兼業農家・吉見虎治郎の話

 お前ら、悪魔はいると思うか?

 俺は神も悪魔も信じない……いても、俺たち人類が思い描くようなものではないかもしれない。

 ただ……悪魔に弄ばれたような不運な奴を知ってる。そいつの話だ。


 俺は東京にいた頃バンドをやっていた。

 ギター馬鹿だった俺に声を掛けてくれた二人組がいて、三人で活動してた。

 ボーカルのLと、作詞作曲のP。Lは声と顔を見込まれ、それまで楽譜の読み方も知らなかったのをPが音楽の世界に引き込んだとか。

Pは色んな楽器を弾けたが、ステージでは決して前に出ようとしなかった。

 二人とも親切にしてくれて、まあ仲は良かったと思うぜ。あんな事になるまでは……。


 俺たちが世話になったライブハウスには「物置に出る」と噂があった。出入りするバンドの荷物置き場も兼ねていたが、誰も気にしちゃいなかった。劇場には亡霊の一人や二人いるくらいが箔が付くってもんだろ。

 ある冬の日、ステージを終えて撤収するときボーカルのLだけ忘れ物をして引き返したんだ。荷物置き場へ。

 Pと俺は先に帰った。


 それからLと連絡が途絶えた。次のライブも迫っているのに歌を合わせられないと困る。

 心配で、合鍵を持ってるPが様子を見に行った。

 Pの話によるとLは体調を崩して、会話もメールも出来ないほど苦しんでいた……。

 Lはたまに断片的な歌とも唸り声ともつかない声をあげた。あるいは不気味な譫言だ。

 「悪魔が……悪魔が……」って。


 とうとう揃って練習できないままライブ当日となった。Lは自分では全快してステージで歌えると言い張ったが遅刻しちまって、急遽ほかのバンドに順番を代わってもらった。


 俺たちの代わりに出たバンドが、出番の最後に新曲を発表した。

 舞台袖で聴いていたが、Lの顔が見る見る青ざめていく。何か呟いていたがステージの爆音に掻き消された。

 かろうじて聞き取れたのは

「同じだ……悪魔め……!」


 彼らが引き上げてきたとき……

「このパクリ野郎!」

 あろうことか、Lが掴みかかろうとした!

 Pは止めに入るが、そのままLと揉み合って段差を踏み外した。そのとき機材が倒れてPは下敷きになっちまった。

 血塗れの両手を見て……そのあとしばらく、俺の記憶がないんだ。Pが楽器を弾けなくなるのがショックだった。


 他に怪我人が出なかったらしいのが不幸中の幸いだ。後で向こうのバンドに詫びに行ったとき「事故に驚いて何を言われたか覚えてない。お大事に」なんて気遣われちまった。


 療養中のPに請われてLが事情を話すとき、俺も一緒にいた。

「信じられない話だろうけど……ライブハウスに忘れ物をしたあの日、疲れのせいか荷物置き場で眠ってしまったんだ。夢の中で悪魔の歌う歌を聴いた。

 それをアレンジして新曲にしたかったが、ボクは楽器が弾けないし楽譜も書けない。歌って録音しようにも、喉の痛みが酷くて声が出なかった。

 喉が治るまで覚えておく以外に、頭の中にあるメロディを残す方法が無かったんだ!

 やっと治ったら、あいつらが……偶然なのは分かってた……なのに自分を抑えられなくて……」


 Pは、うん、うんと頷きながら聞いていた。

「それで寝込んでいながら歌おうとしていたんだね……察するに余りある苦しみだ! それが偶然あのバンドの新曲に似ていたってわけか」

 Lに対して文句の一つも言いたいはずが、そんな素振りも見せないのが却って怖かったな。


 俺は天井を見上げてボヤいた。

「現実は厳しいな。アイディアは先に形にしたもの勝ちだもんなぁ」

 Lは怒りに声を震わせた。

「お前がそれを言うのか! ライブ当日の朝、お前のスマホに音声データを送ったんだぞ」


 あの朝、俺は確かに添付ファイル付きのメールを受信していた。移動中でファイルを開く間がなかったし、あの件以降は見ようとする気になれなかった。

 Lにしてみれば、自作の曲をあのバンドの歌より先に聞く奴が、この世に一人だけでもL自身の他にいてほしかっただろう。

 時既に遅く、そうしなかったことに胸が痛んだ。

 俺はLの音声データを再生した。


 ごく一部しか詞のついていないメロディを、ルルルーとかラララーとかで声で表したものだが、べつにあの曲に似ているとは感じなかった。

 神妙に聞き入っているPに言えなかったが……似ていると思い込むこと自体が、奇妙で薄気味悪かった。

 ひょっとすると、病み上がりの喉では表現しきれない部分をPが長年の相棒スキルで補完すればやっぱり似ていたのかもな。

「何で俺じゃないんだ」

 Pがボソっと呟いた。


 バンドは解散した。

 Lの頭の中にあった楽曲が本当はどんなふうだったのか、とうとう分からず終いだ。

 Pの手に障害が残ってしまったと知ったのが、Lと連絡した最後だ。


 俺は音楽は好きだが、有名になろう、なろうとギラギラしている人たちの間で世渡りするのには向いてないと気づいた。

 それで結局、地元で就職することにした。休日は実家の田圃を手伝ったり、地域のイベントでギターを弾いたりしてるんだ。

 あの頃のことは、ライブハウスの魔物にでも魅入られていたみたいな気がする。


 PはVTuberとして音楽をメインに活動しているのを最近知った。自分の手で楽器を弾くことに未練もあるかもしれないが、ひとまず思い通りになるガワと声を手に入れた訳だ。

 Lがどうしているかは分からない。



(続く)









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