010 私は思うより強くない

 ティアがトイレに行ったので、私はコミュニカをいじっていた。暇さえあればスマートフォンをいじる癖は、拘留期間を経ても変わっていない。


 ニュースアプリを見つけた。「ニュース見ていいんだ」と驚きつつ、アプリを開いてみる。


『速報 月城つきしろ花恋かれん被告に執行猶予付きの死刑判決』

『月城死刑囚 ドミューニョ部隊に入隊か』

『異例の判決 執行猶予付きの死刑とは』

『中継 月城花恋死刑囚が仮釈放』


 全身から体温が奪われていく。心臓がはち切れそうなほどに強く速く動いている。息苦しくなり、思わず胸に手を当てる。昨日の裁判中にむちたたかれたところがズキっと痛む。


 めまいがして気分が悪い。胃がムカムカしている。


 私は食事をそのままに、ティアが向かったトイレへと駆け込んだ。

 ティアはトイレを済ませて手を洗っていたが、そんなことを気にする余裕はない。一番手前の個室に入り、顔を便器に近づける。


「花恋⁉︎」


 呼びかけに答えられるはずもなく、えずく音と水に液体が落ちる音が響く。


「花恋、いかがなさいまして⁉︎」


 ドアをノックされるが、えずきが止まらず声が出せない。


「入りますわよ」


 鍵をかけていないドアが開き、ティアに私の無様な姿が目撃されてしまった。


「大丈夫ですの⁉︎」


 しゃがんだティアは私の背中をさする。


「ごめん……急に具合が悪くなっちゃって」

「お食事に何かよろしくないものが……?」

「ううん、コミュニカでニュース見たら――」

「ニュース……今のあなたには刺激が強すぎますわ。と、とにかく医務棟へ」

「いやっ、大丈夫」

「なぜですの」


 いつ他の誰かがトイレに入ってくるかわからない状況で、『体調を悪くして戦えなくなると死ぬ』ことなんて言えない。


「……部屋でちょっと休めば大丈夫だから」


 ティアは少し考えて「あなたがそう言うのでしたら」とうなずいた。


 数分、ここで吐き気が治まるまで様子を見てから、食べかけの昼食を返却して寮に戻った。






 胃腸炎でもないのに吐いたのは初めてだ。今までつらいことがあって涙は流しても、具合が悪くなることはなかった。

 ただニュースを見ただけなのに。文字を見ただけなのに。今日の朝までもっとひどいことをされてきたのに。


 そう思っていると、ティアがコップ一杯の水を持ってきてくれた。部屋に備えつけてあるウォーターサーバーの水である。


「お水に少しお湯を足して、ぬるま湯にしてみましたわ」

「あぁ……わざわざありがとう」


 コップを受け取り、一人用ソファに腰掛ける。一口飲む。ほんのり温かく体温くらいの水だった。


「せっかく基地の中を案内してもらう予定だったのに、ごめんね」

「構いませんわ」


 もう一つの一人用ソファにティアが座った。


「あたくし、安心しましたの。あなたが完璧な方ではないことに」

「えっ、私全然完璧じゃないよ? むしろ完璧だと思われてたの?」


「人間ということは、こちらに来て一からストレーガ語を学ばれたのでしょう? しかもあたくしが気づかないくらい流暢りゅうちょうで驚きましたわ。流暢になるくらい、こちらでの生活に慣れたのでしょうね。そして、この惨禍で人間が受けた理不尽はよく存じ上げておりますわ。その中での昨日の判決は、あなたのひらめきがあってこそですわ。今日あたくしとお会いした際は、壮絶な過去を感じさせないほど穏やかで、あたくしとの秘密は守っていただきましたし、メケイラ教官からは『初めてにしては身のこなしがいい』とお褒めを受けておりましたし、先程昼食を召し上がった際にも、あたくしの野望を具体的なものに変えてくださいましたわ。そんな強い精神力をお持ちになっている完璧超人なんて、お一人しかいらっしゃいませんの」


 長台詞を話しきると、満足そうにニンマリするティア。


「すっごい褒めてくれてありがとう。でもさっき、私が完璧な人じゃなくて安心したって……」


「ええそうですわ。そんな完璧なあなたの相棒パートナーということは、あたくしも完璧でないといけないと考えておりましたわ。ですけれど、あなたにも弱いところがおありになるとわかりまして、あたくしが完璧でいなくてもよいと安心したのですわ」


 つまり……ティアは私を完璧超人だと思ってて、そんな人の相棒パートナーなんて務まるのかと考えてたってこと?

 だけど、私がニュース見て具合悪くなったことで、「ちゃんと私にも弱い部分あったんだ」って安心してるってことかな?


 待って待って待って、色々言いたい。


「いやいや、私は完璧じゃないし超人でもない。だからもちろんティアも完璧を目指さなくていいんだよ? むしろ私の方が、ティアの足を引っ張らないか不安だから」

「それを仰るのであれば、あたくしは部隊の落ちこぼれですわよ? あたくしの方が不安ですわ」


 このままだと自虐合戦になりそう……。


「とにかく、お互いがお互いのために頑張る。それでいいでしょ?」

「……そのとおりですわね」


 ふふっと私たちは笑い合う。

 まだ一緒に戦ったことはないが、どこかティアとならできそうな気がしてきた。






 ティアからの褒め言葉で体調が回復したので、午後は基地全体をまわってみた。


 本部研究棟の、一階には先ほどの食堂と購買が、五階にはゲームセンターがあると知った。


 そして基地内には基地公園という場所があり、そこにはたくさんの商業施設が並んでいた。軍の施設とは思えない充実さである。

 中には可愛くておしゃれな服屋も見つけた。お金がないので眺めるだけにしたが、給料がもらえたら買ってみたいものだらけである。


 すると、


「これ、あなたに買ってあげるわ」


 ティアが手に持っていたのは、ネグリジェとナイトキャップだった。


「えぇっ、いいよ悪いって!」

「だってあなた、Tシャツ一枚とジーンズだけでしたもの」

「別にあの格好でも寝れるから大丈夫――」


 ティアの人差し指が私の唇に触れる。


「今日だけで色々あなたにしていただいた感謝の印ですわ。受け取りなさい」


 そう言われてしまえば、もう言い返せる言葉はない。


「わかった、ありがとう」


 素直にプレゼントをいただくことにした。

 夜になってそのナイトキャップとネグリジェが、ティアとおそろいだとわかって叫んだのは、また別の話である。

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