元メイド・鍋島志麻子の話
ご紹介に預かりました、鍋島志麻子と申します。
いまの旦那様のお祖父様にあたる大旦那様のころから大変お世話になり、メイドを引退してからも大奥様にお茶のお稽古をしていただきました。
これからお話しするのは、怖くはありませんが、不思議なお話です。
皆さま、どこかでこんな言い伝えを聞いたことはありませんか。
「猫は天寿を全うするとき、決して人間に姿を見せない」
なるほど、猫の誇り高いイメージに合っておりますね。猫を失った人間の切ない幻想かもしれません。
しかし私はこの説とは少し違った意見を持っております。
大奥様の歴代の飼い猫のほとんどは、大奥様に見守られて虹の橋を渡りました。
思うに、最も安らぎを感じられる場所からこの世を旅立って行こうとするのではないでしょうか。
哀れにも事故に遭う猫もいるかと思えば、愛情を注いでも最期の居場所に選ばれない飼い主もおりますね。
野良猫との争いとか、じつは他所でも可愛がられているとか、災害に弱い地域を本能的に見抜いたとか……理由はさまざまでしょう。
昨今は猫を外に出さない方も多いですから、こうした言い伝えも忘れられていくかもしれません。
さて、大奥様の猫のなかで最も思い出深いのは白猫のミーちゃんです。
そのころ私はお茶のお稽古の時だけお屋敷に通っておりました。今あるのとは別の古いお茶室です。
ミーちゃんは大奥様のそばにいつもいて、お稽古の間は廊下の陽だまりで香箱を組んでおりました。お手手を胸の下にないないして、前から見ると小さな雪だるまのようでした。
ある雨の日にお稽古の後、大奥様は
「ミーちゃんがうちの何処にもいないの」
と仰いました。
「旅に出るのは初めてではないし、また二、三日で帰って来ればいいけれど……あの子ももう歳だから心配だわ」
そこでポタリ、と床に水滴の跡がつきました。
「奥様、泣かないでくださいまし。ミーちゃんはきっと帰って来ますよ」
「あら、私泣いてなくてよ。……まあ、雨漏りだわ」
そのときは、見かけたらお知らせします、と申し上げて帰りました。
お稽古は週に一度で、次のときも「まだ帰ってこないのよ」と聞きました。
しかし、お稽古の途中で、ミーちゃんは突然現れました。
猫間障子のガラス越しに見つけた大奥様が喜んで開けると飛び込んで来ました。
お茶室を横切り、畳に置いた空のうつわをひっくり返して駆け回り、ギャァーオ、と聞いたこともない猛々しい声で鳴いてまた出てゆきました。
あの穏やかなミーちゃんとは信じられませんでしたが、大奥様が追いかけてゆくので私も後を追いました。
ミーちゃんは足を止めていましたが、大奥様が近づくとまた逃げます。
まるで私たちを何処かへ案内しようとするみたいに、振り返っては待ち……相変わらず顔つきは険しく、猛獣さながらに荒い声を上げます。
「可愛いミーちゃん、一体どうしちゃったのよ?」
陽だまりのところに来ると、ミーちゃんはふいに、ごろんと寝転びました。さっきまでの獣の形相はどこへやら、お餅のような身体を捻り、お腹を空に向けて瞳はこちらを見つめています。
「そう、その場所がいいのね。久しぶりに撫でてほしいのね」
大奥様はいそいそと駆け寄って、猫を撫で始めました。
すると、グラッ! と大きな揺れが来ました。続いて茅葺き屋根がドドドド……ッと崩れました。
あのままお茶室にいたらどうなっていたことか!
ミーちゃんのおかげで命拾いしたのです。
もしかしたら、大奥様を助けるために戻ってきたのかもしれません。
ミーちゃんはそれからは大奥様から片時も離れずに過ごし、ひと月ほどすると穏やかに息を引き取りました。
新しいお茶室はのちに大奥様が建てたものです。ミーちゃんが夏にはよく木陰で涼んでいた楓の木のそばに……それが大奥様のご希望でした。
ちなみに待合は、ミーちゃんよりもう少し長生きした縞斑の猫のお気に入りの場所にあたります。
では、この辺りで。
* * *
鍋島さんはランタンを持たずに縁側に出る。まだ真っ暗という時間でもないが、みな心配そうだ。
「平気ですよ。勝手知ったるお茶室までの道ですもの。それにこの歳で、重いものを持ちたくありませんので」
そう言われては無理強いできない。
渡辺さんがサッと立ち上がり、縁側を下りるときに手を貸した。
入れ替わるように
「失礼致します」
柔らかな声がして廊下側の襖が開き、二人の女性が入ってきた。一人は受付を担当していた甘ロリ「あっちゃん」だ。
もう一人は長身にスーツ姿で女子校の王子様のような雰囲気。
彼女らは、お菓子や飲み物を乗せたお盆を部屋に運び入れた。
(続く)
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