『赫』の鬼

 二人は左腕の鎖を辿って歩を進め、その根元へと辿り着いた。


 その鎖の先は異質な世界だった。

 赤黒く、混沌が渦巻く空間。


 来人の真っ白で清潔な器の世界の中に、一か所だけ異質な、血溜まりの様な混沌の世界が広がっていた。

 そして、その赤黒い混沌の中に、一つだけ泡が浮かんでいた。

 来人の左腕の鎖は、その泡に繋がっている。

 

「なんだこれ……」

「この色、鬼の核みたいだ」


 赤黒い混沌、それはまるで鬼の核の様。


「鬼に殺されたから、ここもこうなってしまったのかな」

「酷いな……」


 テイテイも苦虫を嚙み潰したように、眉間に皺を寄せる。


「この泡って――」

「ああ、あの時の記憶だ」

 

 あの時――つまり、秋斗が殺された時の記憶。


「ねえ、テイテイ君。この記憶を、一緒に見てくれない?」

「どうしてだ? 辛い思い出だ、わざわざ思い出さなくてもいい」

「秋斗を殺した鬼の姿を、ちゃんと見ておきたい。もし次に出会った時に、殺せる様に」


 秋斗の仇は、まだ生きている。

 そして、今来人とテイテイにはその鬼に対抗できる力がある。

 もう、無力な子供じゃない。


「……分かった。行くぞ」

「うん」


 二人は鎖を辿り、赤黒い混沌の血溜まりを踏み越えて、泡の元へ。

 そして、同時にその泡に触れる。


 すると、泡は弾けて、同時に二人の頭の中に、記憶のビジョンが流れ込んでくる――。


 

 死んだ。

 目の前で、親友が死んだ。

 殺されたのだ。


 十歳の頃の、幼き日の思い出だ。

 天野来人あまの らいと、イェン・テイテイ、木島秋斗きじま あきとの幼馴染で親友同士の三人は、来人の両親に連れられて旅行に来ていた。


 父のおかげで裕福な家で育った来人にとって、旅行へ行くのは毎年恒例の事だった。

 それらはどれも来人にとって最高の思い出、宝物だ。

 今年の旅行も、そうなるだろうと期待に胸を膨らませていた。

 

 しかし、今年の旅行は違った。

 最高の思い出となるはずだったその旅行は、最悪の思い出となってしまった。

 

 三人は親と世話係のメイドたちとはぐれて、異界へと迷い込んでしまったのだ。

 そして、鬼と出会った。


 赤黒い血で塗りたくった様な混沌色の甲殻に覆われた、つるりとした頭の異形の怪物。

 二本の足で自立している人型だが、それは人間などでは決して無い。


 それは父来神が追っていた、上位個体。

 ここに居るはずの無かった、最強の鬼の一角。

 

 ――『あか』の鬼。


 それが、秋斗を殺した鬼の正体だ。


 鬼に追いかけられた三人は、必至で逃げた。

 捕まれば、殺される。

 それでも、子供の足では逃げるのにも限界が有る。

 

 ただ、運が悪かった。

 たまたまその中で最初に標的になったのが、秋斗だった。

 親友の秋斗は、鬼によって殺された。

 

 幸い、来人とテイテイの二人にも鬼の手が掛かる前に助けは来た。

 神である父、来神が割って入った事で、その鬼は分が悪いと判断したのかその場を退しりぞいた。

 来人は無傷で、テイテイも額に傷を負っただけだ。


 雨が降る。

 強く激しい、土砂降りの雨。


 来人は血で赤く染まった、秋斗の身体へと手を伸ばす。

 冷たい。

 それは決して、雨水に濡れているからではないだろう。

 秋斗はもう、動かない。


 来人の傍に、テイテイは立ち尽くす。

 何も出来なかった。

 親友を守れなかった。

 幼いながらも、その無力感に襲われる。


 鬼のよって命を刈り取られた秋斗の肉体は、端から炭の様に黒く変色し、ボロボロと崩れ落ちて行く。

 肉体が全て黒い炭と成り消え去ると、からんと音を立てて、秋斗が首に掛けていた鎖に繋がれた十字架――絆の三十字さんじゅうじが地面に落ちる。

 

 来人とテイテイの首にも同じ形状のアクセサリーが掛けられている、三本で一つの十字架。

 いつだったかの旅行で露店の土産物屋で買った物で、三人はそれを“友情の証”として肌身離さずいつも身に着けていた。


 来人は地に落ちた秋斗の十字架を拾い上げ、胸に抱きしめる。

 それは唯一炭にならずに残った、秋斗の形見だった――。



 記憶のビジョンは、そこで終わっていた。

 

 ビジョンを見終えた来人の額には脂汗が浮かぶ。

 しかし、もう涙を流す事は無い。

 隣のテイテイへ、精一杯の強がりで笑って見せた。

 

 少しずつ、景色がぼやけて行き、夢の世界から醒めて行く。

 

 改めて秋斗の仇の姿を胸に刻み、来人は決意を新たにした。

 『あか』の鬼――奴を、殺す。

 

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