第7話  庄二郎の策

 その晩は庄屋屋敷に泊めてもらい、翌朝庄二郎は陣屋に坂野兵庫を訪ねた。

「わたしは馬廻り役組頭堺勝太郎の弟、堺庄二郎にございます。本来ならばわたしのような者には敷居の高い場所なれどお目付大野宗一郎様の代理として参上つかまつりました。お許しくださいませ」

 庄二郎は手をついて頭を下げると、そのままの姿勢であたりの気配をうかがった。

 坂野はそれを察し、

「しばし待て」

 そう言ってから立ち上がって障子を開けると廊下に人気のないことを確かめた。

「大野に何かあったのだな」

 庄二郎は和田峠での出来事を話した後で預かった書状を差し出した。

 一通は家老の神原伊織からのもので、もう一通は大野からであった。

 坂野は読み終えると顔を上げて庄二郎をまじまじと見た。

「大野はそなたを気に入っているようだな。それにしても救済米がほとんど届いておらぬとは」

「佐久では不作だったとのことですが誠でございますか」

 庄二郎の言葉に坂野は眉間にしわを寄せて、

「不作であるはずがない。今年は天候にも恵まれていた」

 と憤慨した。

「とにかく今晩わしの屋敷に参れ、同志の者を呼んでおく」

「はっ、かしこまりました」

 同志とは何だろうと思ったがしっするのはやめた。

「ところで昨夜は何処に泊まったのだ」

「縁あって高沢村の高木惣兵衛様の屋敷にございます」

 坂野は急に中老の顔を捨てて身を乗り出した。

「そこに背の高い娘はおらなかったか?」

「楓殿のことですか。おられます、明るくて心の優しい方です。村の人からも信頼されているようでした」

「百姓の娘のようだったか?」

「いいえ野良着を身に着けていても慎み深く、わたしはすぐに武家のご息女だとわかりました」

 庄二郎はいくらか坂野の機嫌がよくなったように感じた。

「坂野様は楓殿とお知り合いなのですか」

 庄二郎が訊くと坂野は軽く咳払せきばらいをしてから、

「楓はわしの娘じゃ」

 と目を合わさずに言った。

「さようでございましたか、これは勝手なことを申しました」

 庄二郎は驚いたが、それよりもすっかり娘を案ずる父親の顔になった坂野が可笑おかしかった。

「楓は背が高いゆえに友は皆去って行った。そなたは背の高い娘をどう思うか」

「人の価値は心と存じます。その友たちは残念なことをいたしました。ご息女といれば暖かくて広い心を学ぶことができた筈です」

 一瞬坂野の目が潤んだように見えた。

「それではわしは用があるでな、今晩待っておるぞ」

 そう言い残すと逃げるように部屋から出て行った。


 陣屋を出て村への帰り道、庄二郎は楓のことを考えていた。

(楓殿が村で暮らすのは武家の娘として生きることの難しさや悲しみがあるのだろうか)

 庄二郎は何故楓のことが気になるのかわからなかったが、できることなら心の支えになりたいと思った。

 その楓は村の入口で待っていた。

「お帰りなさいませ、お役目は無事済みましたか」

「はい、ご中老坂野様にお会いしました」

 楓は「まあ!」と言っただけで困った顔をした。

「どうして坂野様がお父上だと教えてくださらなかったのですか」

 庄二郎はわざと不服そうに言ってみた。

「申し訳ございません。隠すつもりはなかったのですが、ただ父とはあまり上手くいっていなくて……」

「詫びる必要はありません、わたしはただ力になりたかっただけなのです。何があったのか話していただけますか」

 二人は遠回りの道を歩き出した。楓は道々父親とのわだかまりを打ち明けた。

 庄二郎は黙って楓が話し終えるのを待った。

「武家の父親とは不器用な人種ですね。わたしの家でも同じです。武家の体面を表の顔とし、子をいつくしむ気持ちは母を介さないと表せないのです。楓殿のお父上は仲立ちのお母上を失って娘を想う気持ちが迷子になっているだけだと思います」

「そうでしょうか」

 楓は立ち止まって庄二郎を見つめた。庄二郎はその視線を受け止めて優しく微笑んだ。

「そうですとも。楓殿のことをとても案じておられましたよ」

 楓の顔にやっと笑みが戻った。

「今晩またお父上にお会いします。同志の方もいらっしゃるとかで坂野様のお屋敷に参ります」

「何か問題でもございましたか」

 楓には藩に起きていることをまだ何も話していなかった。

「今度また詳しくお話しします」

 庄屋の門をくぐると良い匂いがしてきた。

「さあ、昼餉にいたしましょう。それからこちらに滞在の間はご自由に離れをお使いくださいと惣兵衛様からの伝言にございます」

「それはかたじけない、助かります」

 晩秋の柔らかな陽が屋敷の広縁ひろえんに光を落としている。冬が近くまで来ていた。



 その夜、坂野家に出向いた庄二郎は皆が集まる部屋に通された。

 部屋に入ると一同が一斉に庄二郎を見た。目付一行に起きた悲劇は事前に聴かされているようだ。

「お目付がこのような若者に全権をゆだねるとは、いったい何を考えておられるのでしょう」

 中でも身分の高い臼田助三郎が口火を切った。

「お目付の代わりに上役たちを詮議せんぎするなどできる筈がない」

 桃井一平太も続いて言った。

 庄二郎は平然とそれぞれの顔を見回してから、深々と頭を下げた。

「わたしは馬廻り役組頭堺勝太郎の弟で庄二郎と申します。無役の部屋住みゆえ庄二郎と呼び捨てくださいませ。そしてわたしも皆様方のことを知りとうございます」

 するとそれぞれが渋々役回りと名前を名乗った。

「かたじけのうございます。坂野様よりこの場にいらっしゃる方々は同志と伺っております。何に対する同志なのでしょうか」

「藩をむしばみ危うくする者どもから藩を救おうとする忠義の同志だ」

 曽原儀介がれて言った。

「それでは藩を危うくする者たちのことを話していただけませんか。これはお目付でも伺うことかと思います」

 それまで黙って聴いていた坂野がゆっくりと頷き皆を促がした。

 それを見た同志たちはそれぞれに見聞きしてきた悪行を話し出した。

 庄二郎は丁寧に書き留めると顔を上げた。

「さて先ほどのご懸念ですが、わたしは詮議などするつもりはございません。刺客を送るほどの者たちです。帳簿類は都合よく改ざんされているでしょう」

「さればどのようにして調べるつもりかな」

 坂野が興味を持って尋ねた。

「末端にいる者を調査すれば見えないものが見えるようになります」

 庄二郎は理解できるように説明を続けた。

「わたしは旅をする間に泊まった旅籠の使用人たちと共に働き、仲良くなることでその思い出を心に刻んで参りました。それがわたしにとっての旅日記です。その中で面白い経験をしました。字の読めない女中がその日に宿泊した客の人数を正確に言い当てるのです。宿帳も読めないのに何故わかるのかと尋ねたら、洗い場で使用したはしを数えたというのです」

 いつしか誰もが庄二郎の話に聴き入っていた。

「悪事を隠そうとする者の罠に付き合っては思うつぼです。暴く方法は見方を変えるだけで別にある筈です」

「それでは庄二郎、何をなせばよいか具体的に指示せよ」

 坂野は庄二郎の策に従うつもりでいた。

「まず此度の調査の目的となった米ですが、年貢を収めた側からその量を調べたいと思います。郡方こおりがたの青沼様には各村の庄屋や百姓の調査をお願いいたします。次に藩の支出ですが、普請において実際の使用材料や手間賃などを親方衆や職人に聴いて欲しいのです。木材・石・砂などが適正かどうか、手抜きの有無も調べてください。経験を積んだ職人ならわかる筈です。これは普請方ふしんがたの桃井様にお願いいたします」

 庄二郎の的確な指示に不満を口にする者はいなかった。皆真剣な表情で聴いていた。

「おれは何をすればよいのだ」

 曽原が待っていられず催促をした。

「町奉行所の曽原様は信濃屋を調べてください。年貢の量に不正があったのなら米は信濃屋にある筈です。

それから乗資様を誘惑したお志麻という養女の出自もお願いします。これも正面切ってではなく、店の使用人から聴き出すのがよいでしょう。米やお志麻の荷物には足が生えておりませんから運んだ者を探してください」

「承知した」

 曽原は喜んだ。気の弱そうな海野うんのは何か言いたそうな顔をしている。

「お納戸方の海野様は乗資様や奥方様のお着物・装飾・調度品などの購入先を調べてください。出入りの業者には誰が会い誰が支払ったか、これも店の末端の者から始めてください」

 海野も仕事を与えられて嬉しそうだった。

 庄二郎はもう一度念を押した。

「よろしいですか、すべての調査は下から上にです。そして最後は皆様の調べた結果と藩の帳簿との比較です。そのまとめを勘定方かんじょうがたの臼田様、よろしくお願い申し上げます」

「よし、引き受けた」

 臼田も力を込めて言った。

 庄二郎の長い説明が終わった。

「庄二郎、ご苦労であった。臼田の報告書が出来上がったらわしの書状を添えて殿に送ろう」

 そう言いながら坂野は心の中で恥じていた。

 ひたすら目付の到着を待ち望むだけで己自身は無策であった。

 今、たった一人の若者の話に一同の心が高揚している。

(押しが強い訳ではない、口が上手い訳でもない、何とも不思議な男だ)

 坂野は目付が何故庄二郎に代役を任せたのかわかる気がした。目付もまた庄二郎の人としての魅力に惹かれたのだなと口元を緩めた。


 皆が帰宅した後、庄二郎だけが残された。

「すまぬが女中頭のおたみから楓の荷物を受け取って届けてくれぬか」

「かしこまりました」

 庄二郎は一旦辞去してから屋敷の庭を回ると台所の入口に立って声をかけた。

「おたみさんはおられますか」

 かまどの火を落としていた女が「わたしですが」と腰を伸ばしながら答えた。

「わたしは高沢村の庄屋に滞在しております堺庄二郎という者です。楓殿にお渡しする物を受け取りに来ました」

 おたみは部屋に戻るとすぐに包みを持って戻って来た。

「これは大切なお着物ですから落としたりせぬようお願いしますよ」

 庄二郎は受け取って、

「ああ、半年がかりの着物が出来上がりましたね。きっと喜ばれますよ」

 と笑顔で言った。おたみは驚いて、

「どうしてそれを……」

 口を開けたまま庄二郎をじろじろと見つめた。

「楓殿がお父上と上手くいっていないと言うものですから、力になろうと思い色々と聴かせていただきました」

 おたみは庄二郎を台所の中に引き入れた。

 二人はそれから半時ほど上がりがまちに腰掛けて話し合うことになった。

 翌朝、庄二郎は楓を訪ねたが留守であった。庄二郎は仕方なく怠っていた朝の鍛錬に出ることにした。

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