第3話 少女と炎
「金、ねー……」
街に入っての第一声がこんなに虚しいものになろうとは、誰が思うだろう。
街並みは穏やかで、繁華街と思わしき場所の活気も申し分なかった。店が立ち並ぶ区域でいざ商品を眺めて、気が付いたのだ。
俺には金が無い。金と言わず、持ち物が全く無い。
「だろうね」
鞄の中から声が聞こえる。楽し気というか揶揄っているようなその口調に、俺は街道を歩きながらむうと口を曲げた。
「どの世界でも金は必要か……」
「そりゃあね。でも、イメージさえできれば【ドロウ】で生み出せるし、問題ないでしょ」
「いや、犯罪だろ」
というより、そんなことがまかり通っては経済破綻も著しい。しかし気楽なリコリスは「どーせバレっこないよ」とどこ吹く風だ。
「どっちにせよイメージが湧かないって。実物見ないと」
「それはそうだね。その辺の人にお願いすれば?」
「嫌だよ。いきなり『すみません、お金見せてもらえませんか?』とかどんな不審者だ」
流石に知らない土地で悪目立ちは避けたい。どちらにせよ、正当な手段で金を手に入れる必要があるだろう。
「ってなると物を売れば良いんだろうけど……。【ドロウ】で生み出したものってのは、どれくらい持続するもんなんだ?」
「持続?」
不思議そうに、リコリスはぴょこんと鞄から顔だけを出した。
「そう。【ドロウ】で出した物を売るとして、ちょっと時間が経ったら消えちゃいました、だと詐欺になるだろ」
「律儀だねえ~。そんなの気づかれなきゃいいじゃん」
「悪行ってのは、回りまわって自分に帰ってくるんだよ」
良心の呵責に苛まれるのも嫌だし、俺は俺自身が恥だと思う事をやりたくない。
俺の頑なな態度にリコリスはその小さな肩を軽く竦めると、
「そうだねえ……。物にもよるし、【ドロウ】を使うときのイメージにもよるけれど、君の今の魔力なら、長くて半日ってトコかな」
「リコリスなら?」
「さてね。五億年くらいじゃない?」
「テキトーこいてんじゃねぇよ」
「まぁ、どっちにしろ僕は君がどうやってお金を稼ぐのか興味あるから、手伝わないけどね」
教える気も協力する気もさらさらないらしい。俺は頭をがしがしとかきながら、あてもなく歩みを進めていく。
半日、ということは、今リコリスが入っている鞄もそれだけ時間が経てば消えてしまうのだろう。いちいち作って、コイツを入れなおして、というのもなかなか面倒だ。早急に金を作り、実物を手に入れなければ。
「半日かぁ……。食べ物ならギリ行けるのか?」
「無理だねー、【ドロウ】で生み出した物は、食べられるけれど味覚は伴わないよ」
「おい、万能じゃねーじゃんかよ」
「最初に言ったでしょ?それっぽい外見の物は作れるけれど、生命そのものは生み出せないんだよ。食品なんて、どれもこれも生命を加工した物じゃないか」
「言い方言い方」
そんなことを言ったら大体の物がだめじゃねーか。
俺がぼやくと、リコリスは
「ま、『質量を伴った限りなく本物に近い幻』を産み出す魔法だと思って」
と面倒くさそうに言った。
どちらにせよ、【ドロウ】で生み出した物を売る、という線はあきらめた方がよさそうだ。
さてそれならどうするか、と俺が再び思考を巡らせ始めたその時
「出ていけ!!」
ダン、と大きな音と共に、一人の少女が俺の目の前に転がってきた。
いったい何事かと目を剥くと、道沿いに立っていた大きな建物の入り口から、大柄な男が少女に向かってがなっている。どうやら少女はあの建物の入り口から放り出されたらしい。
「いい加減にしろよ、ニア!!くだらねえ募集要項を毎回毎回押し付けてきやがって!本当に地図描きの自覚あんのか手前は!!」
「あるよ!!あるからそう書いてるんでしょ!?報酬渡したんだから、ちゃんと貼りだしてってば!」
「ふざけんな!!受け取る訳ないだろこんな金!!」
思い切り少女の顔面に向かって布の袋が投げつけられる。袋の重さはかなりあるらしく、少女は「ぐえーっ!なにすんの!」とバチギレだ。
なんだなんだと、俺の周りに少女と男を遠巻きに眺める人々が集まり始めた。
ところが
「あぁ、なんだ、ニアか」
「相変わらず真昼間から騒々しいな」
と、幾人かは慣れた様子でその場を立ち去っていく。
地面に這いつくばっていた彼女は身を起こすと、怒鳴りつけていた男性の元に駆け寄り、彼の手に握られていた一枚の紙を取り上げようと飛び跳ねた。
「返してよ!ここの紹介所がだめなら、今度は街の反対側に持ってく!」
「しつけえな!お前のこの依頼内容を受け付ける紹介所なんてあるわけないし、まして【魔法使い】なんか見つかる訳がねえだろ!!」
「うるさい!返せ!」
「温情で見逃してんだこっちは!いい加減突き出すぞ!」
騒ぐ二人を眺め、俺はぽかんと立ち尽くした。あまり関わりたくはないが、今の会話内容は聞き捨てならない。
もしかするとあの少女は、袋の中にある金を報酬に【魔法使い】を探しているのではなかろうか。
そうだとすれば、これは何とも運が良い話じゃないか。
俺は喧嘩を繰り広げる二人の間に近づくと
「あのー」
恐る恐る話しかけた。
「あ!?」
「なに!?」
男と少女のどちらからもギロリと睨まれる。俺は多少気圧されつつ、「突然すみません」と前置きして問うた。
「【魔法使い】をお探しなんですか?」
「はあ?なにを……」
不思議そうな顔をしたのは男の方だ。少女の方は俺の言葉を聞くなり目を輝かせ、「何か知ってたりするの!?」と食いついてきた。
「いえ、知ってたりというか、俺【魔法】使えるんで、もしよければお役に立てないかなーと思って」
瞬間、その場が固まった。
これは決して比喩などではない。その場の全員。何ならただ道を歩いていた人間ですら、ぱたりと足を止めたのだ。そうして、俺の言葉を聞いた誰もが、俺を見つめている。
「――え」
なんだ、この空気は。間違いなく異様であることだけは分かる。けれど、今俺はそんなにまずいことを口走っただろうか。
それが数秒続いたのか、数分続いたのか、もはや時間の感覚が狂いかけたその時
「もしかして大馬鹿者ね!あなた!」
台詞と反して至極嬉しそうな少女の声。それと同時に突然手を掴まれ、信じられない力で前に引っ張られた。
「な、何!?」
「逃げるに決まってんでしょ!」
「逃げる!?なんで!?」
確かにあのいっそ悍ましい空間から逃げ出したくはあった。が、こんな脱兎の如く駆け出す必要は果たしてあったのだろうか。街道を抜け、俺の息が上がっても、少女はお構いなしに走り続けた。背後の道が僅かに騒がしい気もしたが、確認する余地もない。
「ちょ、ま、待って、ギブ……」
「もーちょっとよ!我慢なさい!」
容赦のない少女は裏路地に入り込むと、そのまま壁沿いを駆け抜ける。そうしてやがて行き止まりがやってくると
「開けてーー!!」
と言いながら壁に突進した。
「おい冗談だろ?!」
走るスピードは緩まらない。正気の沙汰とは思えず、俺がブレーキをかけようとしても、もはや回り続け困憊した足は言う事を聞いてくれない。
激突する、と目を瞑ったが、しかし、その衝撃はやってこなかった。
代わりにやってくるのは、宙に投げ出された浮遊感だ。足の裏に、先程まで確かに踏みしめていたはずの地面が無い。
「だぁぁっ!?」
落ちる、と思いきや、さしたる落下感は訪れなかった。バフン、という音と共に、俺の全身が羽毛布団のようなものに一瞬くるまれ、そして固い地面に吐き出される。思い切り腰から着地したせいで、激痛が走った。
「――――ってぇ……」
起き上がる気力も湧かなかった。何とか空気を取り込み、ぜいぜいと息を大の字になって天井を見上げる。視線の先はレンガ色のドーム状になっており、ここが何かの建物内だという事だけは把握ができた。
ほど近くの壁沿いには羽毛の山に埋もれたハンモックのようなものがあり、俺はこれに弾かれて落ちたのだろう。
「おい、何なんだ、騒々しい」
「ギィ!いたのよ!見つけたわ!馬鹿だけど!」
「意味が分からん。落ち着け」
呼吸を整えながら少しだけ顔を上げると、先程の少女と、大きめのキャスケット帽を被った目つきの悪い男が、暖炉の前で何かを言い合っている。
「【魔法使い】よ【魔法使い】!自称だけど!」
「またお前……どうせ見境なく連れてきたんだろうが。始末する俺の身にもなれ」
「ギィはもっと人を信用すべきだわ!」
「テメェが安直なだけだ」
彼らの喧嘩を聞くうちに、俺の心臓の鼓動はやっと治ってきた。ぐたり、と俺は体の力を抜く。
「あのぅ、僕の事忘れてない?」
ふと俺の首の下から、しおらしい声が聞こえてきた。枕のように頭の下にあったのは、リコリスが入った鞄だ。
「ご、ごめん!」
謝りつつごろりと転がって避けてやると、リコリスはずるずる這いつくばるようにして鞄から身体を出した。
「踏ん付けるなんて酷いよぉ」
「悪かったって!わざとじゃないから!」
ぶうぶう文句を言うリコリスに平謝りする俺に、どうやら暖炉前にいた2人が気付いたようだ。少女――といっても歳は18かそこらのようだが――はとことこと駆け寄ってきて、俺とリコリスの前にしゃがみ込んだ。
「それは……何?人形、ではないよね?」
「えっ、ええと……」
「
「おいっ!?」
その小さな手を挙げて返事をしたリコリスを、咄嗟に持ち上げて背中に隠した。しかし少女は即座に俺の後ろへ回り込み、リコリスと会話を続ける。
「竜……?竜って言ったら、もっと大きな身体のはずでしょ?こんなに小さい訳がない」
「そんなその辺に転がってる若輩者と一緒にしないでよ」
ふん、とリコリスは鼻を鳴らした。どういうことかと首を傾げる俺と少女。すると、キャスケット帽の青年が不意に会話に割って入り、
「まさか、
とうなった。
「ご明察。話が分かるのもいるようだね」
リコリスは上機嫌だ。しかし、それが一体何を意味するのか理解できず、少女と俺は顔を合わせる。青年はどこか苦い顔をしながら続けた。
「竜ってのは、生まれてから300年で身体の大きさが最大になり、その後は次第に小さくなっていく。その代わり魔力が凝縮され、強大な力を持つようになるんだ。この小さくなった竜のことを、
「さぁね。五億年くらい?」
「まーたテキトーこいて……。元はくっそデカかったろうが」
五億年だの五万年だの、どうしてすぐにデカい数字出したがるんだコイツは。
諦めてリコリスから手を離すと、この小さなぬいぐるみもどきはよじよじと俺の頭の上に登り、そこに腰を落ち着けて満足そうに頷いた。
「何だっていいじゃん。とにかく、僕がリンドブルムって呼ばれてる竜なのは間違いないよ」
「じゃ、じゃぁ!それを連れてるこの人も期待はできるわよね!」
「まぁ、……なくは無いが……」
「ねぇ!貴方はどんな魔法が使えるの!?ううん、最悪どんな魔法でもいいわ!とにかく見せて!」
期待が止まらないと言う勢いで少女は俺に詰め寄ってくる。ここまで目を輝かせてこられると、若干自信が喪失してくると言うものだ。
「いや、そう大したもんじゃ……」
「なんだよぉ、僕が直々に教えたんだぞ。大したもんに決まってるだろ?」
「つってもさぁ……」
「見せて!お願い!何でもいいから!」
最早食い付かれるのではないかと言う勢いだ。俺が「わかった!わかったから離れて!」と騒ぐと、キャスケットの青年が少女を引き剥がしてくれた。
仕方がない。自信はないし、何でもいいと言うなら、適当に手に火でも灯してやれば良いか。
「知らないぞ、幻滅しても」
「いいわ!ダメでもともとだもの!」
「まぁ、そのくらいの感覚でいてくれるんなら……」
気を取り直し、俺は頭の中で軽く炎をイメージした。手のひらに乗る程度でいい。火の玉みたいな、少し小さいやつ。
手でイメージをなぞっていけば、ゆるゆるとオレンジ色の灯火が俺の手の上に乗った。
「あっつっ!!」
手のひらに乗る程度、であって、手のひらに乗せたいわけじゃねぇよ!
少し浮いとけや、と念じれば、それはゆらりゆらりと俺の手の上を揺蕩った。
「これは……、まさか【ドロウ】か?」
「おや、まだいたんだね。魔法に明るい人間はすっかり狩り尽くされたのかと思ったよ」
青年とリコリスの会話もまた物騒だが、それよりも俺の意識は目の前の少女に釘付けだった。
彼女の水晶のような青い瞳に、俺の灯した炎が映り込む。
肩口程までの
炎に見惚れうっとりとする彼女は、いっそ幻惑的ですらあった。心を奪われてどこか遠い世界を見ているような、そんな表情で彼女は俺の前に座っている。
「もういい?」
「……」
「おーい?」
話しかけても反応はない。助けを求めるように青年に目をやると「それを消せば元に戻る」とあっけらかんと言った。
実際炎を消してやると、彼女は途端に正気に返る。
「――すごい!!」
そして、興奮気味にまた俺に詰め寄った。
「本当に存在したんだ……!何もない空間から、それは魔力を根源に発生させているって事?それとも何か別の要素がかけ合わさって?そもそもどうしてあなたは魔法が使えるの?どうやったら魔法が使えるようになるの!?」
「ちっ、近すぎるっ!」
先程の表情とは打って変わって、騒々しく俺に詰め寄る。
何とか押し込み返して座らせると、俺は「大体な」と切り返した。
「お互い自己紹介も何もないじゃんか!距離感バグりすぎだって!」
「バグりすぎ?……よく分かんないけど、確かにそれはそうだね!」
少女は頷き、そしてにこりと太陽のような笑みを俺に見せた。
「私はニーア・トル・エル!皆からは地図描きのニアって呼ばれてるわ!」
差し出された手を俺は思わず受け止めてしまう。途端、両手で力強く俺の手を握りしめた彼女は、笑顔そのまま言い放った。
「これからよろしくね!
「え?」
咎人?咎人って、挨拶に違う単語なのか?う
どうにもそれが聞き間違いでない事を俺が知るのは、奇しくもその直後の事だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます