第5話 脱出

「ん……?」

「なんだ、どうした?」


 自警団の男はふと眉を顰めた。


「今、何か音がしなかったか?」

「いや、別に……」


 そうか、と応えつつ、男はきょろきょろと辺りを見渡している。

 エルエの街外れ。西の外壁沿いにある下町は、表通りこそ活気にあふれており、治安もそこまで悪くはない。だが、裏路地ともなれば話は違う。


「そんな気をそばだてることもないだろう?オレたちはただの見張りなんだし……」

「それはそうだが、この辺りは錬金師の巣窟だからな。何が起こるか気が気じゃなくて」

 

 男の言葉を待たずして、不意に裏路地の突き当たりで壁を作っていた煉瓦が軽快な音を立てて始めた。おっかなびっくり肩を竦ませた自警団の面々は、腰元の剣に思わず手を伸ばす。

 煉瓦はやがて振動に耐えきれないとでも言いたげに、徐々にガラガラと剥がれ落ち、壁を崩壊させていった。


「なんだ、ギィか……」


 そんな煉瓦の内側から現れ出たのは、キャスケット帽を被った青年だ。革製のショルダーバッグを袈裟かげにした彼は、どこか不機嫌そうに口を曲げると、

 

「何だとはご挨拶だな」


 と鼻を鳴らした。

 自警団の面々はどこか安堵の表情を浮かべつつ、剣の柄から手を離す。

 

「おい、ギィ。本当に中に誰もいないのか?ニアが逃げ込むとしたら君の家くらいのものだと思うんだが」

「あぁ、それなんだがな。ニアは元から家に居たよ。ハンモックの上で寝てやがった。悪いな、俺が見落としてたらしい」

「それこそ嘘だろう。ニアが西ギルドの前で騒ぎを起こしたのはついさっきの話だぞ。魔法使いを名乗る少年を連れ去ったと……」

「ふぅん、そうかい。そんなに気になるんなら中を改めな」

「何……?」


 あっさりと言い放った青年に、その場の誰もが不思議そうな顔をした。が、本人はものともせず


「アンタらのその様子じゃ、是が非でも家に踏み込まれそうでウゼェからな」


 と肩を竦める。


「中はニアが案内してくれるだろうぜ。ただし、あんまりベタベタと物に触ってくれるなよ。あまつさえ壊そうもんなら、アンタらの数年分の給金は無いものと思え」

 

 男達は互いの顔を見合わせた。不安げな声を溢す者も居る中、1番手前にいた中年の男性だけは鷹揚に首を縦に動かす。

 

「……分かった。だがその言い方は……君はこれからどこかに出るのかい?」

「まぁな。別に俺が外に出る分には構わねェだろうが?」

「いや、しかし……」

「万一家の中で魔法使いが見つかったってんなら、そんときゃ大人しくお縄についてやるよ」


 青年が足を踏み出すと同時に、自警団の面々は慌てて彼の通る道を開けた。ひらりと手を振ってその場を去る青年を眺める彼らだったが、


「はいはーい!おじさん達!早く入らないと入り口閉めちゃうよ〜!」


 と、崩れた煉瓦の奥から聞こえてくる明るい声に意識を奪われる。


「あ、あぁ……」


 どこか釈然としない感覚を抱えつつも、男達はニアの声がする方へと歩みを進めたのだった。





「ふぅん……上手くやるもんだね」


 心臓がばくばくとなっている。何とか落ち着けようと大きく息を吸い込んだところで、ショルダーバッグの中からリコリスがひょこりと頭を出した。


「見た目を似せるだけならいざ知らず、声は一体どうやったの?」

「……あれは本物のギィの声だよ」


 薄暗い裏路地から、とにかく陽の射す明るい方へと歩いていれば、やがて人が行き交う通りへ出ることが出来た。最初に歩いた目抜通りとは少し違うようで、この辺りは人々の生活の営みが垣間見える。

 煉瓦造りの建物間にはロープに吊るされた洗濯物がはためいて、俺たちを見下ろしていた。

 黒いキャスケット帽を目深に被ったまま、俺は細い路地に身を滑り込ませる。周囲に誰もいないことを確認してから、意識を集中させて魔法を解いた。顔を含める全身にまとわりついていた布のような感触が一気に取り払われ、俺はやっと大きく息をつく。


「変装って観点においては、マジで完璧なんだろうな……」

「まぁ、今回は目の前に実物がいたしね。想像も容易いだろうさ」


 魔法で何でも解決!とはなるはずもなく。俺が弄した策は、魔法でギィの見た目を作り出し、自警団を化かす事だった。

 最初は俺が家具か何かに成りすました方が良いかとも思ったが、見つかった時のリスクが大きすぎる。隠れられる場所が殆ど無かったあの部屋では、自警団の捜索をやり過ごすのは無理そうだった。

 

「後はギィが上手くやってくれたら良いんだけど……」

「大丈夫でしょ。『忘れ物した』って天井のハンモックから何食わぬ顔して出てくれば良いだけの話なんだから」


 あの奇妙な家の構造はいまいち理解し切れていないが、どうやら出る時は梯子で登り、入ってくる時は必ず天井から落ちてくる仕様らしい。最初に俺を受け止めてくれたハンモックの位置を少し変えて、そこにギィが潜み、自警団が落ちてきた後に姿を現せば、上手く成り変わりができる、という寸法だ。

 勿論俺が考えたのはギィに変装して外に出るまでであり、成り変わりはギィ本人からの提案だった。


「そんで?ギィ本人の声ってどういう事?」

「これをここに忍ばせてたんだよ」


 リコリスの質問に、俺は首元から小型の黒い球体を取り出して見せる。


「それは機械かい?」

「うん。トランシーバー的な奴。……一応」

「トランシーバー?」

「声を送り合う機械だよ。……まぁ、俺が想像してたのと形が大分違うけど……」

「ふぅん……。機械を魔法で」


 リコリスはどこか面白そうに、けれどジト目を作って復唱する。

 声真似の練習も一瞬したが、ギィに嫌そうな顔をされたので【ドロウ】で生み出した物だ。

 携帯端末での通話を意識した物だったが、何故だか黒い球体が2つ生み出されてしまった。スピーカーに見えない事もないが、機能としては問題なかったので、片方をギィに渡して声を入れてもらっていたのだ。

 

『やっほー、コウ!生きてる?』

「おわ!?」

 

 不意に黒い球体から音声が流れ出て、思わず取り落としそうになる。


「に、ニア?」

『そうよ!こっちはギィが自警団を上手く追っ払ってくれたわ!居ない人を探そうったって無理な話よね!』


 楽しそうに笑うニアに、ほっと息をつく。あちらは本当に問題なさそうだ。


『お前、今どこにいんだ?』


 続けて聞こえてきたのはギィの声。俺は建物の隙間から顔を出して左右を見るが、あまり目印らしいものはない。住宅街のようである、とだけ伝えれば、ギィはふむと唸った。


『一先ず、俺が迎えに行ってやる。さっきの今でニアと並んで歩いてたら、全く意味ねぇからな。お前、何とかして西区のギルドまで来い。表の連中なら、ある程度は親切だ』

『えーっ、ギィだけずるい!私もお話ししたいのに〜!』

『うるせェぞ、クソガキ』


 ギィの暴言を最後に、パタリと声が止む。それきり何も言わなくなってしまった球体は、少しずつ俺の手の中で溶け出し、跡形も無くなってしまった。


「えっ、無くなったんだけど!?」

「へぇー、魔法で生み出した機械は、随分と魔力を食うんだね。今の君だと、そう長い時間保てられないんだ」

「うわっ、まぁまぁ不便だな……」

「機械にするから不便なんだよ」


 どこか不服そうな声でリコリスは言う。

 致し方無し。俺はそろりともう一度通りに出て、煉瓦造りの道に立ち尽くした。

 会ったばかりで騒動に巻き込んでしまったギィには申し訳ないが、今は彼の厚意に甘えて合流した方が良いだろう。

 彼は西区のギルド、と言ったか。太陽の位置で憶測が立てば良いのだが、生憎真上から降り注ぐ日光は、俺に方角を教えてくれそうにない。


「あのー、すみません」


 自力は早々に諦めて、俺は通りを歩く男性を1人捕まえて話しかける。男性は唐突に話しかけてきた俺を鬱陶しがる事もなく


「どうしたんだい?」


 と気さくに返してくれた。


「西区のギルドはどこにあるんでしょうか?」

「何だ、旅人さんかい?」

「ええ、そうなんです。今日この街に来たばかりで」

「なるほどね。って事は、君は地図描きを目指してるって事かな?」

「えっ、……と?」

 

 話の脈絡を掴めず、困惑を顔に出す。男性はそれでも気にした様子はなく「何だ、違うのか」と笑った。


「この街は、ここいら唯一の地図描きを生む街だからさ。てっきり君もそうかと思ったよ」

「地図描きを生む?」

「そうさ。地図描きになるためには国の認可を受けなきゃならないだろ?この街は、その為の試験を受けられる街なのさ」


 男性はどこか誇らしげだ。

 どうやら【地図描き】とは、特別な人間がなるものではなく、一般に門戸を開いているものらしい。

 だとしたら『国で十数人』とは、少し少なすぎやしないだろうか。それだけ試験が難しいと言う事なのか。


「あぁ、西区のギルドだったね。この道を真っ直ぐ行くと、噴水広場に出るはずだ。そこの広場の中で1番大きな建物を探すと良いよ。見ればわかる」

「丁寧に、ありがとうございます」

「いいえ。アエネイスの加護があると良いね。知識と経験を持つ旅人さん」

「ど、どうも」


 これは旅人に投げかける共通の文言なのだろうか。確か城門の兵士にも言われている。誰もが旅人に対して随分と寛容だ。

 それに加えて、アエネイスとは、この世界における神の様なものなのだろう。宗教には慎重に接するべきだ。それは恐らく、俺の居た世界でも異世界でもきっと変わらない。


「治安が良い街で助かったな……」


 道を歩きながらポツリと呟けば、リコリスが丸い瞳を瞬かせて俺を見上げた。


「この辺りはそうだね。でもさっきの裏路地はちょっと危なさそうだったよ」

「え?そうだったっけ?」

「君は悪運が強いのかもねぇ」


 一人で納得するリコリスに疑問符を投げかけつつ、俺は親切な異世界人に示された道を行く。

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