元議員・平坂昇氏の話
皆様、今晩は。
初めてお目に掛かる方、初めまして。
昨年度まで市議会議員を勤めさせていただきました平坂昇と申します。
私が子供だった昭和の半ばごろ、やんちゃな悪ガキで、今どきのお父さんお母さんには考えられないような危ない遊びもしたもんです。
岩永邸の庭に忍び込んだことがありまして、その時の話です。
「探検ごっこしようぜ! 岩永のお屋敷に忍び込むぞ」
ガキ大将で、いつもなら一声かければ皆ついてきたんです。けどそのときは、そりゃいくらなんでも無茶だよ、と言われて
「へーんだ! みんな腰抜けばっかりだ」
なんて捨て台詞を吐いて一人で行くことにしました。
山奥だから、塀の外にも中にも大きな木がある。外と中で丁度よく木の枝が重なり合っている所を狙う算段でした。
塀より高い木に意気揚々と登りはじめました。あの枝を伝って、塀の内側から出ているそっちの木の枝に……と思いながらどんどん行くも、上へ行くほど、思った以上に、木は幹ごと撓って揺れます。
それでも不安も疲れも振り払い、あと少し、あと少しと頑張って目当ての横枝に取り付きました。
そこから向こう側の木の横枝に移り、幹を下りていけば塀の中に入れる筈です。
しかし……考えが甘かった。
自分の重みで枝が揺れてなかなか思うように向こうの枝を掴めない。
やっと掴んで、飛び移った!
さあ、この枝を辿って壁を越えよう……と思ったところ、ミシミシッと音がした。
早く木を下りてゆかないと拙い。
けど、なんてこった! いま掴まっている枝の元のほうにビーッシリと茸が生えてた! 枝が腐ってたんだ!
バサバサバサーッと物凄い葉擦れの音と、枝がバキバキ折れる音がいっぺんに聞こえて、もう頭が割れるようだった!
気づいたときは全身が痛くて仕方なかった。けれど、目を開けても自分がどこにいるのかさっぱり分からない……その不安さが上回ったからか、いつのまにか痛みを忘れていました。
お屋敷らしいものが何も見当たらんから、塀の外だろうな……。
かと言って周りの景色にも見覚えが全くない。ただただ暗い森ばかり……というより、暗くてよく見えんけど森のはずだ……とその時は思ってました。
もう帰りたいが、どこへ行きゃ知ってる所に出られるのやら……心細いし、腹も減った。
そこに、声をかけてくれた人がいた。
知らないお婆さんだが何故か懐かしい。
「坊や、迷子かい? お腹がすいたろ。これをどうぞ」
お婆さんが柘榴の実を1つくれようとするのを、つい受け取った。その親切に甘えて、帰りの道も聞いてみることにした。
「ありがと! おいら、麓の村から来たんだ。どこへ行けば良いのかな?」
お婆さんはニッコリ笑って、指差した。
「ありがとう! これで帰れるよ!」
と言って、その方向へ喜び勇んで駆け出した。
知らない人から食べ物をもらってはいかん、と言われたことはある。
けどそのときは気遣ってくれる人がいるのが嬉しかったし、食べ物があることも心強かった。
柘榴の実はそのためのお守りみたいなもんで、すぐ食べないで、家に着いた時か、或いはいよいよ耐えきれなくなるまでとっておくつもりでした。
ただ……ほんの少ーし薄気味悪い感じがしました。周りの何もかも……手の中の柘榴も、懐かしいお婆さんだってそうだ。
行けども行けども、家どころか道の分かるところに出ない。
やがて怖しい疑念が湧いた。婆さんが指差したのは、本当に村への道だったのか……?
ふいに足がふらついて、柘榴の実を落としそうになった。
もう食べないと倒れちまいそうだ。食べよう……としたら、突然知らない爺さんが飛び出してきて、俺に怒鳴りつけた。
「食べてはいかん!!」
俺がビックリしてると、爺さんは柘榴の実を奪った。
「何をするだーっ! 返せ!」
俺は飛びかかろうとした。
すると「ガバッ」と音がして目が覚めた。ふかふかのベッドの上にいて、掴み掛かろうとする手の形もそのままに、上半身を起こしていた。
俺がいるのは岩永邸の一室で、介抱してくれたのは当時メイドとして働いていた、宮尾志麻子さん。こちらのご婦人、鍋島志麻子さんの旧姓です。命の恩人だ!
見つけて運んでくださったのは当時の旦那様と庭師さんです。
「いつか本当に命を賭ける目標ができるまでは、身体を大事にするもんだ」
と諭されました。
潜入成功とは到底言えませんが、岩永邸に入ったことは確かでした。
本館といってもここではなく、当時の本館……いまは旧館と呼ばれてる煉瓦造りの洋館のほうです。
帰りに、岩永家代々の肖像画やら写真やらが壁にずらりと飾られているところを通ったら、あの柘榴を取り上げた爺さんにそっくりな写真もありました。
のちに中学の図書館で神話の本を読んでいると、死の世界で食べ物を食べた人は地上に戻れない……という話が出てきた。
あのときの柘榴のことを思い出して、ゾーッとしました。
けど、あの婆さんのことも悪い人とは思えなかった……。
もっと後になって、俺は赤ん坊のころに親戚から養子にもらわれた子で、実の母方の祖母は俺が幼いころ亡くなったと聞きました。
あのころ育ての親と喧嘩ばかりしていた俺を心配して、怪我のついでに連れて行こうとしたのかな……。
今の俺があるのは周りの人たちのおかげだと、つくづく思いますよ。
ご清聴ありがとうございました。
* * *
鍋島志麻子さんは、さっきお茶室につくばいから入ろうとした小柄な年配の女性だ。
「命の恩人」と言われたとき照れ臭そうに笑って軽く頭を下げていた。
平坂氏は、話終わると予備のランタンで明かりを消しに部屋を出た。
(続く)
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