09.殺人事件の続きは異世界で

 左手に万年筆、右手に弟の足を持った親友を見ながら、気を取り直して前に進む。僕たちは、帰り道ですらおしゃべり三昧だった。思い返せば講義以外は彼女から離れられそうも無かった。




 今日も今日とて平和だった。

 親友のとびきりの笑顔も見れたし、家に帰ったら母親のおいしい夕食が待っている。何て言ったって、今日は僕の誕生日なんだ。

 父親にはまた「夜遅くまでどこにいっていたんだ」とか言われるだろう。それもまた、一興だ。


 明日も学校に行き、つまらない魔法学の講義を受ける。放課後までルミと教室に残って、魔法学の愚痴を言いあって。

 夕暮れはロスト山に行くだろう。異物が見つかったり見つからなかったり。どちらでも、ルミと一緒なら楽しいに違いない。


 最愛の家族と、親友。

 それが、僕の青春だ。


 僕たちの青春はこのまま続いていく。

 それが、モニ・アオストとしての最上級の幸せだった。


 その幸せは、永遠に続くと信じていた。



「んん…あれ、どこだここ」

「やっとおきたか、オル。自分で歩け」

「ご、ごめん、お姉ちゃん…」



 ラ―シーと別れてから、少しだけ歩いた時だった。オルは目覚め、ゆっくりと立ち上がった。その様子をルミは呆れ顔で見る。

 ルミの光魔法のみで歩いている僕たちは、オルがこちらによってくるのを待った。この姉は少しだけ弟に厳しすぎる気もするが、僕には関係ないので放っておいた。

 彼は、僕たちが待っている事に気が付いて走り出した。しかしすぐにバランスを崩して地面に躓いてしまった。



「っち、どんくさいなぁ」

「まあまあ、オル、立てる?」

「ありがとう…モニちゃん」



 僕はオルに右手を差し出した。彼は目を大きく開けて、喜びに満ちた表情で僕を見つめた。うっと僕は思わず顔を背けるが、咳払いでごまかす。


ーーこいつ、僕に気があるんだよなぁ



 余談だが、僕はオルに告白されたことがある。彼の熱い眼差しは、僕にはきつすぎた。なんというか、背中がぞわぞわする。

 第一、僕が好きなのは未だに女の子だ。転生しても、性自認は男である。男であるからこそ、ここまで美少女に成れたとも言える。

 きっぱりと断ってから、僕たちの間には絶妙な雰囲気が流れていた。


 オルは、ゆっくりと僕の手を握り返した。そのまま、手を頼りに立ち上がった。



ーーあれ



 妙な違和感だった。彼の手のひらから、変な感覚がした。ぬるりとすべるような、べちゃりと湿ったような。まるで、水に浸っていたかのようだった。



 僕の彼に対する苦手意識の比喩表現ではない。今も、僕の右手は濡れている。地面に手を付けて汚れただけだろう。気にすることもない。僕はそのままルミの方に振り返り、一歩踏み出した。



 しかし、思考は正常ではなかった。立ち止まり、再び右手を見る。


 僕は、この感触を知っていた。それが何を意味するかも、この暗闇に何が潜んでいるかも、察しのいい僕には気が付いてしまった。だけど、受け入れたくなかった。




「モニちゃん?」



 一瞬、僕は自分が呼吸をしていないことに気が付かなかった。立ち上がったオルが、様子が急変した僕に心配の声を掛けていたことさえ、気が付かなかった。動かない僕に、ルミも話しかけていた。

 僕は目を見開いて、右手を凝視していた。



「ルミ、光で照らして?」

「え?」

「早く!」



 首をかしげながら、ルミは僕の右手に指を向ける。ぱっと光に照らさ、目がちかちかとする。だけども、僕は瞬きすらしなかった。

 その光景に、僕達は息をのんだ。手を大きく開き、口を震わせる。まるで、急に冬になったかのように、背筋が凍えていた。


 僕とオルの手のひらは、真っ赤に染まっていた。



ーー馬鹿な



 血だ。

 これは、間違いなく血だ。思わず咽せ返る吐き気を催すが、それよりも先に気になることがある。地面に手を付いたオルの手が、血だらけになっているということはーー



「ルミ。地面!」

「お、おう」




 僕の気迫の迫った様子に驚いたルミは、慌てた指先を動かす。彼女の指先から発せられた光が地面に落ちると、そこには恐怖が描かれていた。



 赤、赤、赤。

 僕は、生まれてこの方、ここまで真っ赤な地面を見たことがない。赤い絵の具の入ったバケツをひっくり返しても、ここまで広がらない。

 それが全て血だということは、すぐにわかった。声にならない悲鳴をあげ、思わず尻もちをついた。スカートも、手のひらも、ねっとりとした血液がまとわりついて不愉快だった。


 血の海が広がり、その中央には人の形をした塊が横たわっていた。


 暗闇に紛れて気付かなかっただけで、人間の死体に足をひっかけてオルは転んだのだ。



「き、きゃぁぁぁぁぁぁ」



 普段の男勝りな彼女からは想像つかないほど、乙女らしい悲鳴がルミの口から飛び出した。



 だが、僕はその死体にも、血にも、親友の姿も視界に入っていなかった。

 ただ、一点。僕の目線は、死体の胸部に釘付けになっていた。


 

 死体の胸部に突き刺さっている『それ』だけを見ていた。



 2015年に起きた、連続殺人事件。死因は決まって胸部の刺殺だった。8年後の2023年に起きた、遺児たちを集めた雪山山荘殺人事件もまた、同じ凶器によって引き起こされた。



「嘘だ」



 僕は、二度の殺人事件に立ち会っている。両方とも、この目で凶器を目にしていた。



 この死体を、僕は見たことがある。



 目立つほど鮮やかな、赤色の柄をもつ包丁。金色の刺繡が施されていて、文字が書かれている。刃渡り二十センチメートルほどで厚みは二ミリほどで、その全長が胸部に深く突き刺さっていた。




「嘘だ」




 僕たちの青春はこのまま続いていくと信じていた。

 それが、モニ・アオストとしての最高の幸せだった。

 それだけで、充分だったんだ。



 魔暦593年07月01日20時01分。

 事件の火蓋は再び切って落とされた。

 捨て去ったはずの前世は、最悪の形で蘇った。赤色の柄を持つ包丁による殺人は、殺人鬼の転生を意味していた。





 日常も、青春も、この次点で終わりを告げた。



 殺人事件の続きは異世界で始まる。

 呪いは終わらない。

 殺人鬼が、ヘルト村にいる。

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