はじめに 岩永邸本館

 百物語を始める日没までまだ時間がある。


 怪談を語り合い、灯りを一つ残して日が昇るとき終了。

 このイベントでは、後は帰りのバスの発車時刻まで休息をかねた自由時間。食堂が開いている時間帯は軽食を摂ることができる……という段取りだ。


「まずは明るいうちに道順を確かめておきましょう」


 百物語会に集まった一同が主催の岩永氏に注目する。参加者とスタッフを合わせると、だいたい20人ほどか。

 バスに乗ってきた私を含め5人はほんの一部にすぎなかった。

 「3つの部屋を使う」という点は本式に近いがかなり略式で、服装も自由だ。


「こちらの和洋折衷の本館のなかに、食堂と、私たちが怪談を語る和室、疲れてしまった方の仮眠室がございます。この建物ではお手洗いも浴室も自由にお使いになれます。


 遊歩道を行って帰るころには食堂の支度が整いますので、そしたら……夕食には少し早いですが、百物語を始める前に腹ごしらえといきましょう」


 高原といえど西日のあたる屋外はやや蒸し暑い。

 右手にみえる池にはたくさんの蓮の葉が浮かび、花も盛りの季節を迎えようとしている。

 この池のほとりの遊歩道を、私たちはゆっくり歩く。日常を忘れさせる風流な景色に嘆息しながら。

 

 やがて小さな小屋にたどり着く。

 茅葺き屋根と木の柱と土壁からなる、田舎のバス停のような形。竹の腰掛けが作りつけられている。

「これは『待合』です。向こうの茶室でお茶の席が設けられたとき、お客様が入室まで待つところです」

 腰掛けの上に手鏡が伏せて置かれている。これは百物語の小道具だ。茶道のではなく。


「この百物語会では、茶室に入る前ではなく出てきてから『待合』に寄ってもらいます。

 茶室で明かりを一つ消して戻ってくるときに、手鏡でしっかりとご自分の顔をみて、また鏡を元のように置いてください」

 

 いまは平気でも暗くなれば怖いだろう。明かりを消すほかにも課題がある、と気を引き締める。


 ほどなくして茶室に着く。楓と椿が周りに植えられ、滴るような緑が目にも涼やかだ。秋の紅葉や、椿の花咲く時期もさぞ美しいだろう。


「お茶会ならこちらの『つくばい』から入るのが正式ですが、今回は玄関からでもどちらでも良いです」


 岩永氏は玄関も障子も開けて入室を促した。大人数なのでほとんどは玄関から入る。

つくばいから入ってみたくて、先にそこを通った年配の女性の真似をした。

 部屋の中央には、低いテーブルの上に百の小さな炎が妖しく揺らめく……と言いたいところだが炎ではなく、蝋燭を模した電池式の灯りだった。

「安全のため、火のついた灯芯を並べるのはさすがに無理でした。このスイッチをこう、OFFにしてください」

 岩永氏は偽ロウソクを一つ消してみせ、また点けて戻す。


「しかし雰囲気はなかなかだと思いますよ。どうぞこちらに来てご覧ください」

 壊れかけた非日常的な気分はすぐに取り戻される。

「ああ……これは……」

「なんて儚げな……」

 口々に驚きの声があがる理由は、床の間にかけられた一幅の絵であった。

 墨で描かれた、夭逝した乙女の幽霊画だ。縦長の和紙の下のほうには彼女の遺体が横たわり、穏やかな死顔のように見えた。

 茶室を出た一行は、心もち口数が少ない。


 池とは反対側の山の斜面をふと見上げると、小さな祠がある。

 昔からの家にはたまにあるものだ。

 どんな由来があるのか知りたい気もするが、それより可憐にして凄絶な幽霊画の余韻に浸っていたかった。


 本館に戻る道は西日に向かうことになる。

 同じ道でも行きと帰りで印象が違う。

 池の向こう側には草木が生い茂り、何があるのかよくわからない。


 とても素敵なところ。ただ一つ、岩永という名には苦い記憶があった。もちろん主催者のせいでも日本全国にいる同姓の人々のせいでもない。

 私の知っている岩永くんも、きっと悪い人ではなかったのに……。


 私たちは本館前に戻ってきた。

「さあ、夕食のあとはいよいよ百物語の始まりです!」

 みんな次々と玄関に入ったゆく。


 私は本館の横から後ろに続いている薔薇の花壇とその果てにある古びた洋館に気を引かれた。壁に立ち入り禁止テープが張られている。

 玄関が込みあう少しの間、見に行ってみよう。薔薇はみずみずしく、色彩も品種もさまざま。眺めながら知らぬ間に洋館に近づいていた。


「君! どこへ行くんだ!」

 岩永氏だ。別人のように厳しい口調。

「ごめんなさい。薔薇の花があんまり綺麗だったので」

 岩永氏は申し訳なさそうな顔をした。

「……それは光栄です。しかしあの洋館は老朽化がひどく、解体業者が入る前に崩れてもおかしくない有様です。近づくのはどうかおやめください」

「はい。失礼致しました」


 私は立ち入り禁止テープよりかなり手前にいた。怒られるのも理不尽に思えたが、それだけ来客が事故に巻き込まれることを恐れているのだろう。 

 渡辺克雄氏が扉を押さえて、岩永氏と私を待っていてくれた。


 欧州のお城のような食堂で夕食を摂りながら、主催者の挨拶を聞いた。

 受付の近くで議員さんと話していたのと大体同じだが、「甥」というところで渡辺さんのほうを見ると「違う、俺のイトコさ」と小声で返事があった。


  *  *  *


 食後、和室に移動した。

 履き物も持ってゆく。灯りを消しにゆくときは、縁側から下りるのだ。


「堅苦しいことは抜きにして、語りましょう。足をくずしても、お互いタメ口でも大丈夫。壁際に置いてる椅子も自由にお使いください。

 3つの注意点があります。

 1つ、何が怖いかは人それぞれ。

 2つ、他の人と似た話や、同じ話の別バージョンでも良い。

 3つ、話してくれた人に感謝を。

 あ、そうだ。これは招待状に書かなかったけれど……4つめ。

 ……祠に近づかないでくださいね」


 あれか、と思った。

 古い洋館のことは言わなくていいのか、とも思った。

 寛いでいた空気がしん、と静まる。


「何か、そこだけ曰くありげですね……」

 バンドマンのような銀髪の男性が一同を代弁した。岩永氏は笑って否定する。

「いやいや、たんに物理的な安全上の理由だよ。石段が崩れかけて、昇り降りにコツがいる。慣れない人を歩かせられないよ。しかもそこだけ立ち入り禁止テープが藪に隠れて見えづらい。

 でもそう思うならそういう事にしとく?」


「……物理的なアレでいいです」


 銀髪のお兄さんは意外に気弱そうだ。

 洋館と違う扱いになるのも納得ゆく理由があった。


「では、まずは主催のから話すとしようか。僕が百物語をやりたいと思うようになったきっかけの一つでもある出来事だ」



(続く)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る