04.アイデンティティがない4

【魔暦580年07月01日06時55分】



 今から、四百四十三万五百八十年前。

 馬小屋で、後に神の子と呼ばれる子供が生まれた。彼は、未知の力を使い、数々の奇跡を起こした。人々は彼が使う奇跡を魔法と名付け、彼が最初に魔法を使った日を紀元01年01月01日とした。

 それが、魔暦。一万年毎にリセットされるそれは、既に四百四十三回繰り返されている。

 故に、今日の日付は443と魔暦580年07月01日。一般的には443は略すらしいが。



ーー嘘だ



 僕は口を大きく開けて、暫く放心してしまう。少年が嘘をついているわけではない。赤毛の少女も、むしろ驚いている僕に不信感を抱いている様子だった。


 違う。今は西暦2026年のはずだ。

 僕が死んだのが、2023年02月04日。それから三年たっている。だから、魔暦なんて言うのはでたらめだ。

 紀元01年01月01日は神の子が生まれた日のはず。魔法を使った日なんて言うファンタジーは、テレビの中だけにしてほしい。

 少年も、赤毛の少女も、僕をからかっているに違いない。




「は」




 違う。

 違う、違う、違う。

 わかってる。本当のことは。



ーー間違っているのは、僕のほうだ

 


 最初から、気が付いていた。気がつかないふりをしていただけだ。

 佐藤ミノルの人生の続きを、追加の時間を手に入れられるわけがない。殺人鬼との決着をつけるチャンスが、与えられるわけがない。

 目をそらし続けていたんだ。モニ・アオストに生まれ変わってから、今までずっと。ここは地球のどこかで、今も日本で僕の帰りを待っている人がいるって。神様が、転生という機会をくれたんだって。


 そんなわけがないのだ。


ーーそんな、都合のいい事が起きるはずがない


 ここは異世界。地球ではない、全く別の世界。日本や科学など存在しない、剣と魔法のファンタジーの世界なのだ。

 日本人がいていい場所ではない。佐藤ミノルが帰る場所など、どこにもない。


 


「ははは」




 ひどく無機質な、絶望と諦めの混じった笑い声がヘルト村に響く。自分の口から、それが漏れていることさえ、気が付かなかった。三歳児の喉が潰れそうになるまで、笑いは止まらなかった。

 

 佐藤ミノルの人生は、完全にゲームセットした。

 肉体は雪山山荘で死に、精神は今ここで死んだ。佐藤ミノルは、二度死んだ。

 


「どうやら、満足のいく答えは聞けたようだね」



 僕がひとしきり笑い終わったあと、黒髪の少年はやさしく声をかけてくる。


「俺はランニングに戻るよ。君の人生に幸せが訪れることを願う」


 彼は軽く会釈をした後、走り去っていった。

 残された僕は、そのまま立ち尽くしていた。


 赤毛の少女が心配そうに僕の顔を覗き込む。彼女の瞳は真剣で、僕の反応を待っていた。でも、僕は何も言えなかった。何も感じなかった。僕は彼女の心配に反応せず、ただ呆然としていた。

 ヘルト村に来た目的も、三年間耐え忍んできた日々も、全てが無駄だった。虚無感が心を包み、気持ちは沈んでいくばかりだった。

 日本に着いたらどうしようとか、家族にはなんて説明しようとか。未来に考えていたことが崩れ落ちていく。転生して、孤独だった僕の精神の支えは、今完全に折れた。

 希望は失われた。


ーー帰ろう

ーーでも、どこに?


ーー疲れた。帰って寝よう

ーー僕の居場所はどこにもないのに?


 日本は、この世界には存在しない。佐藤ミノルが生きていた証拠はどこにもない。自分が何て不安定な存在で、今にも消えてしまいそうなのか。

 そう考えただけで、僕は消えてなくなりたかった。 



ーー今何時だろう




 停止した思考で、ふと考える。自分で課した門限。両親が目覚める九時までに屋敷に戻らないと、大変なことになってしまう。

 今となってはどうでもいいことだが、やることがないので僕は家に戻ることにした。


 困惑する赤毛の少女を引き連れて、帰路へと向かった。





 ヘルト村と、アオスト家の屋敷を結ぶ道中。

 日はより高く上がり、日差しも強くなってきた。舗装された道は強く反射していた。その道中に、男は仁王立ちしていた。



 上の空で歩く僕は、彼の姿を見ても何も思わなかった。その男がそこにいるということは、僕は詰んだということを表す。それでも、僕の心は動かなかった。


 肉体は鍛えられていて一切のたるみがない。顔つきは自信に満ちており、どんな困難も乗り越えるという頼もしさがあった。そして、目元は僕とそっくりで、やや上向きになっている。

 つまり、僕の父親、ロイ・アオストだった。


 寝ているはずの時間に、彼は僕たちの前に姿を現した。



「二人とも、おはよう」



 三歳の少女達に向かって、ロイ・アオストは一切の動揺なく挨拶を告げた。彼は口元だけで微笑んだ。その笑顔は優しくも冷たくもあり、彼が何を思っているのかは見えなかった。

 赤毛の少女は汗をだらだら流しながら、挨拶をする。



「お、おはようございます。そんちょう」

「ルミちゃん。弟くんは無事に生まれた。迎えに行ってあげなさい」

「ひゃ、ひゃい」



 バタバタと走りながら、少女は森の中に入っていく。ヘルト村に向かっているときには気が付かなかったが、屋敷を囲う森林の中にも、舗装された道が通っていた。ルミと呼ばれた赤毛の少女も、その道を通りながら木々の奥に隠れていた一軒家の方向に走り去っていった。

 

 僕はその様子を見ながらも、少しだけ心臓の高鳴りを感じていた。家出が父親にバレたという事もあったが、それ以前に僕はロイ・アオストが苦手だった。

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