第9話  吉兵衛の協力

 数日後、事件が起きた。村々を廻っていた青沼佐之助が何者かに襲撃されたのだ。

 青沼は庄二郎より一歳上で同志の中で一番若く、母一人子一人の生活であった。

 庄二郎はすぐに坂野の屋敷に走った。

 すでに集まっていた同志は深刻な顔をしている。

「青沼様が斬られたというのは本当ですか」

 と問う庄二郎に答えたのは臼田だった。

「医者の治療を受けて、今は家で寝ておる。脇腹をやられたが浅手で命に別状はないそうだ」

 それを聴いてほっとしたが、

「わたしの読み違いです。いくら郡方とは言え武士が村を廻れば目につくのは当然です。青沼様には申し訳のないことをいたしました」

 庄二郎は肩を落とした。すると坂野が、

「しかし、わかったこともある。青沼は同僚に見られたと言っていたが、その者から郡奉行こおりぶぎょうの耳に入ったのであろう。奉行連中と田村は繋がっておる。口では皆、側用人がさえぎって乗資様に目通りができないとほざきおって卑怯な者どもめ」

 と唇を噛んだ。

「それにしても困りましたな、国元の窮状を考えますと米の問題だけでも先に解決しないと」

 臼田が言った。すると町同心の曽原が、

「米なら確かに信濃屋にあります。米を運んだ人足に訊いたところ例年は信濃屋が買い取った武士の扶持米などを陣屋に取りに行っていたのが、今年は数か所の年貢納め所から合わせて三千俵の米を運んだと言うのです。人足は扶持米以外に陣屋に置ききれない米を信濃屋の蔵で預かったのだと思ったそうです」

 と報告した。

「そうか、年貢の総量をわからなくするために分散させたのだな。悪知恵が働くものよ」

 坂野が感心した。

「とにかく信濃屋に米があることはわかりました。冬の間は動くことがないとしても、国元へ送る米を何とかしなければなりませんね」

 庄二郎でなくても急務であることは誰もがわかっていた。

 結局、その日は良い考えが浮かばず解散となった。


 その帰り道であった。

 町はずれの川にかかる橋の上で一人の男が月明かりに浮かんだ。

 庄二郎は後をつけてきた足の運びに覚えがあった。

「ようもたばかったものよ。武士であったとはな」

 男は低い声で言った。

下諏訪しもすわにいたのはやはりおぬしであったか。わたしは堺庄二郎と申す。おぬしも名乗られよ」

「わしは用人様配下の陣内剛三郎じんないごうざぶろうだ。おぬしがここにいると知られればわしは腹を切らねばならぬ」

 陣内は口を滑らした。

「ということはお目付様暗殺の黒幕は田村様か」

「違う、田村様は足止めせよと申されただけだ。刺客を送ったはわしの一存である。だから生かしてはおけぬのだ」

 そう言うと暗闇から三人の浪人者が現れた。

「青沼様を斬ったのはおぬしらだな」

 庄二郎が問うと、

「われらの囲みを切り崩して逃げおったがまだ生きておったか」

 小柄の一人が答えた。

 庄二郎は橋の欄干を背にゆっくりと刀を抜いた。一番大柄な男が正面に立ち、二人は左右から逃げ場をふさいでいる。

 庄二郎が正眼せいがんに構えると正面の男は高く上段に構えた。

 (脇腹にわざと隙を作り、こちらが動くと同時に両側から攻めるつもりか)

 そう読んだ庄二郎は次の瞬間、その場で大きく跳躍ちょうやくすると橋の欄干らんかんを蹴った。左右の敵が空を斬る間に、庄二郎は空中で刀の峰を返し上段に構える男の左手首を切り上げた。

 刀を落とした男は右手で傷口を押さえると苦痛に顔を歪めた。

新陰流しんかげりゅうか、なかなかやるな。今宵は様子見だ。次は命をもらう」

 見ていた陣内はそう負け惜しみを言ってから三人にあごで指図をすると速やかに立ち去った。

 庄二郎は息を整え刀を鞘に収めると橋を渡り終えた。



 楓は毎朝の散歩と称して庄二郎に会いに来ては槍の鍛錬に同行し、帰りは高沢村に寄って年寄りや子供の様子を見てから帰宅するのが日課となっていた。

 そしてその間だけは武家の娘をやめる。庄屋ではかまに着替えると庄二郎の馬と並行して走るのだ。

 その日も庄屋の井戸端で共に汗を拭っていると、

「堺さまあー!」

 と遠くから呼ぶおなごの声がした。

 庄二郎が振り向くとおくみが手を振って近づいてくる。

「どなたですか」

 楓も振り向いて訊いた。

「旅で知り合った江戸の蔵元の娘さんです」

「まあ、隅に置けないこと」

 楓の皮肉に答えようとする間におくみが着いた。

「堺様、またお会いできて嬉しいです。こちらは?」

「天狗様です」

 庄二郎が仕返しのつもりで言うと、

「まあ!」

 と驚いておくみは楓の顔を見上げた。

「違いますよ、真に受けないでください。わたくしは楓です」

 楓は頬をふくらませて言った。

「そうですよね、わたしはおくみです。楓さん、おみっちゃんの家はどちらですか」

 おくみに尋ねられ楓は指で差して教えたが、やきもちをやいた自分が恥ずかしかった。

 おくみは庄二郎よりおみつに会いたかったのだと知ると、

「やっぱりご案内します。一緒に参りましょう」

 とおくみを誘った。

 二人が出かけた後にやってきたのは佐原屋吉兵衛だった。

「吉兵衛殿ではないですか。どうしてこちらへ」

 庄二郎が先に気付いて声をかけた。

「堺様、その折はお世話になりました。今日はご報告することがあり、参上いたしました」

 相変わらず穏やかな笑顔である。

 庄二郎はすぐに惣兵衛を呼んで吉兵衛を紹介した。 

「あなたでしたか、大庄屋おおしょうや様を通して年貢米の総量を調べていらしたのは」

 惣兵衛はそう言うと吉兵衛を座敷に案内した。

「どういうことですか、わたしには何のことやらさっぱりわかりませんが」

 座ると同時に庄二郎はどちらにともなく質した。

 口を開いたのは吉兵衛だった。

「岩村田での用事が済んで江戸へ帰ろうとしたところ、おくみがもう一度おみっちゃんに会いたいというものですから進路を佐久甲州街道に変えたのです。そうしたら堺様のご恩に報いるため何かできることはないかと思い至りました」

「それで大庄屋様の所へ」

 惣兵衛が合いの手を入れた。吉兵衛は頷くと続けた。

「わたくしは今年の年貢の納め場所が分散されたと聴き不正があるなと直感しました。それで各庄屋様に収めた場所と年貢米の量を訊いてもらうようお願いしたのです。大庄屋様は米を作る者とさばく者、共に手をたずさえなければこの国は立ち行かぬと快諾してくださいました」

 庄二郎はすべてを理解した。

「吉兵衛殿かたじけのうございます。実はそれを調べていた郡方の同志が襲われて傷を負い、どうしたものかと案じていたところでした」

 吉兵衛は帳簿を取り出して、

「先ほどご報告と申しましたのはこれをお渡しすることでした。各村の年貢の内訳でございます。此度のお役目に役立ててくださいませ」

 と庄二郎の前に押し出した。

 庄二郎はありがたく受け取ると丁寧に脇へ置いた。そして真剣な眼差しで吉兵衛を見つめた。

「此処でこうして吉兵衛殿にお会いできたのも神仏のお導きと信じ、今一つ相談がございます」

 吉兵衛も真顔になり膝を正した。

「何なりとお伺いします」

「わたしは不正を正すことより先に国元に米を送らねばなりません。調べたところ米問屋の信濃屋には不正に集めた米が三千俵あることがわかりました。されどその解決を待っていたら、雪の峠を越えて年内に国元へ運ぶことは無理です。そこで考えました。船でしたら江戸から三河に運び、川船に載せ替えて矢作川を上れば奥殿に着きます。吉兵衛殿、どうかわたしを信じて蔵米二千俵をお貸しいただけないでしょうか」

 突然吉兵衛が笑い出した。

「これだから堺様に会いに来たのです。あなた様といると楽しくて心が躍ります。わたくしは蔵元を長くやっておりますが米を担保に米を貸したことなどございません。確かに普通に考えると今ある米をどうやって運ぶか四苦八苦するところですが、その米に執着しなければ済むことですね」

 いつまでも笑っている吉兵衛に、

「如何でしょうか」

 と庄二郎は不安げに尋ねた。吉兵衛は目尻を下げたまま、

「いいでしょう。このお話、乗りましょう。ですがこれもご恩返しの一環です。利息は要りませんよ、船賃だけ頂戴します」

 と結論を出した。

 その場にいた惣兵衛も嬉しそうに頷いていた。

 そこにおくみが戻ってきて顔を出した。

「今日はお嬢様とこちらにお泊りください」

 惣兵衛がおくみの顔を見ながら言った。

「お気遣いありがとうございます。ですがもう町に宿を取っており、連れの者たちがそちらで待っております」

「それでは昼餉だけでも」

「わたしもいただいた吉報を上司に知らせなければなりません。昼餉の後、町までご一緒いたしましょう」

 庄二郎にはまだ打ち合わせをしたいことが残っていた。

「わたくしも家に戻りますのでご一緒させてください」

 楓も着替えを終えて姿を現した。

「まあ、お武家の方でございましたか。とんだ失礼をいたしました」

 おくみは小さくなって頭を下げた。

「楓殿はわたしのお役目に力を貸してくださっているご中老坂野様のご息女です」

 庄二郎が説明するとなおも硬くなったおくみに、

「おくみさん、頭を上げてください。わたくしたちはもう友ですよ」

 そう言って楓はおくみの側に座って手を取った。


 町へ行く道すがら庄二郎は吉兵衛に問うた。

「米の船旅にはこちらから誰か同行した方が良いのでしょうか」

「積み込んで出向するまでは良いのですが、領内での手続きには藩士のお方にいて欲しいと思います」

 庄二郎の頭にはその候補者が浮かんでいた。

 楓とおくみは少し遅れて歩いていた。

「おくみさんはおみっちゃんを妹にしようと考えていたのですか」

「はい、一緒に旅をしていたら可愛くて愛おしくて。今は病のお父様がいるけど、別れる時がくると思うと不憫で仕方ありません」

 おくみは悲しそうな顔をした。

「おくみさんは優しいお方ですね。わたくしも一人娘だからおくみさんの寂しい気持ちもわかりますが、おみっちゃんにはもう可愛がってくれる兄や姉がいます。家族の方も優しく接してくれます。百姓の子が江戸の裕福な家の養女になっても幸せになれるとは限りません」

「そうですよね、水が合わないとか言いますから。わかっているのです。わたしはいつかおみっちゃんがわたしを必要としたら頼られる存在でおります」

 おくみは顔を上げて空を仰いだ。

「おみっちゃんは充分に幸せです。離れていてもこんなに想ってくれるお姉様がいるのですもの。そしてわたくしもそのような存在になりたいと思います」

 楓も並んで空を仰いだ。

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