02.アイデンティティがない2
【◾️暦◾️◾️0年07月01日05時30分】
「まぶしっ」
小さな手で、日差しから瞳を守る。
7月に突入したということもあり、陽射しが強くなってきた。紫外線は僕の白い肌をチリチリと焼いているような気がする。
それでも、僕は外の景色に視界を奪われていた。扉の先には、緑の海が広がっていた。木々がみっちりと生い茂っており、空気は新鮮で心地よい。
初めて見る景色、空気、温度。どれもが、新しい人生を感じさせた。
「って、違う違う」
僕は本来の目的を思い出し、頭を振った。ここで立ち止まってる暇はない。
森林の中央に舗装された道があった。道はやや傾斜しながら、遠くまで続いている。僕は屋敷から離れ、駆け足でその道を下り始める。
三歳児の足幅は狭く、果てしない道のりのように感じた。僕は進みながら、思考を巡らせる。何気ない道ですら、今では情報だ。
ーーにしても、暑いな
暑い。日の出の速さから推測するに、この地域の今の季節は夏なのだろう。
07月01日に夏ということは、北半球の国々なのだろう。北半球といえば、アジア、ヨーロッパ、北アメリカ。あとは、ロシアも含まれるか。
僕は海外旅行に行ったことはないが、それらの国の雰囲気はわかる。僕たちが使う言語のイメージとはかけ離れている。
気温は体感、二十度から三十度程度。半袖で過ごすには充分すぎる気温だ。
ーーここは、どこなんだ?
モニ・アオストという名前から察するにアジア系ではないだろう。フランスとかイタリアとか、ヨーロッパ系な気がする。
だけど、僕も両親も、若干アジア系の顔をしているのだ。目は細長く、鼻は小さい。
そうなると、中国の辺境にある小さな村とかだろうか。人口最大のあの国には、独自の言語を使う民族がいると聞いたことがある。異国の民と交わって生まれた秘境の村とか…。
「まあ、いけばわかるか」
これだけ歩いているのに、一向に村にたどり着く気配がない。僕は一度立ち止まり、呼吸を整える。
気が付けば、体は汗まみれになっていた。
木々の木陰に入り、一息つく。
ーーこれは、熱中症の危険もあるぞ
早朝に家を飛び出して、熱中症で倒れたとなったら大問題だ。両親にばれたら、怒られるどころの騒ぎじゃない。というか、そのまま死ぬ恐れすらある。転生して三年で終了なんて、冗談じゃない。
時間は、思ったより少ないかもしれない。両親が目覚める時間よりも、僕の体力が尽きるほうが早いだろう。
「ねぇ」
「わ!」
立ち上がろうとしたとき、後ろから声を掛けられる。思わず飛び跳ねながら、振り返った。
そこには、三歳くらいの少女が立っていた。彼女は赤い髪をポニーテールにしており、赤い花柄の服を着ていた。目を輝かせて、こちらに興味津々といった表情だ。
思わぬ登場に唖然としていた僕に、彼女は話しかけてきた。
「きみ、村長のところの子?」
「村長?」
「あおすとさんだよ」
「ああ」
ーー父親は村長だったのか
僕は、自分の無知さに苦笑した。外の世界に行きたいという思いが先行して、家の中の事を何も調べていなかった。
村長ならば、あの屋敷も理解はできる。日本のように選挙で村長が決まるならまだしも、村そのものを作ったのがアオスト家だったとしたら、よっぽどの金持ちだ。
だから、客人が多かったのか。この村に訪れる人は、村長である父親に挨拶をしにくるのだろう。
僕の返事を肯定と捉えたのか、一気に距離を詰めてくる。
「やっぱり!パパが、村長にはあたしと同い年の女の子がいるっていってたもの」
「ふーん。そうなのか」
「ねえ、今から遊ばない?パパとママ、いまたいへんだから、あたしひとりでひまなの」
「僕は忙しいから、また今度ね」
ーーまあ、こいつはただの子供だな。
利用価値無し。
じゃ、と軽く手をあげ、僕は道に戻る。木陰で休んだおかげか、多少は体力が戻ってきた。このまま一気に道を下り、村に突入しよう。
一歩踏み出して、すぐに右手を後ろに引っ張られる。
「ちょ、ちょっとまってよ!」
思わず、「かまってる暇はない」と口が滑りそうになるところをぐっと堪える。最近肉体年齢に引っ張られることが多いが、僕は20年佐藤ミノルとして生きてきた。三歳児の女児の戯れにキレるほど、心の余裕は失っていない。
「君、迷子なのかな。一人かい?パパとママは?」
「パパとママはね…。おとうとができるから、たのしみにまっておいてって」
「それは良かったじゃないか」
「でも、お腹のあかちゃんばっかで、あたしと遊んでくれないの」
「ふーん」
ーー家まで送るか?
赤毛の少女は迷子というよりも家出に近い。家まで送っても従うようには見えない。それに、この子の家がどこか知らない。
というか、朝五時に外に出る子供というのも珍しい。それこそ、弟が生まれるのは今日なのかもしれない。家族は大騒ぎで、赤毛の少女もそれにつられて目を覚ましたが、誰も構ってくれないとか。
どちらにせよ、構ってあげないとこの手は放してくれなさそうだ。
「わかった。お兄さんと一緒に、村に行こうか」
「おにいさん?」
「ああ、ええと。お姉さん…、でもなかった。とりあえず、僕についてくるといい」
「遊んでくれるのね」と少女は無邪気に喜びながら、僕の横に並んだ。村についたら、警察にでも引き渡すとしよう。
いや、警察に届けたら、僕も一緒に保護されかねない。ついつい忘れがちだが、僕も三歳児なのだ。
暑い日差しが降り注ぐ道に戻り、二人で歩みを進める。彼女は僕の横で首をかしげる。
「どこにいくの?」
「村だよ。君は行ったことはあるのかな?」
「どういうこと?村のどこのはなし?」
「いや、村自体だ。そもそも何というか名前の村なんだ?」
「おかしなことを聞くわね。村長の子じゃないの?」
どうやら、僕の知識よりは少女のほうが多そうだ。言われてみれば、父親の職業すら知らなかったのだ。
村の名前程度は一般常識だろう。赤毛の少女は首をこてんと傾げながら、疑問を隠さず教えてくれた。
「ここは、パラス王国のヘルト村だけど?」
「パラ、ス?」
聞き覚えのない国の名前に、今度は僕が首を傾げる。王国という名前がある時点で、中国の辺境の民族という説は消えた。ヨーロッパにある国の名前をすべて把握しているわけではないが、パラスという名前の国を聞いたことがない。というか、地球のどの辺りの国だ、それ。
もちろん、ヘルト村という言葉も聞いたことがない。
僕の疑問を無視するように、少女は言葉を続けた。
「ほら、もう見えてきたよ」
少女の言葉の通り、森林の道は終わりを告げていた。
舗装された道はそのまま道路のように広がり、住居の中央を走っている。
僕は疑問を募らせたまま、ヘルト村に足を踏み入れた。
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