第2話 狼狽える旅人

「うわー、ヨーロッパ感」


 街を取り囲む高い城壁を前に、俺は思わず独り言つ。

 外堀のようなものは特に無いが、この街は所謂城塞都市みたいなものなのだろう。ただ、大きな門の前に誰かが立っているという事はなく、どうやって中に入れば良いのかは分からない。


「あっちに扉があるよ」


 俺の頭にうつ伏せでぐたりと乗っかっているのは、リコリスと名乗ったぬいぐるみだった。

 いや、道中話を聞いた感じ、どうやらコイツはドラゴンであるらしい。確かに最初目が覚めた時には、ドラゴンっぽい奴が隣にいた。形を変えるなど造作もない、とは本人の談だが、最早同一人物(竜)には思えない姿だ。

 そんな自称竜が指さす門の端側には、確かに小ぶりの扉が存在した。小ぶりと言っても、人二人は横並びで潜り抜けられる程度の幅はある。門と比べれば小さいだけで、出入り口としては十分な大きさがあった。


「勝手に入って大丈夫なもんなのか?」

「あぁ。多分大丈夫。魔物モンスター対策で二重外壁になってるだけで、この先にはヒトがいると思うよ」


 魔物!?と俺の声がひっくり返る。


「魔物がいんのかよ!?」

「そりゃそこら中にうじゃうじゃいるよ。普通の人間なら、ここに来るまでに5、6種類には襲われてるだろうね」

「1回も襲われてないけど……?」


 ここまで来るのにそう距離もなかったとはいえ、俺が出会した動物らしい動物は、頭の上のコイツくらいのものだ。

 

「魔物にだって最低限の知能はある。わざわざ見えている落とし穴に落ちるような真似はしないさ」

「落とし穴?」

「そ」


 リコリスはそれきり説明を放棄して、「ヒトの街は久しぶりだなー」と呑気にのたまっている。

 辿り着いた扉に手をかけ、ふと俺はもう一度リコリスに問いかけた。


「竜って持ち込みOKなもんなの?」


 言葉を喋るし無害だとはいえ、モンスター亜種みたいなものを街に持ち込んで良いものか。この世界の常識が分からないので、若干不安だ。


「ダメだと思うよ」


 リコリスはあっけらかんと答えた。


「ダメって。どーすんだよ、お前」

「バレなきゃ良いでしょ。ぬいぐるみってことにしといて」

「そんなクソ雑な感じでいいのか……?」

「ヘーキヘーキ。多分」


 多分て。

 まぁ、コイツがこういうなら何とかはなるのだろう。

 流石にぬいぐるみを頭にのっける痛い人になりたくないので、俺は魔法【ドロウ】で革製のショルダーバッグもどきを生み出し、その中にリコリスを忍ばせる。

 扉を身体で押し開け、俺は恐る恐る中へと足を踏み入れた。

 内側はリコリスが言った通り二重壁になっているようで、外と同じような城門と外壁が聳え立っている。様子が違うのは、その門と壁の近くに甲冑姿の兵士が何人か配備されていることだ。


「おや」


 俺が入り口をくぐると、近くにいた兵士の1人がこちらへ駆け寄ってきた。


「珍しいですね、おひとりで……。旅の方ですか?」

「あ、あぁ、そうです。旅をしてて……」

「入国及び滞在希望、という事ですかね?」

「ええと、はい。お願いします」

「承知しました」


 話を適当に合わせるのはそれなりに得意だ。兵士は特に疑いを持った様子もなく、城壁沿いに設置された小さな小屋に俺を通すと、少しガサついた紙と羽ペンを渡してくれる。


「お名前と職業、滞在理由と期間をご記入ください」


 入国審査のようなものなのだろうか。と軽くペンを持って気がつく。

 書かれている文字が日本語ではないのだ。英語とも少し違うようだが、とりあえず俺には読み取れない。


「ええと、……すんません、俺ちょっとこの文字書けないし読めなくて……」


 こういう時は素直になるのが1番。知らないもんは知らん、で通した方が話は早い。

 幸い兵士は「そうでしたか」と快く頷き、代筆しようとしてくれる。


「名前はフカザキコウ、職業は……なんだろ……旅人?」


 先の言葉と辻褄を合わせるためだが、そんなフリーターみたいな感じでいいのだろうか。若干後悔じみた気分になるが、兵士は咎めることも無くペンを走らせた。


「滞在理由は観光で、期間はー……特に決めてないです」


 かなり適当に答えているが、本当に大丈夫なのだろうか。一切文句を言われない事が逆に心配だ。

兵士はさらさらと書き綴っていたが、一通り書き終えたと見える辺りで


「所持している武器の開示をお願いします」


と言った。


「武器?」

「ええ」

「いや、持ってないですけど」

「持ってない……?」


 それまで淡々としていた兵士が、そこで初めて訝しげな声と共に顔を上げる。甲冑に隠れて表情はわからないが、今俺が失言したのだという事だけはよく分かった。


「道中、魔物の対処はどうなさっていたんですか?……おひとりですよね?」

「え?えーっと、……別に襲われてないっていうか……」

「襲われて無い……?失礼ですが、どこからいらっしゃったのですか?」

「へ?あ、それは、と、隣の街、から?」

「隣というのは、カースベルト?ルブラン?」

「か、カースベルト……」

「カースベルトからの道のりで、魔物に襲われなかったと?」


 ダメだ、適当を通そうとして完全に失敗ルートを辿っている。死ぬほど怪しまれているのを肌で感じる。

 恐らくどのルートを通っても、魔物に襲われないというのは本来あり得ない事なのだろう。魔物対策に武器を所持していないというのも、恐らくあり得ない。

 ということは、今疑われているのは下手な嘘をついて『武器を隠そうとしている』可能性を加味しているからだろうか。

 俺は肩にかけていた鞄を机の上に置き、


「あ、あの、マジで武器とかは持ってなくて。魔物からは隠れてやり過ごしてたんす」


 兵士が「拝見しても?」と鞄を持ち上げたのに対し、俺は何度も首を縦に動かす。

 どうせ中に入っているのはぬいぐるみのようなものひとつだけだ。見られて困ることはない。


「なるほど、……人形士の方でしたか」


 人形士?と首を傾けそうになって、俺は慌ててその動作を中止し、


「そ、そうですね。そう、そんな感じです」

「納得しました。人形士の中にはご自身の人形を武器と称される事を嫌う人もいると伺っています。大変失礼いたしました」

「いいえ!?とんでもない!」


 上手いこと誤魔化しきれそうな雰囲気に全速力で乗っかった。兵士はまた紙に何かを書き留めると、「こちらを」と言って一枚のカードを手渡してくれる。


「ようこそ、地図描き達の聖地、エルエへ。我々は知識と経験を持つ旅人、フカザキ様を歓迎いたします」

「あ、ありがとうございます……?」


 儀礼的な物なのだろうか。兵士は敬礼をしてそう言うと、俺に道を明け渡すようにして小屋の扉を開いた。彼に導かれるまま、俺は城門前へと立ち尽くす。


「開きますので、待っていてください」


 そうしてその場に取り残された俺に、鞄の中のリコリスが楽しそうに笑った。


「良かったね、何事も無く入れて」

「クッソ焦った……。おい、後でこの世界の常識ちゃんと教えてくれ」

「何だ。やっぱり君、この世界の人じゃ無いんじゃないか。セダイ出身なんて変だと思ったんだよね〜」

「よく聞いたら“ン”が抜けてね?!セダイじゃなくて仙台だよ!」


 けたけたと笑い声を立てる鞄を抱え、俺は徐々に開かれて行く城門の奥を見据える。


『地図描き達の聖地、エルエ』


 全く分からないことばかりだが、久しぶりに心が躍る感覚だ。

 このままこの夢が覚めなければ、俺はこのファンタジーな世界で魔法を使って好き勝手生きてやるのに。

 

 あんなクソつまんねー夢も希望もない世界、もう二度と戻りたくなんかない。

 

もう、二度と。


 心の中で首をもたげ、俺は深々とため息を吐き出すのだ。

 その様子を、小さな竜が面白おかしく眺めていることなど、知る由もなく。

 

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