第10話  江戸行き

 庄二郎は町で吉兵衛たちと別れ、その足で陣屋に坂野を訪ねた。

 吉兵衛から得た年貢の帳簿を差し出し経緯を伝えると坂野は大いに喜んだ。

「これで一歩進んだな。して蔵元の佐原屋とはどのように知り合ったのだ」

 庄二郎は笠取峠での山賊退治の話をした。

「まったく、そなたは何という旅をしてきたのじゃ」

 坂野は呆れて言った。

「いま一つ報告がございます」

「何だ、申してみい」

「救済米のことでございますが、佐原屋殿から二千俵を借りて江戸より船で運び、三河を経由して川船で矢作川を上ることにいたしました。これから雪の峠を越えるのは無理ですし、船賃だけで利息は要らないそうです」

「何と……その案を佐原屋は何と受け取ったか」

「米を担保に米を貸すなど前代未聞だと言った後、わたしといると楽しくて心が躍ると笑っておられました」

 坂野も口元を緩め、

「借用書を持って参れ、署名してつかわす」

 と言ったが庄二郎は申し訳なさそうに、

「実はわたくしの署名でよろしいようで、無役だと言ったのですが」

 それには坂野も笑いだし、

「そなたに感化される者が一人や二人増えたところで今では少しも驚かんわ」

 庄二郎は単独で決めたことへの咎めがないことにほっとしていた。


 陣屋を出ると庄二郎は途中で茶菓子を買い青沼家を訪ねた。

 門をくぐって声をかけると佐之助本人が出迎えた。

「青沼様、傷の具合はどうですか」

「もう抜糸をした。浅手であったからどうということはない。さあ、上がってくれ」

 部屋の隅には稲藁いねわらが積んであり、出来上がった笠が重ねてあった。

「休んでいる間に内職をしておったのだ。散らかっていてすまぬな」

 そういいながら編みかけの笠をどかして場所を作った。

「貧乏ゆえ白湯さゆしか出せぬ」

 佐之助は火鉢ひばちにかけた鉄瓶てつびんから湯飲みに湯を注いだ。

「茶菓子をもとめて参りました。お見舞いです」

「これはかたじけない。母上!こちらへおいでください。菓子をいただきましたよ」

 隣室の母親を呼んだ。

 襖が開き母親が丁寧に頭を下げた。着古した着物を身に着けていたが、武家らしく引き締まった顔立ちをしている。

 母親も内職をしているのか、後ろに仕立て途中の着物が見えた。

「むさ苦しい我が家へようこそお出でくださいました」

 庄二郎は恐縮して、

「此度はわたしの至らぬ判断で青沼様を危険にさらし申し訳ございませんでした」

 と詫びた。

「なんの、ほんのかすり傷でございます。それよりもわざわざお見舞いいただき、ありがとう存じます」

 母親は辺りを見回して、

「当家の暮らしぶりに驚かれましたでしょう。昨年、長患ながわずらいの主人が亡くなり佐之助が家督を継いだのですが、薬代などの借財で扶持米ふちまいを売っただけでは足りずにこうして親子で内職をする仕儀しぎにございます」

 と恥じ入るように言った。

「わたしの家でも父が腰痛で早々と隠居し、兄が家督を継いでおります。療養中の父やわたしのような部屋住みを抱えて兄も苦労をしております。いずこも同じです、お気になさらず」

 庄二郎は慰めの言葉を発した後、佐之助の方を向いて座りなおした。

「ところで青沼様、江戸へ行っていただけませぬか」

 突然の申し出に佐之助は驚き、母親と顔を見合わせた。

「それがしが江戸へ行って何をするのだ」

 佐之助の問いに庄二郎は国元へ米を送る計画を打ち明けた。

「青沼様を襲った者は傷の深さを知りません。自宅で臥せっていると思うことでしょう。ここを離れても気付かれずに行けるのは青沼様だけです」

「されどそのような大役はそれがしでなくても……」

 佐之助は母親の顔を窺っていた。

 庄二郎は佐之助の決断を鈍らせているのが路銀のことだと悟った。

「旅支度や路銀のことは心配いりません。すべて蔵元の佐原屋殿が出してくださいます。佐原屋殿にはおくみさんという娘さんがおられます。おくみさんは笠取峠で山賊に連れ去られたところをわたしが救ったのですが、佐原屋殿は再びかようなことが起きぬようにと護衛を雇おうと思っていたそうです。青沼様が江戸まで共に旅をしてくれるのならば警護の代金も支払ってくださるとのことです」

「それがしは剣の達人ではござらぬゆえ」

 金の心配はなくなったものの佐之助は自身なさげであった。

「何をおっしゃいます、実はわたしも同じ浪人者と対峙たいじしましたがなかなかの使い手でした。あの三人に囲まれてかすり傷だけで切り抜けるのは常人ではできぬことです。母上様はどう思われますか」

 庄二郎は佐之助の母親に助言を求めた。 

 すると母親は佐之助を見つめてさとすように言った。

「行きなされ、このままここにいても内職に明け暮れる生活が続くだけです。江戸で見聞を広げるだけではなく、堂々とお国入りして領民に救済米を届けるのです。あなたの人生に新たな光が差すことを母は信じたいのです」

 佐之助も母親の言葉には逆らえなかった。

「わかりました母上。行くからには年内には戻れぬかもしれません。その間、母上はお一人で大丈夫ですか」

「母のことは心配いりません、あなたはお役目のことだけをお考えなさい」

 佐之助は神妙しんみょうに頭を下げた。

「青沼様、もうひとつお願いがございます。和田峠で討たれた馬廻り衆の遺品をわたしの兄に届けていただきたいのです。荷物運びの小者は坂野様が手配してくださいますゆえ」

「承知した。丁重に取り扱うと約束しよう」

「かたじけのうございます」

 庄二郎は辞去する時、見送りに出た佐之助に

「国元には田村側の間者かんじゃが潜んでいると思われます。くれぐれも用心くださいませ」

 と注意を促した。

「心得た」

 佐之助は佐原屋吉兵衛が宿泊している宿を翌日訪ねることにした。

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