおたみが口を出した。楓は頬を染めながら、

「もう、おたみったら。仙吉さん、こんな場所ですみませんが今宵はわたくしたちとご馳走をいただきましょうね」

 と仙吉を誘った。

 庄二郎が座敷に上がるとその後から同志の武士たちも集まってきた。

 大野の顔を見た途端、庄二郎にはこみ上げるものがあり自然と涙が溢れた。

「大野様お久しゅうございます。元気なお顔を拝見でき、この上なき喜びにございます」

「庄二郎、頭を上げて顔を見せてくれ。話は逐一坂野様から伺った。笹屋藤右衛門の言った通り、出会う人の心を動かし己の力とした。玄庵先生の云う隠れた才も発揮させた。そなたに託してよかった、誇りに思うぞ庄二郎」

 庄二郎が涙を拭って席に着くと、同志の面々が名を名乗って此度の調査の役割と成果を報告した。

 大野は一人一人の顔を見つめて労をねぎらった。

 料理が運ばれてくると座は無礼講となり大いに盛り上がった。だが何故か話題は末席に座る庄二郎の破天荒はてんこうな話が中心となったのである。


 酔いつぶれた大野はそのまま坂野家に泊まることとなり、同志たちもそれぞれの家に帰って行った。 

 庄二郎は酔いを覚ましに一人庭に出て月を見ていた。

 時折ときおり流れ来て月を隠すとまた消えて行く薄雲のように己はどこに向かって流れて行くのだろうか。

(今立っているこの場所は旅の途中なのだ。この旅を終えるとわたしにはまた部屋住みの日常が待っている)

 そんなことを思いながら大きく息を吐いた。

「まあ大きなため息ですこと」

 いつの間にか楓がそこにいた。

「おられたのですか」

 元気のない声に楓は心配になり顔を覗き込んだ。

「何かうれいていることでもおありなのですか、先ほどまでにぎやかに笑っておいででしたのに」

「憂いている訳ではありませんが、この楽しい時が旅の終わりと共に消えてまた平凡な部屋住み生活に戻ると思うと寂しいのです」

 庄二郎の寂しさを楓は理解していた。

「仙吉さんから詳しくお聴きしました。和田峠や慈福寺そして笹屋さんでの出来事、きっと今までに経験したことのない悲しみや不安を抱かれたことと思います。そして悲しみを押し殺して敵をあざむく気力と決意に、わたくしは胸が潰れるような衝撃を受けました。人生においてこれほど過酷で厳しい決意を要するお役目は二度とないかもしれませんね」

 庄二郎は短い時の流れに凝縮された様々な出来事を思い返していた。

「奥殿での暮らしを否定するつもりはありませんが、己自身を鑑みて今が一番輝いている気がします。ですがこの輝きを抱いたまま元の日常に戻らねばならぬのでしょうね」

「庄二郎様は旅の終わりと共に楓との縁も消してしまわれるおつもりですか」

 みるみる楓の目には涙が溢れ頬を伝った。

「いらぬことを申しました。楓殿との出逢いはわたしの人生においての宝です。失いたくはありません」

 庄二郎は詫びながらも湧き上がる愛おしさに堪らず楓を抱き寄せた。

 それでも楓の涙は流れ落ちて庄二郎の胸を濡らした。

「わたくしは庄二郎様のお側を離れたくありません」

 庄二郎も滲む涙が流れ落ちぬように強く目を閉じた。

 建物の陰に隠れておたみは二人の会話を聴いていた。何とかならぬものかと口を手で覆いながらおたみも泣いていた。

 その背後には仙吉もたたずみ困っていた。庄二郎の部屋に泊めてもらうことになっていたのだ。

 仙吉もまた声をかける機会を失ったまま話を聴いて涙していた。

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