多様性とパクチーの話

チョコクリームをフォークで持ち上げ

「チョコケーキ、ちょっと味変わった気がする。」と高橋は言った

「どんな風に?」

「クリームがちょっと苦い気がするな。食べてみる?」

フォークを中川に向けながら高橋は聞いた。

「まず、おろせ。」中川は口を動かさずに言った。

「ん?」

「フォークをおろせ。」

「なんで?食べへんの?」

「それ以前の問題や。まずはおろせ。」

「難しい子やな。」すっとフォークをおろしケーキ皿の上に横たわらせた。

「どないしたんや。」

「わからんか?」鬼が宿ったかのように中川の目は燃え滾っていた。明らかな異常事態であることを悟った高橋は声を落として再び聞いた。

「なにがや。」

「お前と俺はなんや。」鬼が再び問う。

「主従関係やな。」鬼の目をまっすぐ見つめて高橋は答えた。


「そんなんええからちゃんと答えてくれ。お前と俺はなんや。」


高橋が生まれ育ったのは、大阪の中でも治安が特に悪いN成区。

悪そうな人が悪そうな人と悪いことをしてそうな場面や、危なそうな人が危なそうな人と危なそうなことをしている場面、普通に生きていくのであれば経験する必要のない場面をたくさん目にし、自身もまた、小学校から高校までの間に危険な場面を脇役として体験することも少なくなかった。


高橋自身が危ないことや悪いことに直接手を染めるという事は決してなかったが、学友の中には、不良にカテゴライズされる輩が多く、そういう輩の揉め事に巻き込まれる事が度々あった。

何度もそういう経験をすることで、免疫力がついてきたのか、大抵の事に対して「ビビる」という感情が薄くなっていき、周りからは「何事にも動じない人」という印象を持たれるようになった。

事実、大抵の事に関して動揺したり、怖がることはなかった。


はずだった。


高橋は人生で初めて、ある感情が自分に向けられている事を察知し恐怖した。


殺意。


本来であれば、ふざけたラリーを3回4回、多ければ5回程打ち合った後に本題に入るのだが、恐らくもう一度ラリーを試みた瞬間打ち返されるのはテニスボールではなく、地球ごと高橋を消し去る威力を持つデスボール。


悪ノリで命を落とすことも犠牲者を出すこともできない。


高橋は自分の命と、地球を守る為に普通に会話をすることを選んだ。

「と、友達や。」

「その友達にお前は今何をしようとしたんや。」中川は殺意を隠さずに聞いた。

「もう2、3回ふざけた事を言おうとしました。」自然と口調がかしこまる。

「そうやない。その前や。」

「その前?」

「フォークをおろす前や。」

中川の語気が荒くなってくる。

高橋は恐怖した。

「わかった。ちゃんと答えるからデスボールだけはやめて。」

「なんやねんデスボールって。」

「デスボールって、ドラゴンボールでフリーザが、」

「デスボールはどうでもええねん!フォークおろさせた理由に心当たりはないんかってことを聞きたいねん!」ボリュームこそ小さいが、声にしっかりと怒りが乗っている。


「食べさそうとしただけやんけ。」

「それや。」

「なんでや。お前が味を気にしてそうやから、説明するより食べさせた方が早いやろなって思っただけやんけ。何があかんねん。」


中川は殺意から一転し、子供に向けるかのような優しい眼差しを高橋に向けながら答えた。

「そこに関してはな、一切責めてへんし、むしろ合理的で、完全に同意やわ。口で説明されたかって、結局食べさせてって言うてたやろうしな」

「じゃあ、何があかんかってん!俺の何があかんかってん!俺に殺意を向けた理由を教えてくれ!」頭を両手で抱え込みながら高橋は訴えた。


「小芝居モードやめろ。気持ちは同意や。行動に殺意や。おっさん同士のあーんなんて公害やぞ。」

「誰も気にしてへんし、今どきは多様性云々でオープンになってきたから珍しい光景でもなくなってきたんちゃう?」


中川の目に再び殺意が戻った。

「出た。多様性。言葉に罪はない。言葉の意味にも罪はない。多様性は否定されるべきではないということも理解できる。でもな、受け入れれるかどうかってのは別の話や。受け入れられへんことを声に出すことすら許されへんみたいな風潮しんどすぎるやろ。お前、パクチー好きか?」

「パクチーは嫌いや。」

「俺も嫌いや。でも、パクチーという存在は認めざる得ないよな。自分が食べへんくても、他の人は好んで食べるしな。港区らへんで働いてる女子たちはパクチーメインの料理を食べてるやろうしな。国によってはパクチー添えがデフォになってる料理も多いしな。でも、俺は食べられへん。まずいから。」

「多様性とパクチーを一緒にすんなって。」

「一緒や。多様性とパクチーを一緒に考えるという俺の多様性をお前は否定すんのか。」鋭い眼光が高橋に向けられる。ゴルゴですら背中を見せて逃げ出しかねない殺意である。


「そういうわけやないけど、ちょっと、パクチーの例えは、あの、違うんちゃうかなーって思いまして、はい。」何事にも動じない高橋。そう言われていたのがはるか昔のように感じる。

「一緒や。パクチーの存在は認めるけど、食べろと言われたら絶対食べへん。港区の可愛い女性にアーンってされても絶対食べへん。おっさん同士のアーンも一緒や。おっさん同士の恋愛やアーンが存在することは認めるし、自由にすればいいと思う。でも、その光景を見たり自分が当事者になった時、やっぱり「気持ち悪っ」って思う自分がおるし、そこに罪悪感は全くない。気持ち悪って思うことも、そういうのを認められへんという多様性の一種やと俺は思ってる。多様性を認められへん多様性も尊重してほしいわけや。だから、俺とお前の間で行われようとしたアーンは俺的には気持ち悪い行為なわけや。わかるか?」

「まあ、めんどくさいこと言ってるなってのは伝わったわ。」

「それだけで片付けんな。じゃあ、俺が今からお前の目の前でウンコするって言ったらどうする?」そう言いながら拳を高橋に向けた。

「絶対嫌やな。ウンコをするお前をウンコを見るような目で見るし、ウンコを避けるようにお前のことを避けるな。」中川の拳を払いのけながら言った。


「この広い世界のどこかで、人の目の前でウンコをすることが慣習として根付いてる地域もあるかもしれへん。そういう慣習があったとして、気持ち悪いとは思うけど、そういう慣習もあるんかーって考えにはなるやろ。」そう言いながら再び拳を高橋の目の前に突き出した。

「それはそうやな、気持ち悪いけどな。あと、拳突き出すのやめてくれへん?絶妙にうっとしいわ。グータッチせーへんで。」再び拳を払いのけた。

「せやから、多様性は尊重はするけど、強要された時には、そのカテゴリーの人間じゃないから拒否をしてしまうわけや。お前はさっき、俺にアーンを強要したって自覚を持つべきやで。誰も気にしてへんから大丈夫という、根拠のない根拠を振りかざして俺に強要したんや。確かにこの店におる人は誰も気にしてへんかもしれんけど、目の前におる俺が、お前の友達である俺が、一番気にしてるってことまで考えてほしかったな。」

中川は寂しさを含んだ口調で高橋に伝えた。


「中川、ごめんな。俺、お前の友達やのに、そこまで考えてあげられへんかった。確かに、人間嫌なことや生理的に受け付けられへん事の一つや二つあるよな。第一声を聞いたときに、そこに気づくべきやったな。ほんまにごめんな。こんな友達でごめんな。」

両手で目を覆い、震える声で高橋は素直な気持ちを中川に伝えた。


「いや、ええんや。昔からの友達やからって、俺も伝えるということを疎かにしてた。これからはもっとお互いの嫌なこととかも話せていけたらええな。これからもよろしくな、親友。」

そう言いながら、中川は拳を高橋の前に突き出した。

「おお、こちらこそよろしくな。」

そう言いながら高橋は拳を払いのけた。


「ま、まさか、それが、お前の多様性、、、、」


一瞬、高橋の口元が怪しく引きあがるのを中川は見逃さなかった。


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