第3話 小さな道連れ
笹屋の奥座敷では大野が起き上がって
側には藤右衛門と玄庵が見守っている。
庄二郎を見るや大野はやつれた顔を向けた。
「世話になったな庄二郎。馬廻り衆の弔いに至るまでいろいろと
と力のない声で言った。
「お命が助かって何よりです。馬廻り衆もお守りした
庄二郎は目に涙を浮かべた。そして大野に今までの
「そうか、やはり刺客であったか」
「はい、盗賊は毒など用いません。未だにわたしの動向を探っている者もおりますゆえ確かかと」
大野は静かに頷くと、
「それで更なる襲撃を避けようとわしまで死んだことにしたのだな」
と口元に笑みを浮かべた。
「申し訳ございません。勝手なことをいたしました」
庄二郎は畳に手を置いて詫びた。
「よいのだ、そなたに助けられた命だ。咎められるものではない。ただその大胆さに驚いただけだ。それよりそなたこそ大丈夫なのか」
庄二郎はちらっと藤右衛門の顔を見てから、
「わたしは藤右衛門殿の力を借りて大野家に仕える下僕に徹しております。刺客はわたしを敵ともみなしていないでしょう」
と悪戯っぽく言った。
すると大野は眼光だけに気力を集めた。
「されば庄二郎、そなたはわしに代わって田野口へ向かってくれ。ご家老
庄二郎は驚いた。無役の部屋住みがそのような大役を引き受けられるわけがなかった。
迷っていると再び大野が言った。
「そなたの兄が言っていた。生まれた順が逆だったら自分よりお家の役に立つ男だとな。わしもそなたを買っておる、共に旅をして良くわかった。責任はわしが負う」
藤右衛門も口を出した。
「堺様には人の心を動かす力があります。お力になってくれる方がきっと現れます」
口をへの字に曲げて聴いていた玄庵までも、
「自らは気づいておらぬと思うがおぬしには眠っている
それだけ言うとまた口をつぐんだ。
庄二郎は一人一人の顔を見回してからかしこまった。
「承知
大野は
「それでよい。わしの馬『
それだけ言うと疲れたのかまた眠りについた。
多くの旅人が宿を出る時刻、庄二郎も笹屋の店先に立った。
「それでは笹屋さん、お世話になりました。これから国に帰って旦那様のご不幸を伝えます。山賊に襲われたと聞いたら奥方様はきっと嘆かれるでしょう」
庄二郎は肩を落として言った。
「庄二郎さんこそ気をしっかり持って帰るのですよ」
藤右衛門も調子を合わせた。
庄二郎は
どの旅籠の店先も出立する客の活気であふれ、宿場町全体が慌しく賑やかだ。そして、その中でじっと動かずにこちらを窺う目があることに庄二郎は気づいていた。
庄二郎が歩き出すとその目もついて来る。うんざりした気持ちで中山道を戻って行くといつしかその影は消えていた。
庄二郎はその時を待っていた。すぐに中山道を離れて南に向きを変え、下諏訪宿の裏を抜けて甲州街道を進んだ。途中の金沢宿から
大門峠の頂上は高い樹木に囲まれて薄暗く、道の脇には湿地帯が広がっていた。
庄二郎は肌寒さを感じながら峠を越えると速度を落として考えた。
(このまま行くと
そうなると折角
ふと見ると、少し先に茶屋の小旗が風に舞っている。
庄二郎は茶屋に入ると蕎麦を注文し縁台に腰掛けて出来あがるのを待った。すると店の主は蕎麦を打ちながら調理場から話しかけてきた。
「どちらまで行きなさるね」
「佐久の田野口です」
庄二郎が答えると主の目が一瞬見開いた。
「今の時期は暮れるのが早い、今日はここに泊まるといいだよ」
思いがけない申し出に庄二郎は喜んだ。ここに泊まることができたら敵を先に行かせることができる。
「
すると主は奥にいる娘を呼んだ。出て来た少女は六歳だというがまだあどけなさが残っている。頬を赤くした可愛い娘だった。
「おみつ、飯にするべえ。今日はもう店仕舞いだ」
主は
庄二郎は思いがけない美味に舌鼓を打った。
「おめえさんはお侍でもねえのに何で槍を持ったり馬を連れたりしてるだ」
吾助は不思議がって訊いた。
「わたしは庄二郎という槍持ちなんですが旅の途中で旦那様が亡くなり、遺品を届けに帰る途中なのです」
庄二郎は身分を隠したままにした。
「そりゃあ難儀だ、だがおめえさんがちゃんとした家に仕えてる人だとわかって安心しただよ」
「それはどういう意味ですか」
庄二郎が首を傾げて問うと、吾助はおみつの後ろに回りその両肩に手を置いた。
「頼みがあるだ。この子を佐久の高沢村まで送ってほしいだよ」
突然の吾助の頼みにおみつもきょとんとしている。
「まずは詳しい話を聴かせてもらえませんか」
庄二郎がそう言うと吾助は座りなおして話し出した。
吾助は高沢村の百姓の家に生まれた。子供の頃から
二十歳の時、父親が亡くなると兄の弥作が家を継いだ。吾助のために分家を出すほど余裕がないことはわかっていたし、もともと百姓は性に合わなかった。
十五年前、吾助は家を出ると中山道を下って上州へ向かった。そして沼田のやくざ
ところが権吉という男は
吾助は我慢がならず権吉を
刀を持つ手を押さえてもつれながら土間に倒れ込んだ。ふと気がつくと奪い取った刀で権吉を刺していた。
吾助は気が動転してすぐに身を隠したが、権吉の跡目を継いだ
凶状持ちとなった吾助は方々を
茶屋の親父は訳も訊かずに吾助を家に入れて仕事も教えた。
その恩に報いるため吾助は心を入れ替えて働き、三年後茶屋の娘おかよと祝言を上げた。
「おみつも生まれてやっと幸せになれたと思ったんだがお
吾助はせつなそうに言った。
「どこか悪いのですか。具合が悪いようには見えないのですが」
庄二郎の問いに吾助は首を横に振って、
「おれは川で取った岩魚を宿場の旅籠に卸しているんだが、そのついでに腹にできたしこりが気になって町医者に診てもらっただよ。そうしたら
と観念したらしく他人事のように言った。
「そうしたら娘さんは独りぼっちになってしまうのですか」
庄二郎は残されるおみつが
「だからおめえさんにお願いしてるだ。頼むよ庄二郎さん、高沢村の兄の所まで」
吾助の頼みは切実だった。庄二郎はすべてを理解した上で、
「それなら吾助さんも一緒に行きましょう。具合が悪かったら馬に乗ればよいのです」
と誘った。
「おれは死を待つだけの病人だ。おみつだけでも気が引けるのに、おれまで面倒をかけたくねえ。兄は優しい人だから決して見捨てたりはしねえ。だからおれはもう死んだことにして娘だけ頼みてえ」
吾助の決意は変わらなかった。
庄二郎は説得を諦めて引き受けることにした。
その晩、隣の部屋からは吾助の押し殺したようなうめき声が聞こえてきた。
翌朝茶屋の外に出てみると、頂上から吹き下ろす風の中に小さな雪粒が混ざっていた。
旅支度を終えたおみつは寒さの中でも嬉しそうだった。生前に母が縫っておいた新しい着物の上に風呂敷包みを背負い、赤い鼻緒の小さな草鞋を履いている。
「おとうやんも来るんだべ」
おみつが言った。
「ああ、茶屋を始末したら必ず行くから
吾助は笑顔を作って答えた。
その時である。街道筋から四人の男たちがやってきた。
「吾助!探したぞ。こんなところに隠れていやがったか」
一人の男が前に出て怒鳴った。
「権蔵……」
小さくつぶやくと吾助は固まった。
男たちは横に広がって周りを囲った。
「わかった、もう逃げも隠れもしねえ。おれの命で勘弁してくれ」
吾助がそう言うと、
「命だけじゃ足りねえ、おめえを探すのに金がかかっているんだ。そこの娘も貰ってゆくぜ」
と権蔵はおみつを見ながら言った。
吾助はおみつを自分の後ろに隠した。
「権蔵さん、話には聞いていたがやはり悪い人ですね。顔も腹も真っ黒だ」
庄二郎が間に入って言った。
「おめえは誰でい」
権蔵は凄みをきかせて庄二郎を睨んだ。
「わたしは通りがかりの旅の者ですが、あなた方がよく言う一宿一飯の恩義ってやつですよ」
それを聴くとそれぞれに刀を抜いた。庄二郎は落ち着いた声で、
「吾助さん、そこの
と言って立てかけてあった天秤棒を掴むと四人の中心に躍り出た。
慌てた男たちは一斉に刀を振り回して向かってきた。
庄二郎はするりと身体を入れ替えると勢い余ってたたらを踏む相手の肩を打った。それぞれの刀は庄二郎を見失って空を切り、その都度天秤棒は頭の上で円を描くように回っては打ち下ろされた。
まるで舞のような無駄のない動きに吾助はぽかんと口を開けて見いっていた。
すべては一瞬の出来事であった。あっという間に四人は肩を押さえて転がっている。三人は刀を持つ手の肩を砕かれていた。
「権蔵さんは肩よりも先に天秤棒が折れたせいで打撲だけですみましたが、次はありませんよ」
庄二郎が呼吸ひとつ乱さずに言うと、男たちは先を争うように逃げて行った。
「庄二郎さん、おめえさん本当にただの槍持ちかい」
吾助は驚きが覚めないままに訊くと、
「はい、槍が使える槍持ちです」
と笑顔で答えた。そしてまだ怯えているおみつに、
「おみっちゃん、もう大丈夫。おじちゃんといれば安心だよ、さぁお馬に乗って行こうね」
と言っておみつを抱き上げて馬に乗せた。
おみつはやっと安心して笑顔を向けた。
「それじゃおとうやん、先に行って待ってるね」
馬上から元気に声をかける娘の顔を見ていると、吾助は
「庄二郎さんに迷惑をかけちゃなんねえぞ、弥作おじさんにちゃんと挨拶するだぞ」
声を詰まらせる吾助に、
「おとうやん、泣いているだか」
と大きな瞳で顔を覗き込んだ。
「風が冷てえから鼻水が出ただけだ」
聴いている庄二郎も胸が締め付けられて顔を上げられなかった。黙ったまま馬をゆっくりと引き始めた。
振り向きながら手を振るおみつの声が山々にこだました。
吾助は娘の姿が見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた。
庄二郎はおみつの体力を考慮してゆっくりと歩を進めた。
山道でも健脚の者なら一日八里は行けるところを五里程度と決めた。馬上で揺られるだけでも子供には負担が大きいと思ったからである。
そして最初の
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